2023-01-01から1ヶ月間の記事一覧

( 9 - 1 )

(9) 真子が金沢を去ってから3年が過ぎ,やがて冬を越して,私はいつしか41歳の誕生日をむかえた。 それから少し経った4月の中旬・・・ちょうど花見の時期がおわったころ,私にとって予想外の事態が起こった。生まれ故郷の富山県で一人暮らしをする母が…

( 8 )

(8) 真子が東京へ帰ってから,嵩子とは気兼ねなく逢える状況に置かれたのであるが,これまでと同じように私はたずねる回数を制限して付きあっていくつもりでいた。 というのも,嵩子は変わりつつあった。 9月,真子が金沢を離れる準備に追われながらも送…

( 7 - 11 )

3月,春うららの送別会シーズンとなり,密会の目撃・・・私はそのように感じているのだが,あれから一年がまたたく間に過ぎ去ってしまった。 いまでは冷静に受けとめ,よもや限度を超えてあの男を憎むことはないと思うものの,自己とはどういうものかを知っ…

( 7 - 10 )

12月,嵩子が壊れたあの夜から・・・まる一年。 真子と私は,たがいに干渉しないようにして一緒に暮らしている。取り決めを交わしたシェアハウスの同居人みたいな関係だ。 私にもヒト頃のような熱い恋心というものはない。しかし,冷めた心であっても芯には…

( 7 - 9 )

10月になった。あれから2か月,いろんなことが呑みこめてきた。 何にもまして胸にコタえたのは・・・一人では見出だせないということ。孤独な人間であっても一人ではナンにも会得できない。孤独というもの自体が一人では為しえない。 嵩子と真子がいなけれ…

( 7 - 8 )

今回の一件は,真子にも私にも様々な変化をもたらした。 時間がたってツラツラおもんみるに,真子が浮気をした根源には私の裏切りがあるばかりで,彼女には根本の原因はなかった。自らの中に巻き起こった嵐のような妬みと怒りを検証すると,彼女のとった振舞…

( 7 - 7 )

年が明けてからも,依然として険悪な状況は燻りつづけていた。しらぬまに薬指の指輪も外されて・・・。 1月の雪深い夜,帰宅する前に嵩子のところへ寄り道していた。 国立病院は兼六園のすぐそば,大学病院と直線距離にして一キロも隔たっていない。彼女の…

( 7 - 6 )

10月初旬・・・真子は一旦,両親のもとへ帰ることになった。世話になった親戚が危篤一歩手前とかで,見舞いがてら婚姻の心づもりをつたえようと帰京したのだった。私はといえば・・・国立病院へ二度目の出張となり,なにかと忙しくて東京へ同行する余裕はな…

( 7 - 5 )

じきに,お盆になった。 これこそ天佑とばかりに,富山県にくらす母を三年ぶりにたずねてみると偽り,泊りがけで嵩子のところへ行くことにした。 前もって電話しておいたが,ドアを開けるとき,彼女が普通であるようにと願わないではいられない。 リビングに…

( 7 - 4 )

ドライブ旅行は日程がきつくてずいぶん骨身にこたえはしたが,これほど楽しいと感じたことは今までになかったと言ってもいい・・・違反切符さえ切られなければ,このうえない最上の心持ちに浸れたはず。 そんないい気持ちも長続きしないことは重々承知してい…

( 7 - 3 )

8月上旬に6日間の夏休みをとった。 前後の日曜日を含めると休暇は8日間あったが,前の日曜を代理ドクターへの申し送りを主とするカルテ記載と旅支度のために費やし,後の日曜は身体を休めるために除くのが妥当,実質6日間の日程で北海道旅行に出かけるこ…

( 7 - 2 )

こうした状況のなかにも,否こうした状況だからこそ,結婚に向けての準備を考えはじめる。 指輪なんか嵌めないからオレは要らない,式は内輪で済ませて教授や上司を呼んでの披露宴はやりたくない,医局のしきたりを破るからには新婚旅行にも行かない・・・そ…

( 7 - 1 )

(7) バラ色の人生なんぞ未だかつて望んだこともないが・・・とはいえ34歳でむかえた新しい年は,いかんともしがたい恋心に彩られてあやしく光り輝いていたのだ。たとえ齎される陰翳の深みはソコしれず,その深淵に生命をおびやかす得体のしれない魔物がひ…

( 6 )

(6) 10月より北陸の空をあおぐ。 職場は三度目となる金沢大学付属病院。ここ大学病院での勤務は,医局の慣例にしたがえば在籍年数からみて,優秀な人材でないかぎり今回で終了となる見込みであった。 金沢に戻ってみると,おそらく私が立ち寄りやすいよう…

( 5 - 4 )

真子と逢瀬を重ねるうちにまたたく間に月日は過ぎ去っていく。そんな中,真夏のたいへん暑い日に嵩子が久しぶりに上京した。 電話で喋るとき以外,私は嵩子のことをきれいさっぱりと忘れて暮らしていたが,彼女はそうではなかっただろう。脳梗塞の後遺症をか…

( 5 - 3 )

久しぶりに廣行のことを追想する。 ずいぶんと永いあいだ,胸にしまいっぱなしだった。でも謝らないでおく。あいつは他人行儀な物言いや接し方をなによりキラっていたから。 廣行は中学を卒業しても進学せず,渋谷に店をかまえる寿司屋に見習いとして奉公に…

( 5 - 2 )

しだいにS病院の診療体制に慣れてくると,研究室に出入りする病歴室の女性たちを眺めるだけでは飽きたらず,暇つぶし的にからかったりするようになった。 ノッポのほうは生真面目で,若いわりにはソツのない受け答えをする。裏をかえせば,型にハマりすぎて…

( 5 - 1 )

(5) 33歳のとき,予定外の医局人事があり,東京都内のS病院へ出張しなければならなくなった。 いくつかの事由が重なってのこと・・・直接には同期の循環器医師が二人とも拒否したので,意思を示していない私に白羽の矢が立ったのだという。志願こそしな…

( 4 - 3 )

付きあって一年以上のあいだ,嵩子はT病院で仕事するかたわら,自宅と大学病院近辺にある私のアパートを行き来して生活していた。 私はアパートをずっと借りたままにしていた。関連病院へ派遣されても大学病院には定期的に出向かねばならず,いずれ金沢市内…

( 4 - 2 )

4月から国立金沢病院の内科に2年目研修医として派遣された。期間はT病院と同様,六か月の予定であった。 異動となった週の土曜日・・・その日は,私の29歳の誕生日。 金曜日の準夜勤務がひけてから,嵩子は夜中に車を飛ばして駈けつけてくれた。私が帰っ…

( 4 - 1 )

(4) ほんの小さなことが人生を左右する。 つらつら思いかえすと,そう気づかずにはいられない。どこかの時点で異なる選択をしていたなら・・・ふたりには,けっしてめぐり逢えなかったことだろう。もちろん裕子にも。 医学生にかぎらず,長い生涯において…

( 3 - 2 )

発作のあった翌週,月曜日。 早朝に目が覚めてしまい,そうでなくても気分がスッキリしないのに,考えが行き詰まってよりいっそうストレスが溜まった。肝腎かなめの部分が欠けていて全体像が見えてこない苛立たしさ・・・いつになく私は早めに出勤したのだっ…

( 3 - 1 )

(3) 私に,父親はいない。いや,記憶に残っていないというべきなのだろう。母は13年前,天に召されていった。 お袋が亡くなった年の10月,何もかも清算するつもりで国立金沢病院,現在の金沢医療センターを辞し,一般病床672床を有する,いわゆる総合病院…

( 2 - 2 )

「せんせい?」 カーテン越しの声で目が覚めた。が,ぼんやりしていた。 いつのまに眠ったのだろう? ・・・真子の黒髪が風になびいて,オレの頬を撫でていたっけ。 それは夢ではない。まぼろしでもない。まぎれもなく,私のなかに存在している・・・過ぎし…

( 2 - 1 )

(2) 生きとし生けるものは,いつか死んでゆかねばならない。それが自然の摂理であり,誰ひとりとして異をとなえる者などいないことだろう。 人間にも終焉のときは必ずおとずれる。分からないのは,いつ,いかなる形でやってくるのか,ということ。 ある日…