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真子が東京へ帰ってから,嵩子とは気兼ねなく逢える状況に置かれたのであるが,これまでと同じように私はたずねる回数を制限して付きあっていくつもりでいた。
というのも,嵩子は変わりつつあった。
9月,真子が金沢を離れる準備に追われながらも送別会へ出かけたとき,久しぶりに嵩子のもとへ足を運んだ。
そのおり見慣れた部屋に入ってすぐ目にとまったものが,鴨居に貼られたコピー用紙・・・それには筆ペンで詩歌的なものが書き記されていた。
『小さきは小さきままに 折れたるは折れたるままに』
そういえば,近ごろの嵩子はナニカを悟ったような雰囲気があって,ひと頃のように過敏なこころで物事を悪いほうに決めつけることもない。詩句はちょうど彼女のこころの持ちようを言い表しているみたいだった。
この句は,嵩子と逢わなくなった後年に調べる機会があって,曻地三郎という著名な教育者の詠んだ和歌の一節であることが分かった。
『小さきは小さきままに 折れたるは折れたるままに コスモスの花咲く』
どのような経緯で彼女がウタに出合ったのか,詩句にかんして言葉を交わしたことはなかったから今となれば知るよしもない・・・が,それは分からなくとも,いつまでも色褪せない安らぎさえも覚えるフレーズは,ずっと嵩子と対をなして私のココロの泉にある。
もう一つ後年になって確信を得たことがある。 例の発作のことだ。
クリスマスイヴの大事件以降,彼女と逢瀬を重ねていてもそれまでのことがウソのように発作は一度も起こらなかったので,いつしかキレイさっぱりと忘れ去っていた。
ところが離れて暮らすようになってからは,嵩子のことを思いだすたびに決まって,あの発作の正体はいったい何であったのか・・・と気にかかり,医師としても強い関心を抱くようになった。
思い返してみると,多彩な様相を呈していたので普通には単一の疾患とは考えにくい。けれども背景には共通点があった。言うまでもなく精神的ストレスである。それを手掛かりにインターネットで検索を重ねるうち,記憶にのこるすべての異状を説明可能な,ある疾患群におもい至った。
以前は多重人格と呼ばれた解離性同一性障害はあまりにも有名であるが,それ以外にも解離性障害は存在する。彼女の場合は,DSMによる分類では特定不能の解離性障害ということになるようだ。
よくよく思い起こしてみると,一度だけ解離性同一性障害を疑いたくなる場面があったが,目にしたほとんどは神経麻痺おもに運動麻痺をともなった解離性障害の状態であって,見方をかえれば転換性障害の合併とも呼ばれる病態なのであろう。種々の程度の震えや痙攣および硬直をみとめたのは,完全麻痺が生じるさいの初期症状ではなかったかと私は考えている。
しかし,外見による分類はどのようであってもかまわない。大切なことは,精神の内部で起こっている緊急事態が原因ということだ。それと強調したいのは,嵩子はふつうの女性であるということ。
拘禁反応なる用語がある。刑務所などに監禁された人たちが示す心身の異常をいう。この異常反応は,拘禁状態という特殊な環境が障害を引き起こす大きな要因となっている。
わたしは声を大にして言いたい!
解離性障害は・・・精神になんら不具合を有しない人であっても,環境によって引き起こされることがあると。
もちろん厳密には個性が関係していないわけではない。しかしながら,人の本質である相対的依存性が最悪のシナリオで機能せざるをえない空間では,閾値の違いがあらわれるとしても,個性は重要な要因とはならない。
解離性障害は普通の人でも起こりうる。ただ普通の状況では起こりえない。また時間がかかっても起こらなくなるならば問題提起はされないであろう。さらに普通でない状況が改善されるならば再発はしないであろう。そういう事情があるがために解離性障害は正しく認識されていない。また解離性同一性障害ばかりが注目されるせいで,他の解離性障害の実態は世に埋もれているような気がする。
解離性同一性障害を発症する人の多くは,幼少期に心的外傷いわゆるトラウマを受けていることが知られている。いっぽう日常生活で一般に見うけられる解離性障害の人は,幼いころにトラウマを受けているとは限らない。その真相は特殊な環境に対する自己の防御反応,すなわち現実による精神の拘禁と葛藤からの逃避反応なのだ。
ただし注意すべき点もある。反応を引き起こした環境自体が,個人によっては広い意味でトラウマとなりうることだ。さらに個性が絡んで障害が重くなってしまう可能性がある。
いまさら難しいことは言うまい。嵩子は信じていた私に完全に裏切られ,それでも生きるために私を信じようとして,信じることができない現実に閉じ込められ悩み苦しんだのだ。そこには私の資質と言動が大きく関与している。もし相手が私のような人間でなければ,彼女は解離性障害を引き起こすことはなかったに相違ない。
また,ある時期以降に解離性障害がみられなくなったのは,信じようとしていた真実が・・・ほんの僅かであったにせよ,まぎれもない現実となったからである。この僅かばかりの救いの手によって彼女の内部は少しずつ変化しはじめ,その先いっさい解離性障害は起きていない。
11月も半ばの週末,4年と何ヶ月かぶりで,嵩子と千里浜をドライブする。
実際には,そのかんに真子とふたりで数回ドライブに来ていたけれど,よけいなことを告げる必要はなかろう。いつもどおりに今浜ICで能登有料道路を降りて,なぎさドライブウェイへ向かった。
標識とは別ルートを抜けていき,砂浜の波打ちぎわを秋の風に煽られながら愛車をゆっくりと走らせる。
・・・じつに爽快で,気分はサイコウ!
しばらくノロノロ運転し,海に向かってクルマを停めると・・・目の前には一面に広がる日本海。
おもわず降りて一服する。 砂浜にナンなくふつうに駐車できることがとても素晴らしい。 秋の終わりの日本海は少々荒々しいが,波のうねりが厳しさを秘めていてナンともいえない景色だ。
潮騒が風に吹かれて力強く心地よく胸に響いてくる・・・時間がたつのも忘れてしまいそう。
・・・であっても,どこかで踏ん切りをつけて歩き出さねばならぬ。
「あの店へ行こうか」
海を眺めたままつぶやくと,「うん」と嵩子はこたえた。
砂浜のドライブコースの一区画に大きな屋台風の焼き貝売店が並んでいる。スピードを緩めて看板を確かめながら前を通り過ぎようとすると,店の人がお辞儀をして呼び込みをする。
『わるいけど,入らないよ』
運転しながら独りごちて,かつて行きつけだった店をさがす。
「あそこ! いちばんはし!」
彼女の声につられて目線を動かすと,間違いない,立ち並んだ店の向こう端に懐かしい名前が見えた。
「あらぁ,いらっしゃい! すごく,久しぶりやね・・・」
「こんにちは! ホントに,ご無沙汰してました」
嵩子は気持ちをこめて挨拶をかえす。店のおばさんの顔を見るのは何年ぶりだろう・・・真子と一緒のときは他の店を利用していたから。
「ぜんぜん顔を見かけなくなったから,どっかに引っ越しされたんかと思うとったけど,元気そうでよかったわ」
この店でも私はあまり喋らない。ほとんどの受け答えは彼女がする。
「ごめんなさい。忙しくて,なかなか来られなかったのよ。ところで,ことしは端っこだったね」
「クジだから・・・こればっかりは仕方ないもんね。でも,来年は真ん中に決まったから,また来てちょうだいね。きょうはナニ食べる?」
「ハマグリと・・・万寿貝ある?」
「ごめんね,もう無くなってしもうたから・・・」
前々から来たときには売り切れないかぎりかならず,このあたりでは万寿貝とよぶ白貝を焼いてもらった。たくさん仕入れてあるようなら,刺身や半焼きを追加することもあった。
「ざんねん! それじゃ,イカ焼きと,おでん,おねがい」
「はぁい」
「あっ,それとビール!」
「アサヒとキリン,どっちにする?」
「キリン」
おでんはレトルト食品であるが,この時期の浜辺は薄ら寒くて,とにかく暖かいものがいいのだ。
ビールをグラスに注ぎ,二人でカンパイ!
一番よく食べにきた時期で,平均月1回ほどのペースだった。店は3月20日前後から11月末日までの営業だから,その年には10回くらい来ていたことになる。
店に入ると夕日が沈むまで食べながら飲むことが多かった。それでおばさんに勧められて,角瓶のボトルを持ち込んでキープしたこともあった。水割りなど当然メニューにはなく,氷も水もタダだったから,ずいぶんとおばさんの厚意に甘えていたものだとおもう。
この店だけは夕日が沈んでもお客が帰るまで付きあってくれた。夕暮れに旦那さんが迎えにきて,カウンターの端っこで一杯飲んで待っていたのだが,嵩子はおじさんとも仲良しになった。
にわかに店が込みはじめる。海をながめようとカウンターに背を向けた。
「いつ見てもいいね」と,嵩子がつぶやく。
「あぁ」
いまの二人に言葉は要らない。しかし,未来のためには必要だ。
「タカコ・・・」 彼女の耳元でささやく。
「なぁに?」
「先月,かのじょが東京へ帰ったんだ」
「・・・」
「つまり・・・結婚はしない」
「どうして?」
「どうしてかな・・・なんて言えばいいのか分からない」
「わたしのせい?」
「無関係といえば,うそになるけど・・・タカコのせいじゃない」
「でも,やっぱりわたしのせいみたい・・・」
「ちがうんだ。おまえのせいじゃない」
それを伝えなくては・・・「いろいろあって,結局おれは,結婚できない人間だと分かったんだ。だから,タカコとも結婚できない」
「いいわよ,わたし・・・もう結婚はあきらめてるから。でも・・・自分のために,あなたのそばにいたいとおもってるの」
「結婚できなくてもいいのか?」
「かまわないわ」
「おまえはバカだな」
「そう,わたしはバカみたい」
不意に・・・むかし誕生日に彼女が来てくれて,互いにアホだと認め合ったときのことを想いだした。あれから相当に変わったつもりでいたが,本質の部分では何ひとつ変わっていないのだろう。要するに,三つ子の魂百まで,ということか。
「あのときのまんまだなぁ,おれたち・・・」
「えっ」
「いや,なんでもない」
カウンターのほうへ向き直って,おばさんに声をかける。
「ビール,もう一本」
「はぁい・・・キリンだったね」
そう,と返事して,グラスに残っているビールを一気に飲み干した。
「きょうは,あと一本飲んだら帰ろう。夕日はダメそうだしな」
「わかった・・・でも,ハマグリはもう一皿食べたいな」って,嵩子。
「ぅん,いいね」
「すいませぇん,ハマグリ,あと二皿お願いしまぁす」
精算のとき,おばさんが缶コーヒーをサービスしてくれた。運転はちょっぴりしか飲んでいない嵩子がしてくれる。
海辺を離れるまえに,来たときと同じ波打ちぎわにクルマを停めた。シートをたおし,波風のここちよい音を聴きながら,いつものように少し眠ることにした。
目を閉じると,こころの奥に向かってつぶやく自分がいた・・・なんでオレは,こんな生き方をしているのだろう?
距離を置きながらも嵩子と私は,いままでよりもいい感じで互いのところを時おり行き来した。いわば,バツイチ同士みたいな関係? まあ,結婚歴がないので例えも当てにはならないけれど。
真子とは・・・研究会などで東京へ出かけたさいに,ふたりの都合がうまくあえば食事をすることもあった。
ちょうどこの頃,一般病院でも冠インターベンションというカテーテル治療が通常に行われるようになり,その技術や用いる医療機器も飛躍的に進歩するなか,循環器医師として私も多忙な毎日を送っていたのである。