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 真子が金沢を去ってから3年が過ぎ,やがて冬を越して,私はいつしか41歳の誕生日をむかえた。

 それから少し経った4月の中旬・・・ちょうど花見の時期がおわったころ,私にとって予想外の事態が起こった。生まれ故郷の富山県で一人暮らしをする母が,子宮がんを患って地元の総合病院に入院したのである。

 急なことで連絡を受けた当日には時間の都合がつかなかった。日ごろは肉親のことなどまるっきり忘れて生活していたくせに,この時ばかりは不義理を重ねたぶん余計に母の病状が心配になり,元気づけるために一刻も早く行かねばという焦燥感に駆られた。

 次の日の午後,勤務を早退して高岡市へと向かう。

 車を走らせながら取りあえず入院時に用意するものが気になったが,着いてみると母の友人が骨を折ってくれたようで案じるほどのことは何もなかった。ただ,なにかしらこころに引っかかるものがある。ふしぎにも知りもしない父親のことなのだ。

 おもうに,家族の意向を考えてしまう医師の習性であったのだろう。

 

 私は,父に会ったことがない。幼いころに会っていたのかもしれないが,記憶に父親の顔はない。母は,私が成長してからというもの,父のことに関して口を開こうとはしなかった。

 行った日の夕暮れどき,ようやく病室でそれなりに過ごせた母は近ごろの体調についてあらまし言い終えると,だしぬけに父親のことを語りだしたのだ。

 

「コウちゃんのお父さんは,じつは医者だったのよ・・・」

 母はナースとして定年まで働いていた。自分が医師になって医療の職場がわかるからだろうか,打ち明けられても私には大して驚きはなかった。

「びっくりした?」

「いや,べつに。おれは,親父にはまったく興味がないから・・・」

「コウちゃんは,医者になったからじゃないけど,あの人にとても似てるっておもうわ。うれしいことなのにね,どうしてかしら,不安に感じるときもあったのよ」

 笑みを浮かべる母がふいに真顔になった。「あの人には,よくわからないとこがあったから・・・」

 こんな年になって親父のことを聞かされも仕方がないとおもった。しかし母の言葉が妙に頭のなかで反響して消えていかない。

 いままで私は,自分の性格をだれかから受け継いだ,などと考えたことは一度もなかった。いかなるときも父親の存在は私の思考から欠落していた。それでいて,抗いがたい内なる本質は生来のものと信じて疑わなかった・・・どんな時代に生きていようとも変わらぬと自負するくらいに。

 言うまでもなく,突然変異が起こり,母親には似ないでこの世に生まれてきたと思い込んでいたのである。

『父がいようがいまいが,オレには関係のないこと・・・どのような状況にあっても常にオノレであるのみ』

 これまで少なからず普通でない自己に悩まされてきたから,自分と似ている人間がそう簡単に身近にいるとはとうてい思えなかった。父親といえども例外ではない。それゆえ「似ている」と言われたときにはかなりの抵抗を感じた。同時に,はじめて父に興味をもったといえるかもしれない。

「よく分からないって,どういうこと?」と,母に訊き返した。

「わたしはあの人が大好きだったけど,あの人は本当にわたしのことが好きだったのかしら?」

「好きだったから,おれが生まれたんだろ」

「それほど単純でもないわ。あの人には奥さんがいたんだし,あれこれ噛み合わないとこがあったから・・・」

「なるほど,まあまあ分かったよ」

 母親の境遇を自分なりに想像していたが,こうして直接に聞いて,やっとすっきり納得できたような気がする。

「なにがわかったの」

「おふくろが,親父のことを話さなかったワケ・・・」

「いつか訊かれたら,かくさず答えようって,いつもこころの準備はしていたわ。だけど,コウちゃんは訊こうともしなかった・・・そんなとこが,あの人にそっくりなのよ!」

「・・・」

「コウちゃんが大学で留年したときも,なにがなんだかわからなかった。なんにも教えてくれないから,変なことばっかり考えちゃったしね。コウちゃんを信じていたけど・・・やっぱり理解に苦しむとこがあって,なんとなく怖かった。怖いというより・・・寂しい感じかしら。あの人と別れる羽目になったときのような・・・別れると決まったら,あの人の心の中からわたしの何もかもが,いろんな想い出もひとつのこらず消されてしまいそうな気がして,あまりにも自分と違いすぎて寂しくてしょうがなかった・・・」

「思い出を消し去るなんて,だれにもできやしないさ」

「そうよね・・・あの人とは年齢が13も違っていたから,きっとわたしが幼かったんだとおもうわ」

『ちがうよ』

 と,おもわず心のなかでつぶやいた。ここまでの内容で十分だった。まぎれもなく私は,親父の血を引いている・・・母の漏らした父親の印象のなかに自分を感じないではいられなかった。

「ところで,その人は生きている?」

 べつに会いたいとは思わない。ただ,生死は気になった。

「十年前に,67歳で亡くなったわ。知らせてくれた人のハナシだと,肺がんだったみたい・・・すごいヘビースモーカーだったからね」

「それじゃ,おふくろの見舞いには来れないな」

「あたりまえじゃない」

 母は笑って窓から空を見上げた・・・過ぎし日を懐かしむかのように。

 

 

 

 幼いころから慣れていたせいか,私には父親のいない生活がさほど苦ではなかった。「コウちゃんには事情があってお父さんはいないのよ」・・・そう母は言っていたが,「どうして?」という疑問に対しては「さっき事情があってと言ったでしょ」と答えるばかりで,真剣に取り合ってはくれなかった。

 いつとはなしに私は,いっさい父のことを訊かなくなっていた。それは母のためであろうとも,あくまで自分のためであった。

 そうして自我に目覚めてからは,他人の言うことが素直に聞けない自己を意識しだした。

 どんなことでも『自分のために』するのであって,どうあっても誰かのためにはしたくない。相手のためであろうと自分の理由に置き換えて行動し,置き換えるのが難しい場合には『とにかく自分がしたいから』ということで締めくくった。もちろん己れがやりたいと思わないかぎり,人になんと言われようが絶対やりたくはない。

 たとえ相手が父親であったとしても同じこと。結局のところ,自分自身にしか従えないのであれば,父親がいなくても関係がなかった。いない方が却って好都合だとさえ成長するにつれて思うようになった。

 

 そんな自己一辺倒で天の邪鬼なオレが,思春期になって一人前に同級生に恋をしてしまった。片想いの初恋に過ぎなかったけれど,彼女のためなら己れのため,命も惜しくないと思い詰めるほどに本気だったのだ。それ以来,彼女以外のいかなる女性にも心ときめくことはなかった。

 ちがう高校に通うことになっても頭の中は彼女のことでいっぱい。そのくせ告白するチャンスも作れないまま,ときどき図書館で出逢うことを糧として想いをどんどん膨らませていった。

 ところが,ある日の午後,とんでもない場面に出くわしてしまい自分を見失いそうになった。

 突如として自転車に乗って目の前にあらわれた高校生らしき男女一組。

 いわゆる二人乗り! 学生服をきたオトコのからだに手をまわし,うしろの荷台に横座りして楽しく談笑しているのは・・・なんど見直してもセーラー服すがたの彼女。 その光景が瞼に焼きついて離れそうにない。

 なんにしても,忌々しい男は前を向いて運転し,彼女はそいつに夢中のようにみえる・・・おそらく二人に見つからずにすんだのは幸いだった。なぜなら真っ青な顔をしてオレは茫然と立ち尽くしていたのだから。 釘付けになって一歩たりともカラダを動かせず,視界から侵入者が消え失せるのを見守るよりほかなかった。

 あとになって彼女が高校の同級生と付きあっているうわさを風の便りに聞いた。それが事実であろうとも私の恋の熱が冷めることはなかった。

 

 独りよがりの愛が健全に育まれることはなく,高校生活の三年間がまたたく間に過ぎ去っていった。

 肝腎の大学受験のほうは母の期待を裏切るまでの志望学科はなく,なんとなく医学部入学をめざしていたのであるが・・・勉学に身が入ろうはずもない。当然ながら現役合格の夢かなわず浪人の憂き目にあったのだった。

 貧乏な母子家庭の家に,息子を予備校に行かせるだけの経済的余裕があったとは思えない。奨学金も大学に入学しなければ貰えない。もはや自宅浪人の覚悟はできていたのだ。

 とはいうものの,母のたっての願いを拒絶することには耐えられず,地元の二流予備校へ通う手続きをとった。振り返ってみると,じっさいにそれだけの価値があったとは言いがたい。

 毎朝,大学生のように登校したところで,予備校の面白くもない講義に出席する気にはなれなかった。かわりに校舎前の喫茶店に出入りして,日中の半分はマンガを読んで時間をつぶした。有線放送では岩崎宏美のデュエットやロマンスが繰りかえし流れ,聴くたびに彼女への想いが募っていった。

 

 10月になっても未だ受験生に成りきれない生活をしていた・・・あの頃。

 永遠の超大作と銘打ってテレビで初放映されたのが,映画『風と共に去りぬ』であった。

 名作を見のがす手はないだろう・・・最初はごく軽い乗りで見たにもかかわらず,終わってみれば,原作を読みたくなるくらいに感銘を受けたのだ。

 とりわけクラーク・ゲーブル演じるレッド・バトラーの魅力に引きつけられた。さっそく図書館から原作を借りてくる・・・一週間と経たないうちに読みあげて感じたことは,どうしようもないオノレの不甲斐なさであった。

 

『自分の想いを伝えられないで,どうしてオトコといえるだろうか!』

 

 後篇が放送されて気持ちが昂ぶったままの翌週。

 通学する彼女をバス停のちかくで待ち伏せしたのだ。じつは地元の大学に入学したのは知っていたのであるが,それまでは浪人している負い目があって彼女に声をかけるなど思いもよらないことだった。

『でも,きょうからは,ちがうんだ! 変わらなくてはいけないんだ!』

 目を皿にしてバスから降りてくる人たちを食い入るように見つめた。若い学生風の女性が見えるたびに心が揺れ動いて,そのつど落胆する。

『もしかして,来ないのかも・・・あきらめようか?』

『いや,待とう・・・とことん待ってみよう。どうせこんな気分で授業に出たって,まともに勉学なんかできやしないんだ』

 3時間は待ったであろうか,いきなり目に飛び込んできたのは,着いたばかりのバスから一人目に降りてきた美しい女性・・・やったぜ,間違いない!

 いとしい彼女が大学へ向かって歩きはじめた。あわてて後ろから駈け寄って必死に呼びかける。

「おはよう」 それが私の第一声であった。

 あいさつが変だとは気づかなかったから,相当に緊張していたのだ。むろん彼女はびっくりした顔色をみせる。

 そして・・・こう返事をしてくれたのだ。

「もう,お昼なのよ・・・」

 単なる同級生に対する憐れむような言葉であっても,私はうれしかった。

 

 無難に彼女は接してくれたが,よくよく思い返してみると,大変な迷惑を蒙っていたことだろう。私のやり方はあまりに一方的・・・相手の心より自分の想いだった。

 三度目に逢ったとき,尾山神社神苑にむりやり彼女を誘った。

 そのころの私といえば・・・神社に来ては池のまえの縁台にひとり座って物思いにふけるのが習慣のようになっていた。境内にある神苑の佇まいが,ことに池に突きでた藤棚が気に入っていた。

 まさに天にも昇る心地であった!

 人生のなかで最もココロを躍らせた日・・・わたしは彼女といっしょに神社へやって来て,自分にとって特別な場所へと案内し,狙いどおりにふたりで縁台に座ることができたのだ。

 

 いいことばかりじゃないのが世の常,月日は無情に過ぎていき,12月。

 かなり焦って受験勉強に打ち込んでいた。この時期,近づくクリスマスのせいで,なおさら気が休まらなかった。

 二度とないチャンスを逃すわけにはいかないではないか!

 イヴの日に手渡しするのは無理であろうから,その前の週に勇気を出してプレゼントしたのだ。

 ・・・誕生日祝いも兼ねて,緑色のスカーフを!

 

 おもえば,生まれて初めて女性に贈り物をしようとして,殊のほか苦心する羽目におちいった。

 先ず,相手の意向は知るべくもないので,自分の好みでスカーフをおくることに決めるまでは支障なくすすんだ。

 次いで,買いに行くしか方法はないとして,どこでどのようにして買えばいいのか? デパートで買うとして,どのようなタイプのものがいいのか? 何色が似合うのか? 

 まるで分からない。迷う以前の段階で自信がもてなかった。

 悩みに悩んだすえに下した判断は・・・自分ひとりで選択することは困難であるということ。それで予備校の若い事務のお姉さんに頼みこみ,スカーフ選びに付き合ってもらうことにした。

 そうまでして贈ったスカーフであったが,身にまとったすがたを見ることはなかった。彼女にとっては所詮,どうでもいいものに過ぎなかったのだろう。それなのに当時の私は,愚かにもプレゼントできたことで満足していた。

 

 次の年,医学部に一浪で合格した。ただし志望校ではなく,とおい地方の大学であった。

 夏休みの7月,彼女に久々に逢って,正式にどうどうと交際を申し込んだ。ところが,なんと即座に断られるという・・・笑うに笑えない現実が待ち構えていたのだ。

 オレの恋は,あっけなく終わりを告げたのだった。

 

 恋が終わった日,ココロはまさしく空っぽになった。

 一切の生きるエネルギーが中身もろともに飛び散って,ココロは機能を停止した。ただ,ただ虚しかった。

 どうすることもできなくて,あの事務のお姉さんに電話したら・・・すぐに飛んで来てくれた。だけど・・・どれだけ話しても,どれほど慰められても,いつまでたってもココロは空っぽのまま。

 かろうじて誰を頼ってもどうにもならない状況をさとり,夜遅くになって家に帰った。

 

 時間は,たしかに問題を解決してくれる。

 ココロは少しずつエネルギーを蓄えて徐々に機能を回復していった。けれども・・・恋する領域は欠落したまま決して復活することはなかった。

 私はなぜか,恋は一度きりと決めていた。つまり,恋する相手はたった一人ということ。これは変えようにも変えられぬ私の資質というしかない。

 彼女に注ぎこんだ恋ゴコロは,虚空に霧散してしまい回収することはできない。よしんば回収できたとしても彼女がいなければその必要性はない。もはや恋するココロは不要に等しかった。

 それに,恋に破れて都合のよいこともあった。

 物心がついてから,私は周囲と交わるにしたがい,何ものも持てない自分を意識するようになった。たとえば一流たらんとする人は目標をさだめ,独自のやり方を持ち合わせているふうにみえたが,如何に理解しようとしても違和感をおぼえるのだった。目標なんか私は持っていなかったし,持とうと考えたこともなかった。どんな場合であっても定まったものを持たないほうが私にはしっくり合っていたし,また現実に合わせて自分を変えることのほうが生きる上では大切なのではないか・・・したがって,恋をしているときには自らの足を引っ張っているような側面があった。

 持たないことは,根本のところで人を好きにならないことに通じている。人を好きになるということは,必然的に持たないことを放棄して相手と共に生きるという選択をする・・・すなわち合目的性の生活を持つことになる。それゆえ私は失恋したことで,自分の本質に根ざして生きることが可能になったのである。

 

 大学では文化系サークルに入った。中学校で柔道部,高校で柔道同好会に所属していたが,そのまま続ける気がしない。あえて筋違いの文化系に身を置いて,生きる意義なんぞを探ってみようと考えたのだった。

 入学した当初は,一人じゃないほうが良かった。しかし失恋してからはサークル活動にいくら励んでみても,自己と現実のあいだに埋められないギャップがあって,だんだんイヤになってくる・・・先輩と仲間からずいぶんと慰留されたが,結局は一年半でサークルを辞めるという無理を押しとおした。

 何も持てない自己から何も持たない自己へ。しだいに私は,自分の本質と向き合うようになっていった。

 すべてを持ちたくない。愛も他人も何もかも・・・持たないということすら持ちたくない。持たなければ求めることもない。求めなければ現実に起こることのみで満足できるはずである。

 されど・・・言うは易く行うは難し。私の大学生活の後半は,宿命というべき自己の追求のために費やされた。

 

 カナメのことは伝えておきたい。

 ありとあらゆるものを持たないということは,実質的に自己の占有をかぎりなく不可欠とし,それを実現しようとして途方もない時間と労力を犠牲にしなければならなかった。 卒業試験では半ば自爆的に単位を落とし,ために意に反して留年を余儀なくされた。