タウ・タオ・タイ なるままに

 小説のようなものを書き上げてアップしてからも修正をくりかえし,ようやく筆を擱こうと思えるところまできた。それを他のサービス,ブロガーのほうにまとめてみたので,タウ・タオ・タイに興味のあるかたはそっちを覗いてもらったほうがいいかもしれない。

 なにか著述してみたいと二十代のころより漠然と興味を抱いていた。それもテーマは自死をおいてほかにはないと考えていた。たぶん生きざまと結びつかないものには心が動かなかったのだろう。いまも自死のことを想い描いたり想像したりするが,行なうには程遠いところに当の本人はいる。ものがたりを書き終えてしまったら,さらに遠くの見えないところへ去ってしまうにちがいない。とはいっても先々のことは分からない。いずれ自死についてはあらためて再考しなければとおもう。

 今夜というか,もう昨晩になるが,能登半島地震の被災地復興にかんする番組がテレビで放送されていた。おもえばタウ・タオ・タイの執筆は,東日本大震災の前年より本気で取り組みはじめた。私にとってタイムリミットの2011年が迫っていたからだ。されど実際には,じつに13年の歳月を要してしまった。そういうわけで小説の年代は当初のまま東日本大震災の一年前から直後にかけてとなっている。

 

 元日の大地震では自然の脅威が日常であることを心底思い知らされた。それでも人間は生活していかねばならない。わたしも息絶える寸前まで生きていかねばならぬ。

 さて,これからは日ごろ思惟していることなどを書き込んでいくつもりだ。どのようなことをどこまで示せるのか自信なんぞ無いに等しいが,いわば挑戦であると宣言しておきたい。

 そのモットーは・・・タウ・タオ・タイなるままに。

 

 

 

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Tau Tao Tai タウ・タオ・タイ

 

   ・・・おののく魂はいつしか鎮められていく

 

 

 

いつのころからだろう? わたしは迷ったときや決断を迫られたとき,こころに呪文めいたメッセージを唱えるようになった。

 

タウをもって,タオにしたがい,タイをつくしぬく。

たえずここに在るオノレをしんじ,まきおこらんとするウネリに命運をゆだね,ひたすらアランかぎりの生をそそぎこむ・・・といった意味あい。

いまもその余韻は,みずから思い定めたとはいいながら,ざわついてしかたない胸のうちを落ちつかせてくれる。

そう・・・すべて,これでいいのだ。

なんぴとも善し悪しを抜きにしては渡っていけぬというのなら,世間に蔓延るいかなるシガラミもあるべくしてあるもの,一切かまわないではないか。

あるがままに,オノが信ずるところへ向かっていくだけのことだ。

 

はっきり覚悟をもって意識したのは,13 年まえ,真子とさいごに逢ったおり。

「あなたにはちゃんと・・・命をかけて愛してくれるヒトがいるんだもの」

そんな一言がなければ,すてがたい漠とした思惑が,とんでもない決心にまでたちどころに昇華してしまうことなどありえなかった。

だからといって,彼女をうらむつもりなんか,これっぽっちもありはしない。

自死とは,いずれ至らねばならない,ほかならぬ『オレの生きる道』なのだ。

あれから幾度となく自問してきたけれど,いつだって結論は変わらない。

 

ながらく旅立つ日を,とおく眺めながら生きてきた。

来たるべきトキがくるまでに,持てるものをことごとく使い果たしたかった。

なにもかも燃やし尽くし,ねがわくは灰となって天地に散ってしまいたい。

まっとうしてみせる自負なんぞなかったものの,さほど悲観もしていなかった。

思ったとおり,ちかく見えてからが正念場,じつはホントの宿命の道なのだ。

 

しぜんとペンを握りしめ,わたしは私自身を見つめはじめた。

 

 

 

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 (13)

 

裕子へ

 

 

 

驚いたかな?

筆不精のおれが,手紙を書くなんて・・・なんかヘンだろ。

でも,浅谷さんが亡くなってから,のっぴきならない事情ができたんだ。

 

きょうの日をかぎりに,じつはね・・・おまえに,トワの別れを告げなければならない。

おまえがこいつを読むころ,おれはすでに,この世には・・・いないかな?

それとも,虫の息になりながらも海を眺めているかな?

じっさいのところは分からないけど・・・あしたになるまでには,かならずやこの世界とおさらばしているはずだ。

さいごのさいごまで・・・ホントに,ごめんな。

こんなに身勝手な振舞いをしておきながら許しを乞おうなんて,あまりにも虫がよすぎるというものだろうが,せめて自分のありのままを語るぐらいなら許してくれるだろうか?

どうだろう?

正直に告げるよ・・・たとえ拒否されようとも,おれは伝えておきたいんだ。

おまえにどうあっても知ってもらいたいんだ。

 

なにゆえに,かくのごとき生き方をなさねばならなかったのか?

 

おれが不器用な自分に気づきはじめたのは,ふつうに思春期のころ。

ある女性を好きになって,この人しか愛せないし愛したくないとおもった。

片想いにもかかわらず,命をかけて真剣に愛を育もうとしていた。

ところが,言うまでもなく・・・恋愛するまえに失恋してしまったんだ。

あとはもう,愛することなんかどうでもよくなって,己れのなかの非自己をことごとく無くしてしまいたい欲求にかられた。

自己を完全に占有して,だれにも左右されずに生きていきたい。

もともと孤独だったおれは,自らの哲学でさらに武装することにしたんだ。

 

完ペキに遂行するには,どうしても自己の実体を知らなければならない。

当然ながら,その過程で自己の本質も知ることになった。

おまえも分かっているだろう・・・ほかならぬ,ナニも持てない自分だ。

のちに振り返ってみると,そんな資質は実体のありさまを捉えるには有利だったのかもしれない。

 

実体とはナニか?

真に存在するもの,今この瞬間にも実在しているものである。

もとより物体のことを指しているのではない・・・感じているモノのことだ。

 

人類が知的に生きるようになってこのかた,たえず現実に在るそれそのものを感得しようと挑んできた数多の先達たち・・・第一に,仏陀

『色即是空 空即是色』

この有名すぎるフレーズは,実体智がなければ綴られることはない。

しかし,おれは・・・さらに余すところなく知り尽くしてみたかったのだ。

いっさいの妥協を排して,追い求めつづけた青春の日々。

 

おまえは,おれの考えていることを知りたいという。

おれも思うところを語ってみたいときがある。

だが,実体に関しては,どのように明かそうとしても無理があるのだ。

若いころに言及したことはあったけれど,伝えづらいものに理解を示した同志は,だれ一人としていなかった。

それは・・・あたりまえのこと。

自己を占有するため,おれには是が非でも必要であったことも,おしなべて不要なことなのだ。

必要でないことは会得しようとしないか,もしくはできないか,どちらか。

でも,いささか説いてみたい・・・おまえにだけは語ってみたいのだ。

 

 

 

実体智または不動智。

在るものを感得することで掌中におさめられる智慧,といった意。

わたしは実生活のなかでは,このんで不動智と呼んでいた。

古くより使われている用語であるが,たぶん微妙に意味合いが異なっていることだろう。

 

つねに絶えまなく今ここに在って無くならないもの・・・実体。

それは・・・自己と呼ばれ,ふつうに意識されているもののように思われる。

しかるに意識されているのは,実体とともにある相対,いわば虚体のほうだ。

確認しておきたい・・・考えを論じようとしているのではない。

わたしは実際の事実のみを述べている。

実体と虚体のありようは次のようだ。

   実体は虚体であり,

         虚体は実体である。

   実体は虚体でありながら

         虚体ではない。

   虚体は実体でありながら

         実体ではない。

このように表現するのが,もっとも違和感がない。

 

似たような関係のものは実体の関わるところで見出だせる。

たとえば・・・肉体と精神。

   肉体は精神ではなく,

         精神は肉体ではない。

   しかれども,

   肉体は精神であり,

         精神は肉体である。

肉体は行ない・行動に,精神は考え・こころ・思索などに置き換えたほうが解しやすい。

ただし,派生した同じような性質のものが見て取れるからといって,その大本のものが読み取れるとはかぎらない・・・かえって難しくなるばかりなのだ。

 

実感していても掴みどころがなくて指し示しようのない・・・されど,自分なる相対と一体をなして紛れもなく存在している,精神の根源。

そのような意味合いから,虚体を相対と言いあらわすとき,わたしは実体を相対そのものと言いあらわす。

そうすると先ほどの実体智は,以下のようにも言いあらわされる。

   相対そのものは相対であり,

      相対は相対そのものである。

   相対そのものは相対ではなく,

      相対は相対そのものではない。

むろん相対に対して相対そのものは絶対的であって,いわゆる絶対と称してもかまわない。

 

さて,ここまできて分かるように,もっともらしく述べていること自体が,相対そのものを感得できていなければ了解しがたいのであって,まったくもって説明になっていないと強い非難を受けることだろう。

しかしながら,実体の本性のうえからは,それは致し方ないことなのだ。

 

では,相対そのものを感得するには・・・というと,唯一の方法しかない。

自らの内部に収束すること,それのみが手段である。

聞いているぶんには簡単そうであるが,これがなかなかのクセモノなのだ。

なぜなら行なおうとする時点で,すでに誤っているからである。

自己はつねに相対そのものから発散している。

そのため収束しようとして反対に発散している過誤から,どうころんでも抜け出すことができない。

よってイメージしているかぎり,永久にゴールに到達することはないのだ。

体得するには,自己を滅する態度が不可欠であるが,如何せん意識すれば可能というシロモノでもない。

あえて言うなら,自己が崩壊してしまう状況に身を置くしかなかろうか。

 

滅して相対そのものに達するとき,相対は空となる。

そこに自己はない。

すべてが一となる世界である。

そのときの相対そのものを,真諦とわたしは呼ぶ。

そうなのだ!

内部に収束するとき真諦という相対そのものに至り,

外部に発散するとき自己という相対そのものになる。

 

自己として在るとき,発散してくる相対が見えるばかりで,相対そのものを感覚あるいは推測できても感得することはできない。

逆に,自己を滅しきることができれば,おのずと在るものが現われる。

とはいっても,外部に働きかけようとすれば,滅しきれるものではない。

世にいう悟りの境地に自己が入り込んでいく齟齬を,わたしはつねづね感じていた。

 

その刹那,にわかには信じられなかった・・・まさか,これが真実なのか!

無意識に行なっていることこそ,掴みがたい。

真諦と自己は,じつは同一のものなのだ。

まさしく実在するものの裏と表の顔といってよいであろう。

 

自己と真諦・・・在りかたは始原からして,あくまでも対照的だ。

もとより,対極に立っているといっても過言ではない。

自己にとって真諦はどこまでも相容れないもの,いっぽう真諦にとってはそうではない・・・真諦は自己を否定しえないのである。

相反しているといっても,おさまるところは案外に似かよったりもする。

そうして,万事のかぎは相対そのもの自身が握っているということ。

 

西洋では自己によって相対を展開するが,その出どころを決して捉えることはできない。

東洋では真諦によって相対を展開し,その在りどころをまさに把握することができる。

 

おもうに,いずれにも利と不利がある。

西洋的自己では,絶対といえる相対そのものを捉えられないため,精神的にはいろいろと不安定だ。

ゆえに,全知全能の神が求められる。

発散するものといえば・・・あまりにも多種多様で,おのおのが独自性を主張してやまない。

それにたいして東洋的真諦では,相対そのものを見据えてこころは落ち着き,自分を見失うことがない・・・が,収束することは平穏をもたらす反面,周囲への働きかけは残念にも不得手となりやすい。

けれども,あらゆる個体がそれぞれの持ち味を活かしつつ,全一なる宇宙に辿りつくとすれば,それはすばらしく画期的なことであるはずだ。

 

西洋と東洋における根本的な差異は,近ごろ曖昧になっているものの上述したような,実体の違いにあるとわたしは思っている。

しかし両者を比較すると,東洋には物足りなく感ずるところがあった。

のちになって認識した・・・時間の欠如。

いや正確には,時間の概念すら真諦には要らない・・・滅することがすべてであるから。

ところが西洋的自己の場合,相対そのものを明らかにしても,まだ完全に占有できない部分がわたしのなかに残っていた。

 

そう,別モノの実体があるのだ。

・・・時である。

かこ,げんざい,みらいの時ではない。永遠のげんざいという時でもない。

比べるものがない時なのだ。

相対そのものを容れる時・・・時そのもの。

時の実体を,わたしは時そのものと言いあらわすことにした。

 

時そのものは相対そのものによって刻まれている。

   時そのものは相対そのもの,

      相対そのものは時そのもの。

また,このように言っても差しつかえない。

   相対そのものは有実体であり,

      時そのものは無実体である。

 

刻まれているとは,いったいどういうことなのか。

相対そのものが消滅するとき,どうじに時そのものも消滅する。

すなわち,わたしが尽きるとき・・・時は,終わるのだ。

このあたりのことについては異論もでてくるだろう・・・自己とは,そういうものである。

真諦には,そのような問題は生じてこない。

 

今わたしは,自分が死んでもかならず誰かが生きていて,時は永劫につづいていくと想定することができる。

が,わたしという実体がなくなれば,未来の仮定どころではない,自分自身にとっての時自体がなくなってしまうのだ。

そう書き綴りながら,あることに気づいて暗澹たる気持ちに陥っていく。

・・・時そのものの論理は,単なる時に関する記述と,外面上それほど変わりないではないか!

かといって筆をおきたくはない,自らを勇気づける。

・・・なんの変哲もないということが,無の実体の証左といえなくもない。

ほかに,否定の手段を用いることは可能である。

 

永遠の現在も,在りつづけるものをしっかり把握しているとはいいがたい。

相対そのものがなければ時の実体は存在しえないのであるから,永遠の現在は一つの概念に過ぎない。

時そのものと永遠の現在は相違している。

正しくは,現在そのもの,ないしは永遠そのもの,と言われるべきであろう。

時の在りかを真に認識するには,やはり相対そのものを感得できていなければ困難と言わざるをえない。

 

時そのものという本物の時は,相対そのものが現存することによって刻まれている。

 

以上が,実体の大まかなところであるが,肝要な箇所を確認しておく。

自己として在るかぎり・・・己れの根源は,いかなる心眼をもってしても,見極めることはできぬということ。

おわりに一言つけ加えたい。

相対そのものを,ゆめゆめ覗きみようとするなかれ。

ヒロコ・・・おれは,マジにそう思っているよ。

 

 

 

久しぶりに実体の論証をこころみたが,あまり気分のいいものではない。

苦心して説き明かそうとすればするほど,真実から遠ざかるような気がする。

それは,感得するものであって,論証するものではないのだ。

だいたい現に,ここに在るのだから,あらためて把握するまでもない。

重要なのは,そいつを感じて生きることだ。

それで現実に立ち戻ってからは,実体にかんする一切を封印してきた。

おまえにも,こんなバカげたことを分かってほしいのではない。

これまでどうしても伝えられなかったことを語りたいがために,下らぬとはいえ,おれが真剣に向き合ったことを多少とも知ってほしかったのである。

 

二度とない青春をむだに費やして,なんなのか定かでないものと悪戦苦闘を繰りかえすうちに,余分で不要な領域を獲得したおれは,世の中に戻ってはじめて,欠落したものが必要で大切な領域であることを見出だした。

もともと自己を完璧なまでに占有するのが目的であったから,当然といえば当然,すでに非自己の入りこむ余地はないに等しかった。

一抹の不安を覚えずにはいられなかったものの,仕方がなかった。

今後,女性を愛することはないだろうし,結婚もしないと覚悟をきめた。

 

意図したわけではないが,奇妙なことに自己を占有しているありさまは,見たところ非自己に占有されている状況に似ていた。

なぜなのか?

無為に過ごしているあいだに,何も持てない本質を自覚したおれは,あらゆるものを捨てて何ひとつ持たないで生きようとしていた。

ナニも持たなければ,現実に求めるものはナニもない。

自己を利己的に占有して本性にしたがえばしたがうほど,周囲には相手を受けいれているかのようにみられた。

このような倒錯的事情はだれにも理解されようがなく,ある種の思い違いを惹きおこすことは否めない。

 

それと,もう一つ・・・容易に掴みとれそうであるのに,じっさいに生活していても十分には呑み込めていないことがあった。

自己の占有と何も持たない生き方・・・二つのことは資質として表裏一体をなすばかりでなく,その実現には互いを不可欠としていたのだ。

 

国家試験に合格して医師になったおれは,新人として共に働いた女性と半同棲生活をおくるようになった・・・もちろん彼女はおれを愛していた。

はじめは,他のことと同じように受けいれたのだが,おれも彼女が好きだったから,だんだん愛みたいな感じで暮らすようになっていった。

本当のところ,愛ではなかったものの,それだけなら致命的にはならなかったはずだ。

もんだいは・・・彼女の一途な想いを痛いほど承知していながら,おれが別の女性を愛してしまったこと。

 

あれほど,愛は要らないと断言していたくせに。

おれの生き方には,愛は禁物だと知っていたくせに。

惚れていても心の奥底では,愛は持てないと信じていたくせに。

それなのに,愛してしまったのは,どうしてなのだろう?

初恋に命をささげたけれど,熟することなく失恋してしまった・・・過ぎし日の傷あと。

愛する女性は一人のみと,強がりじゃなく本気で思っていたけれど,まことの恋愛を知らずに終わってしまった・・・おさめきれない淋しさ。

愛なんかどうでもいいと言い放っていても,本物の恋愛に,さぞ未練があったにちがいない。

こころのどこかできっと,命がけの恋を欲していたのだ。

 

だんじて持たないと決めていたものを,この愛ばかりは死んでも手放したくない,なにがなんでも成就させてみせる・・・そんな気持ちだった。

三十代になって,まるで未熟のまま終わらざるをえなかったあの十代の悲恋の続きをするかのように,おれは命をかけて別の彼女を愛した。

もはや,自己矛盾なんぞ眼中にはなかった・・・恋は盲目というように,恋愛感情を制御することなんて絶対にできやしない。

禁断の恋に,おれはどんどん引きこまれていった。

むろん結婚も視野に入れていた。

だけど,元の彼女はどうなったのか?

想像をはるかに超えて,目の前でみるみるうちに壊れていったのだ。

いかんともしがたい,その悲惨なすがたは,今もこころの内奥に刻まれていて消え去ることはない。

おれには所詮,元の彼女を切り捨てることなど,できるはずがなかった。

 

どのような理由があったにせよ,二股をかけた愛が実を結ぶなんてことは,万が一にもありえない。

神経をすり減らしてでも花開かせたかった恋は,けっきょく別の彼女によって破局へと導かれた・・・誰のせいでもない自業自得だった。

 

愛してる。

このうえなく愛しているのに,捨てなければならない。

だがしかし・・・おれはたえず,こころの奥深くで感じていた。

愛は捨てられても,ナニカを持つことはできない。

 

土壇場に追いこまれて,ようやく判然と一つに繋がった。

何ひとつ持たずに生きる・・・そういう自分を貫くには,いかに最愛の女性であろうとも,あきらめなければならない。

何も持たないことに,つまりは,例外はないということだ。

自己を,うそ偽りなく占有したいのなら,どうあろうとも愛を捨てなければならない。

愛のみならず,すべてのことを捨て去らなければ,それは遂げられるべくもない。

帰するところは,なんとも分かりきったようなことであった。

何も持たずに生きることが,とりもなおさず自己を占有することなのだ。

いずれも同一の本質を意味している。

 

愛を捨て去るとき,おのずとありとあらゆるものを捨てることができる。

愛とは・・・所有の最たるものであるから。

わが道を歩んでいくために,愛をみずから遺棄しなければならぬ。

この愛を捨て去るという道こそ,定めなのだ。

それ以外はまるっきり縁がなかったし,おれも孤独の道しか望みたくない。

 

もし今でも愛せるとすれば,ただひとり・・・それは永遠に変わらない。

別の彼女が,むかし愛したときのままで,ずっと心のなかに生きている。

おれの胸のなかで,あいつはいつだって微笑んでいるんだ。

 

もうナニもいらない・・・自己さえあればいい。

愛はいらない,愛なんか無用の長物,こんりんざい愛はいらないんだ。

この一瞬に能うかぎりのオノレを尽くすことのみ。

 

そのような状況のなかで,新天地をもとめてK病院に就職した。

追いかけるように,おまえもK病院にやってきたんだ。

運命の出逢いだった。

おれは,おまえをすぐに気に入ってしまったよ。

おまえも,おれをこころから愛してくれた。

 

できうることなら,おれもおまえをふつうに愛したい。

でも,それはできないんだ。

おまえがいつも,もどかしく感じていたように,おれにできるのは・・・愛さないままに愛することだけ。

 

だれも愛さない,それがおれの生き方だから。

それでも,愛さないままに愛するよ,それが無限の愛だとおもうから。

やっと分かったけど,愛なき愛とは・・・愛の極致に近づく道なんだ。

なぜなら,たとえおまえに裏切られても,おれは一向にかまわない。

裏切らねばならなかったおまえを,ありのままにどこまでも信じるよ。

おまえのためなら,この命は果ててもいい。

だから,おれはまちがいなく,おまえを愛しているのだ。

 

たしかにそうだけど・・・愛なき愛はひとつの愛だけど,いくら能書きを並べたところで言いわけに過ぎないのだろう。

おまえが寂しい思いをしてきた事実は,消し去ることはできないのだから。

これから,おれがやろうとしていることも,その証拠みたいなものだから。

 

おれは医師として,いろんな死を間近でみてきた。

そのなかで,死をみずから受けいれて最期をむかえた人はごく僅か。

医療が高度になればなるほど,人間は素直には死を受けいれられないのだ。

 

人は・・・相対のなかで生きている。

人間は・・・相対を離れては生きていけない。

その相対について,ちょっぴり考えてみたほうがよい。

相対とは,例外なく陰陽があり,そしてかならず影響しあう。

どんなにすばらしいことであっても,その負の作用を免れることはできない。

すなわち影響は・・・すぐに顕われなくても,目にみえなくても,当事者が感じなくても,ないということはない。

それが相対の原理である。

その意味で現代の発展のつけは,この世の中を回りに回っている。

 

疾病にしても・・・治療にかんしては同じことなのだ。

治癒するなり,軽快するなりの正の効果はたやすく感じられても,表裏をなす負の作用を察知することは一般にはない。

それは,かくれて見えないまま影響しているからにほかならない。

知らないうちに,こころに微妙な変化を及ぼしている。

逆の場合のほうが捉えやすい。

よくない環境の負の結果は,だれでもはっきり認識できるが,じつは正の作用のほうが重要である。

艱難汝を玉にす,などがそのことだ。

 

医師にいたっては,たちの悪い病人のようなヤツがたくさんいる。

疾患はそのようであるはずだと思い込んでいるのを,本人は露ほども気づいていない・・・これでは認知症の周辺症状ではないか!

 

そんなふうに突きつめて考えていくと,良いと思われることが果たして本当に好ましいことなのかどうか?

 

おれの結論はこうだ。

すべては・・・そのままであり,それなりであり,それだけである。

 

生命は大事なれど,ただの長きを求めたくはない。

病気は必ずしも,完治しなくても差しつかえない。

自分らしく生きる分相応に治してほしいだけ。

やがて迎える最期には,納得できるかたちで一生を終えたいものだ。

自死は・・・『オレなりの医療』への挑戦なのかもしれない。

 

オノレのなかにも影響がある。

本質を極めるのに,さんざん苦労を重ねたけれど,もっとも肝心なことは何であったのか?

それは・・・ふたりの女性との出逢いだ。

 

おれは,己れの生きかたに驕っていた。

自己の占有は,個人の問題であるから独りで可能であって,すでに実現しているものと過信していた。

どのようなことでも,たとえ自身のことであっても,一人では分からないし,失敗しないと呑み込めない。

現実のなかで実践をかさねて葛藤しなければ,けっして本物にはなれない。

それが相対ということだ,あたりまえじゃないか・・・と,今ならはっきり言いきれることも,誤った過去のおかげである。

 

曲がりなりにも極められたのは,二人にめぐり逢えたからこそであって,おそらく彼女らに出逢うことがなければ不可能であったにちがいない。

その巡りあわせに,宿命というものを感じないわけにはいかない。

どちらか一方にしかめぐり逢えなかったとしたら,まったく異なった人生を送っていたであろうし,自己を突きとめられたかどうかは怪しいかぎりだ。

 

ふたりには感謝している・・・というより,すまない気持ちでいっぱいだ。

別れて以来,胸のうちには罪のイシキが芽生え,年々増している。

彼女たちは・・・おれの人生の犠牲になったも同然であるからだ。

おれは,罰を受けなければならない。

その罰はなんとしても生命の代償でなければならない。

どうしてか?

命の炎を燃やせないものは,おれには物足りない。

 

元の彼女には,命をかけて愛してくれた,そのお返しを。

別の彼女には,命をかけて愛した,その証しを。

自裁は,おのれ自身にくだした,生命をかけた罰なのだ。

 

自分を見つめてここに至ったからには,行なうことは決まっている。

肉体は精神であり,精神は肉体である・・・ということ。

自決は,おれの信じる道の果てでもある。

 

ところが・・・おとついの大地震だ。

あの恐ろしい大津波で,どれくらいの人々が亡くなっているのか?

想像もつかない。

とにかく,ものすごい人数にのぼること,それだけは疑いようがない。

 

きのう,ずいぶんと迷ったよ。

きょうという日は,浅谷さんを見送ったあと,はやくに決めていたから。

それにしても,なんでオトツイなんだろって思った。

いまも分からないけど・・・決心はついた。

だれか一人くらいは,大津波で亡くなった人たちにつきあってもいいんじゃないかって。

 

人生で,おまえにメグリ逢えたことは,イチバンの幸せだ。

いっしょに生きて,はっきりと分かった。

独りのおれでも,いのちをかけて,愛さないままにおまえを愛したい。

愛なき愛は,まぎれもなく,おれの終わりのない愛なのだ。

こんな愛をうけいれてくれる女は,おまえしかいない。

 

『タウ・タオ・タイ』

呪文のように唱えていた言葉を,辞世としておまえに贈りたい。

タウは,オレという実体・・・ここでいう相対そのもの。

タオは,タオイズム・・・おれの魂にしっくりあう。

タイは,生を尽くしぬくこと。

 

 

 

ひろこ,おれを信じてくれてホントにありがとう。

でも・・・おまえは,おれの愛にどれほど苦しんだことだろう。

それでも,おれは・・・最期まで,オレでありたいのだ。

 

 

 

愛しているけど・・・さようなら。

 

   2011.3.13 8:53 a.m.   浩一郎

 

 

 

( 12 - 12 )

 

 3月13日,日曜日。

 5時半ごろに起床・・・ついに,この日がやってきた。

 

 裕子が食事の支度をしてくれるあいだに朝刊にざっと目をとおす。大惨事の記事で埋めつくされていて,やりきれない気持ちになった。最新の情報には接したくない・・・なのでテレビはワザとつけなかった。

 朝食をとったのは,6時10分頃・・・むろん,ふたりでいっしょに,食パンにハムエッグという定番メニュー。

 ときおり我れをわすれて,彼女の顔立ちをじっと見ていると,なにか付いてる?って裕子が訊く。いつ見てもキレイだから,とマジメに答えるが,朝っぱらから冗談はよしてよね,って取りあってくれない。

 どことなく初恋の女性に似てなくもない・・・目と鼻と口のそれぞれは違っているけれど,輪郭や各パーツの全体的なバランスが,不意になつかしい面影を偲ばせたりする。とはいえ,あの冷たい美しさとは似ても似つかない感じであるから,長い年月のうちに思い違いが生じたのかも?

 いきなり突拍子もないことが頭に浮かんだ。

 冷たさを温かさにして生まれかわったとしたら・・・それは,裕子になるのではないか!

 バカげてる・・・と思いながらも,何であるのか分からずに追い求めていたものが,あたかもぎりぎりの段階で見出だされたような気分になって心が満たされていった。

 7時過ぎ,彼女が出勤する直前,玄関でみじかいキスを交わす。たぶん自宅マンションに寄っていくのだろう。

「行ってきま~す」

 両手をふって出かけていく,真っ白な・・・恋人。

「行っておいで」

 と,片手をあげて見おくる。そのような普段と変わらないやりとりが今生の別れとなった。

 あとはじっとしてなんかいられず,見えなくなるまで別れを惜しもうとベランダへと走り,とおく垣間みえる道路に必死に焦点を合わせる・・・そこを彼女の車が通り過ぎようとした刹那だった。

 なんと,裕子もこちらを見やったのだ!

 その不安に駆られたような眼差しが頭から離れない・・・おまえは何かを感じ取っていたのだろうか?

『すまない・・・』 今しがたの顔つきをココロに噛みしめる。

 これまで,ほんとにありがとう,元気でな! ・・・『さようなら』

 

 用意をするうちに,残していくものに万感の思いが込み上げる。ほどほどのところで手を打たねばならぬ。

 仕上げの一筆を手紙に書きくわえ,封をしてテーブルの上に置いた。キッチンから包丁を取りだし,新聞紙に包んでボストンバッグに入れる。

 これで,もういい,出発しよう。 目ざすは,奥能登・・・輪島のむこう,曽々木海岸の手前あたり。

 13年前・・・いざという時のために,自死の地を求めて奥能登を探しまわった折りのこと。

 輪島より先の海沿いの道路を走っていると,曽々木付近で路肩が大きくふくらんだ箇所があった。もしやとおもい,広がる景観をたしかめる・・・車外に降り立つと,道路の下は海岸線まで緩やかな斜面を描いており,中途には痩せほそった松が一本だけ根づいていた。その一本松こそ恰好の死に場所におもえたのだが,その後ふたたび訪れることはなかった。

 なにぶんにも位置の記憶はあいまいで,現在でも松の木があるかどうかは定かではない。

 枝ぶりのよい立派な松の根元にもたれかかり,水平線のかなたへ沈みゆく金色の夕陽をめでつつ,舞い落ちる桜のひと片ひと片をおもい浮かべる・・・幾度となく夢想した人生のオワリの光景だ。

 まあ,思いどおりのところが見つからなくても,贅沢はいわないさ。海が見晴らせるなら,どこだってかまわない。日付が変わらないうちに,かならず自尽を遂げるつもりだ。

 戸外へ出て,玄関ドアに施錠をする。

 

 午前9時をすこし回っていた。

 マンションの共用廊下で立ち止まり,おもわず顔が綻んでしまう・・・一年前の蒼天をあおいだ日と同じく,春の朝陽が柔らかく射し込んでいた。

 あのときの奇妙な感覚はウソではなかった。デジャブではなく,あれは未来に対する確信だったのだ。

 その光と・・・コトバを交わす。

 

『ジタバタするなよ,サイゴになって!』

『わかってるさ,それぐらい』

 

 ・・・あばよ。わが家にも別れを告げ,私はブラックの愛車にどっかりと腰をおろした。

 

 

 

 さあ,行こう,新たなる地獄へ!

 

 

 

( 12 - 11 )

 

 3月11日,金曜日。

 午後,病棟回診をしている最中に多少の揺れを感じ,テレビからは臨時ニュースが流れていた。東北で地震が発生したのだという・・・病室を回っていたせいもあって,とくだん気にはとめていなかった。

 夕方になっても,さほど深刻だとは思われない。地震大国では仕方ないことと片づけられる範囲内でしか物事を考えていなかったのである。

 この日の映像にはじっさい,想像もつかないほど甚大な被害を受けた地域からのものはなかった。壊滅的な損害を被っていれば,即座に正しい情報を発信したくても物理的に不可能なことなのだ。

 

 3月12日,土曜日。

 しだいに言語に絶する惨状が明白になり,様々な災害の規模は予想をはるかに上回ることになった。おそらくは・・・大震災と呼ばねばなるまい。

 前代未聞というべきは,東北地方の太平洋沿岸部一帯が大津波に飲み込まれて,まさか・・・海辺の街という街が一つ残らず,かつ跡形もなく破壊されてしまったことだ。対処のしようがなく大災害に及ぶのは必至の状況である。さらに未曾有の原発事故の発生も懸念される。

「本当は,どれほどの人が犠牲になっているのかしら・・・」

 という裕子の疑問に,現時点では答えることができない。被害が大きすぎて概要すら把握できていないのだ。

 テレビも異常事態だった。どのチャンネルを入れても特別番組ばかり。そのうえ全CMは例外なく放送中止となり,代わって公共広告が耳にたこができるくらい繰り返し放映されている。

 

 この大惨事の意味するところは何なのであろう。この期に及んで,タオは私をして何を知らしめようというのか。

 いったい,なにゆえ,この日なのだろう?

 慈悲なんてものはヒトカケラもない・・・想定外の巨大津波によって,老いも盛りも若きも幼きも,あっという間に生命が奪い取られてしまった。

 生きるべき人間が命を落とさねばならなかった現実を軽んずるな! 死んだほうがましとおもう人間も生かされていることを忘れるな! 残っている人間は生をまっとうすべく努力をおこたるな! そういうことなのか?

 それとも,自ら死のうとするのはタオに反するとでも諭したいのか?

 そうではなくて,たとえ差しあたり死するのが適っていると思われても,生きていれば誓って答えは違ってくる,とでも言いたいのか?

 なんにしても,このままの状態では自刃できないとおもった。こころに生じた波紋は大きく広がるばかりで,一向に終息しそうにないのである。

 

 テレビ報道を見ていても埒があかない。

「本屋に行ってくる」

 そう裕子に告げて外へ出かけた。普通なら海に行くところだろう。だが,明日という日にしっかり向き合うつもりであるから,こんな心持ちで海にアイ対したくはない。

 歩きながら思いをめぐらす。

 真子と別れてからというもの,ずっと自決のことで頭を悩ましてきた。心発作を自覚してからは,より深く自己を見つめなおした。そうしてオノレを問いつめて辿りつく結論はいつのときも同じだった。

 わたしは,自身の内部から,激震を起こすことを決めたのだ。

 はからずも,あるガン患者の看取りをおこなう使命が与えられ,それからは身の回りの整理もしてきた。

 その日は,必然の成り行きとして定められた。今さら考えることなど,あろうはずがない。

 しかるに土壇場で状況が一変した。

 天災によって,生命の尊さが,まさに浮き彫りにされたのだ。それはすなわち,自死することは紛れもなく罪悪である,と決めつけられたようなものだ。

 立ち止まり,いちど深呼吸をして,呪文を唱える。

『タウ・タオ・タイ』

 じつは,これは呪文なんかではない・・・実在する真実なのだ。大地震がタオであるなら,私もタオである。

 不測の天変地異に見舞われて大勢の人々が亡くなったこと・・・そのことが悲惨であってもタオであると宣告しなければならないのなら,自らセットした内部爆弾によって死することもタオであると宣言しなければならない。

 わたしは,現存するタオ!・・・同じくタオの一部分なのだ。

 

 まわりに気づくと尾山神社の近くにいた。もう来ないと決めていたけれど,これもタオなのか・・・東神門から境内にはいる。

 拝殿前の梅の木には花が凛として咲きはじめていた。北側の端のほうでは,すでに五分から七分くらいは咲いているのに,正面のほうは・・・これから開こうとしている。

 淡い薄紅色・・・吸い寄せられるように,心がなごむ。

 梅の花も,雪吊りも,白いものが積もっていたなら,よりいっそう映えるだろうに・・・一度でいいから,雪中に咲くありさまを見てみたいものだ。

 と,おもわず笑ってしまった。 無いモノねだりも,死を避けようとするのも,たいして違わないじゃないか!

 神苑のまえに立ち,再会をはたす。

 つい先ほどまでの苛立ちはいつしか消え去り,ふしぎと清々しい。藤棚には緑はなく,春は未だしの感は否めなかった。

 しずかに向き合っていると,語りかけられているような気がする・・・それで,いいのだよ。

『ならば,信じよう・・・信じて,信じきるのだ』

 自決は・・・いわば,挑戦である。

 現実がいかに変化しようとも,己れ自身を相手にする闘いは,変わりようがない。そんな,変われない自己を信じよう。

 真子を,嵩子を,そして裕子を信じよう・・・ここに在るもの,すべてを信じるのである。

 目を覆いたくなるような災禍であっても,受けいれて信じる以外に生きる術はない。どんな試練にも,信じ抜いて耐えていかねばならぬ。

 でなければ,成就することはないのだよ・・・批評家のようにつぶやく声が聞こえた。なんとはなしに微笑む。

『これでこそ,お別れだ』

 参拝はしたくない。東参道より外へ出た。

 

 家にかえると,特別番組では,東京電力福島第一原発1号機の原子炉建屋が水素爆発したことを伝えていた。

 最悪の泥沼状態ではないのか?・・・と疑いたくなるほど,テレビ報道では実際の状況が判然としない。

 

 

 

( 12 - 10 )

 

 3月10日,木曜日。

 ・・・あと三日後に迫る。

 職務に関しては,ほとんど気になるところはなかった。その日の仕事は曲がりなりにもやり遂げて次の日に持ち越さないこと,それだけを心掛ける。

 私がいなくなれば,差しあたって循環器の医師が分担して代わりを務めることになるだろう。しばらくノルマはきつくなるが,いずれ大学からドクターが派遣されるはずであるから,なんの心配もいらない。

 消え去ってしまえば,なかったように流れていく・・・それなりに割り切れていなければ,自死なんて行為はできやしない。もしくは考えないか,どちらかである。

 とはいっても心はやっかいで,裕子のことは絶えず脳裏を去らなかった。

 

 昼すぎ,勤務している彼女にメールする・・・今夜,おまえの家で夕食が食べたい,19時頃に寄ってくれないか。診療の合間に確認すると,返信が届いていた・・・わかったわ。

 

 診断書などを作成していたら,目安の時刻はとっくに過ぎてしまい,あわてて帰宅することになった。エントランス前の道路にはパールホワイトの見慣れた車が停まっていた。

 ゴメンな,と謝って,ほどよく離れたショッピングセンターへ出かける。いつも裕子はひとりで買い物をしていたから,久方ぶりにふたりで腕なんぞ組んで回ってみたいものだ。

 気持ちが通じたのか,彼女は身体を寄せて手を絡ませてくる。その顔には,ささやかだけど静かな悦びの色が浮かんでいた。ふだんはどんなにか自分を抑えていることだろう・・・ひしひしと思いが伝わってきて,どうしようもなく胸が痛んだ。たとえ死をもって自らを罰したとしても,帳消しにはならないくらい罪を重ねているのだとおもう。

 いったん自宅に立ち戻って品物を置いてから彼女の住居へと向かった。

「どうして急に,あたしんちで食事がしたくなったの?」

 そう問いかけて裕子はオーディオのスイッチをオンにした。聴きおぼえのあるポップスが流れるけれど,曲名も歌手もわからない。

「もちろん,気分転換さ!」

 よくぞ言えたもんだ,こんなデタラメ・・・と,我れながら感心する。

 できるだけ大事なことを記憶にとどめて,その時を迎えたい・・・気づいてしまうと,何としても身近な人の住みかへ行きたくなったのだ。

「インスタントラーメンが食べたいって,本気?」

「そう,おまえの作った,あの塩ラーメンが食べたくなってさ。あっ,具は入れなくていいから! なんにも入ってないヤツが食べたいんだ・・・ところでさあ,この歌は,なんて曲?」

「ファースト・ラヴ・・・宇多田ヒカルの曲だけど,これはカバーよ」

 さすがに今どきの音楽にうとい私でも,ウタダの名前は知っていた。

 近ごろの歌をあまり真剣に聴くことはない。たまにメロディが頭に残ることもあるが,歌詞に気を引かれることは皆無といっていいほど。だのに,こいつは違うんだ。やけに文句がこころに沁みてくる・・・きっと裕子のことが重なるからなのだろう。

 

 4階にある3LDKのマンションに着いた。11年前に新築で購入,彼女は2LDKタイプに改造して住んでいる。

 思ったより腹が空いていた。さっそくビールで乾杯し,買ってきたばかりの惣菜を口にする。そのあいだに裕子がサーモンサラダを作ってくれた。

「このサーモン,北海道の友達が送ってくれたのよ」

 なるほど厚切りなのに,とろけるようなおいしさだ。アルコールにも抜群に合うから,みるみるうちに角瓶の水割りを3杯飲んでしまった。 あとは例のモノを待つとしよう。

「はい,ただの塩ラーメンですよ。どうぞ,召し上がれ」

 リクエストするなら他の食材にしてくれない,といった料理人の嫌みが込められている。でも,忘れられない,とっても懐かしい味なのだ。で,それは素の品(スのシナ)でなければいけない。味が薄まってしまうか,または変わってしまうか,になるから。

 学生のころから食べているが,裕子の拵える素ラーメンの味を知ってから,自分でつくる気がしなくなった。食べる状況に応じ,タイミングを見計らって早めに麺をあげる・・・それがコツだと分かっていても,私のつくったヤツはイマイチおいしくない。要するに,料理センスの差ということだろう。

「めちゃくちゃうまいよ! アリガト」

「最近は,そうでもないけど・・・むかしは酔っぱらうと,しょっちゅうラーメンが食べたいって言ってたわね」

「そうだっけ?」

 惚けてみせたが,私も思い起こしていた。ここへ引越してくる前のアパートは2階にあって・・・あまりよく覚えていないが,たしか2LDKでキッチンは対面ではなかった。

 あの夜も,かなり酔っていた。なにか食べるものあるかな?・・・と呟いたら,具なしのラーメンならできるわ・・・おまえはそう答えた。じゃ,それでいいよ・・・って,頼んだのが最初。

「はじめてウチへ来てくれた日・・・せっかく誘ったのに,あなたは塩ラーメンを無言で平らげて,そのまま横になってしまったのよ,おぼえてる?」

「ラーメンのことは分かるけど,あとはさっぱり・・・」

「ちょっぴり淋しかったわ。でも,寝顔を見ていたら許せてしまった・・・」

「ホント,わるかったな」

 ふと見やると,彼女の目は潤んでいた。

「どうした?」

「・・・」

 返事がない・・・変なこと,喋ったかな?

「ちょっと思い出したの・・・」

「なにを?」

「・・・」

 おたがい言葉に詰まる・・・ナミダは,いずこから? 顧みても思い当たるふしはない。たった数秒の沈黙,それがすごく長く感じられた。

「ぜんぜん身に覚えがないって・・・しあわせなことね」

 憮然として心の中でつぶやく。あの頃だったら,あるいは思い返せたかもしれないが,いまとなっては無理というものだろ!

「敷き布団に移ってほしくて呼びかけたら,あなたは,けんめいに起き上がろうとして・・・だけど,ふらふらと倒れ込んでそのまんま縺れあった・・・」

 だからといって,オレが激しく非難を受けるほどのことでもあるまい。

「そして,半分眠っていながら,あなたは必死で飛び込んできて,果てることなく深い眠りに落ちていってしまったわ・・・」

 それで,ナニ?・・・「わたしのカラダのナカで」

 ん?・・・待ってくれ! そいつなら夢ではなかったのか? かすかに現実ではない映像として頭に残っている。が,勘違いだったとして,だいたいナミダと,どのような関係があるというのだ?

「妊娠したのは,そのときだけ・・・」

 忘却のかなたに置き去りにしていた疑問が,またたく間に呼び覚まされて,しかも瞬時にして氷解した。

 そうか,そうだったのか・・・あの日,そんなことがあって,おまえは妊娠したというのか!

「なのに・・・あなたを失ってしまうのが怖くて,取り返しのつかないことをしてしまった・・・」

 断腸の思いで受けたであろう掻爬のことを言っているのだ。眼からナミダがボロボロとこぼれる。

「おろかだったわ・・・あとでまた,命を授けてもらえるんじゃないかって,心の片隅で期待していたのよ。あぁ・・・どうかしていたわ。あの子を蔑ろにしたから,バチがあたってしまったんだわぁ」

『バチがあたるとしたら,オレのほうだよ・・・』

「・・・いまだに悔やんでも悔やみきれないの」

 今もって深い自責の念にかられる裕子のすがたは,見るに忍びないほどココロにこたえた。そういえば,麻酔の覚めぎわに発せられた,あのうわ言にも本意が明かされていた。

『守らねば!・・・この子を,わたしが守ってやらねば!』

「ヒロコ・・・」

 いかなる言の葉も無意味に感じられ,おもわず彼女を抱き寄せる。そのあと二度とふたたび命を授からなかったのは,オレが妊娠を避けたから・・・さぞかしおまえの胸には悔しさが募ったことだろう。

「ごめんな・・・」

 つくづくイヤになってきた。またもや自分の身勝手さを思い知らされる。

 ・・・それでも,いまさら自己は変えられぬ。使命をまっとうして最期を遂げることは,どうあっても譲るわけにはいかない。

 

 おもえば,いつだってわがままを押し通しているのだろう。この日もつまりは同じことであった。

 

 人生の幕引きをするという覚悟は,気がつけば,みだらな欲望へと繋がっていった。思いのたけを込めて愛しき人を抱いていたのだ。

 さっきのナミダいっぱいの顔が浮かんできて,ラストは自然にまかせて裕子と一つになろうとおもった。

 コトが終わったとき,潔さは消えて無くなっていた。惨めな気持ちに陥っただけのことだった。この世での仕納めに一体となって果てたことは,卑怯そのものとしか言いようがないではないか!

 

 夜明け前,自宅まで送ってもらう。車のなかで,もう一度ファースト・ラヴを聴いた。

 

 

 

( 12 - 9 )

 

 3月9日,水曜日。

 その男性は心臓血管外科を受診し,外科的血行再建術は決定した。自己血保存の期間を考慮して4月5日の施行予定となる。

 

 退院するさい,患者が訊ねてきた。

「手術がうまくいったら,百歳まで保証されるだろうね」

 白寿を超えて生きるとは,そもそもどういったことであるのか,知っているのだろうか。

 現代では,九十代の人の診療は外来でも珍しくなくなったが,自立した患者はきわめて稀なのであって,ケシ粒ほども私には望みたくない将来である。そのせいか,つい言い放ってしまう。

「たしかなことは,ここで手術を拒否すれば,長生きは絶対ありえないってことかな。平均寿命だって難しいだろうけど・・・どうする? キャンセルしてもいいんだけどね」

「いいわけないよ! 先生も,いやに酷な言いかたをするね。ちゃんと手術は受けるから,患者に希望を持たせてほしいよ」

 いかんな・・・いつのまにか自分の領域に入り込んでいた。

「信じる者は救われる。立ち向かっていけば,なんとかなるもんだよ。夢が叶う可能性もじゅうぶん出てくるね」

「ありがとう,先生。おれは,挫けないよ」

 やはり言えない。もう主治医をつとめられない,とは告げられなかった。ということは・・・インターベンションが成功していれば,すべての心カテ治療が終了するまで,決行の日は延期せざるをえなかったであろう。

 

 なんとなく障害が避けられている気がするのだ・・・これが,タオなのか?