( 7 - 2 )

 

 こうした状況のなかにも,否こうした状況だからこそ,結婚に向けての準備を考えはじめる。

 指輪なんか嵌めないからオレは要らない,式は内輪で済ませて教授や上司を呼んでの披露宴はやりたくない,医局のしきたりを破るからには新婚旅行にも行かない・・・そんな虫のいいハナシを真子は文句も言わずに聞き入れてくれそうであったが,正式に契りを交わしたわけではなかった。

 まずは自分の気持ちをカタチにしてきっちり彼女に示し,契りを結ぶことが重要ではないか。そのうえで具体的なことを順番にきめていくこと。

 

 ゴールデンウィーク後半,渋滞をかくごでドライブに出かける。

 どこかスカッとするとこへ連れてって・・・と真子に注文をつけられ,加賀インターチェンジから吉崎御坊北潟湖経由で東尋坊へ。

 タワーの前は案の定クルマでいっぱい,係員に臨時駐車場へ誘導されてしまったので,こうも人出が多くては断崖絶壁の魅力も半減か? と思いきや,遊歩道をすすんでいけば大自然の迫力は絶大,これはすごいわって真子も感慨無量といったようす。

 匂いにつられて海鮮焼きに舌鼓を打ったのち,軒をつらねる土産物屋で彼女が見入っていたものは天然石・・・さまざまな色が混ざり合って不思議な輝きを放っていた。

「このあたりで,とれるのかしら?」

「さあなぁ・・・」

 テキトウに返事をしつつ,エンゲージリングのことに思いをはせる。こっそり購入してビックリさせたいところであるが,サイズがわからないことにはできかねるプランだ。それとなく訊いてみる?・・・にしたって,正確でなければあとで直さねばならない。いっそ秘密裡に進めるのはあきらめ,直接本人の指に合わせて買ったほうが無難かつ確実というもの。

「石もいいけど,近いうちに指輪を買いにいこうか」

 真子はニッコリして「それって,いつ?」

「ん・・・今月かな」

 手に取っていたキレイな石を,彼女はすんなり元の場所にもどした。

 

 5月末の,たぶん土曜日,武蔵が辻の名鉄丸越で真子と待ち合わせる。

 考えてばかりではなくて少しでも前へすすむこと! とりあえず彼女が出版社の人から聞いたという宝飾店をたずねてみることにした。

 その店はデパートの裏通りにあって,こぢんまりと営業していた。

 用件をたしかめると,店員たちは熱心に辛抱づよく説明をくりかえし,知識をほとんど持ち合わせない私たちにそれ相応の品を売り込んだ。生涯に一度っきりの贈り物が安物であってはいけない,値段的にもイチ推しのそいつから目を背けることができず,結局0.4カラットのダイヤモンドリングを注文したのだった。

 VVS-2の透明度,価格は83万円・・・こんにちであれば,それほどクラリティやカラーにはこだわらなかったことだろう。リングには初めて結ばれた記念パーティの日付を刻印してもらった。

 

 7月に入って梅雨空がつづく。

 その年,七夕は日曜日。 前日の土曜から,久しぶりに真子と東京へ出かけて羽をのばした。上越新幹線の東京駅乗り入れに気分は上々,あいにくの雨も都内では降ったり止んだり・・・予約しておいた溜池ちかくのホテルに着いたのは20時ごろ。

 六本木はいつものように若者でごった返していた。混んでる店には入る気になれず,赤坂通り界隈の知ってる店でホドホドに食事をすませ,そのあとホテルに戻って36階のラウンジへ・・・ぜがひでも夜景の見えるところで,スパークリングワインで乾杯を!って考えていた。

 むろん選んだのは,シャンパン。テイスティングなど一連の手順が儀式のごとくオレの心意気を鼓舞する。

 ソムリエがテーブルを離れるのを待ってから,おもむろに前々日受け取っておいたエンゲージリングを彼女の目の前へ差しだした。

 右手はケースに添えたまま,さりげなく提案するつもりが,真子の瞳をじっと見据えて・・・わざとらしく告げる。

「来年,結婚しよう」

 ほんの瞬間,なんともいえない歓喜と期待の入り混ざった顔色に・・・オレは腕をひっこめながらも真子の微妙な変化を見逃さなかった。

 さっそく彼女は慎重にリングを取りだし,左薬指に嵌めこむや,ひかえめに翳しつつ・・・「アリガト」

 うなずいて真子は微笑んだ。視線には了承の意が込められている・・・わが願望,ここに叶えられたり。

「おれたちの,これからにカンパイ!」

 合わせたグラスの澄んだ音色は,しずかに波打ち,無上の心地よさを醸しだした。夜のすばらしい大都会の眺望と相俟って,日ごろ背後にのしかかる板挟みの重苦しさも吹き飛んでいく・・・。

「8月,夏休みをとって旅行に行こうか」

 しぜんと今やりたいことを口にしていた。

「ホントに?」って真子。

「ほんとに!」

 彼女は笑顔を絶やさずに小さく頷いた。「どこへ行きたい?」

「夏は・・・北海道かな」

「北海道に婚前旅行か・・・いいね」

 

 その夜,私と真子は激しく幾度も求めあったのだった。

 

 

 

 東京へ行った次の週,大学病院の医局に私宛ての手紙が一通届いた。差出人はなかったが,筆跡で嵩子からだとわかった。

 

   あなた・・・

   「彼女が好きだから結婚する!」

   どんな言葉も・・・

      どんな思いも・・・

         尽くしても,尽くしても・・・

   その心,その思い,

      その決心にはかなわない・・・

   一番聞きたかった,

      一番納得できる,

         一番・・・

         一番・・・・・・

         悲しい言葉・・・・・・・・・

 

   かなわないよ・・・

   それでも・・・

      それでもあなたが好き

   世界で一番!

      この世で一番!

         だれよりもあなたが好き!

   愛しています

 

   あなたはわたしの命!この心は変わらない!

 

   死んでもあなたのそばを離れない!

      離れることなんかできないよ!

 

         愛しています・・・

         6月の終わりに・・・ 嵩子

 

 時刻がくると,仕事を中途で終え,大急ぎで嵩子のアパートへ。

 息せき切って「きょう,テガミ読んだよ」って告げると,「わたしの心は変わらないから・・・」って答え,近頃にしては珍しく彼女はおだやかだった。嵩子を抱き寄せ,そのまま欲望に身をゆだねる。

 いつもは真子の顔がちらついて性欲のおもむくままに行動しきれない自分がいたが,このときは愛のこもった手紙に刺激を受けたのだろう,たかぶる嵩子への気持ちが真子をすっかり頭から追い払ってしまった。

 嵩子が落ち着いてくれば,ジレンマの状況にも順応できるかもしれない,と帰宅の道すがら楽観めいた気分になった。

 けれど・・・いかに安らかに感じられるときがあったとしても,良い方向に事態が向かうことなどありえない空想に過ぎなかった。