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 久しぶりに廣行のことを追想する。

 ずいぶんと永いあいだ,胸にしまいっぱなしだった。でも謝らないでおく。あいつは他人行儀な物言いや接し方をなによりキラっていたから。

 

 廣行は中学を卒業しても進学せず,渋谷に店をかまえる寿司屋に見習いとして奉公に入ったと聞いている。

 馴れそめや事細かな経緯は知るよしもないが,18歳で結婚し,20歳になって3月に離婚,4月に呼吸困難のため仕事ができなくなり,連休前に入院のやむなきに至ったのだった。

 私が受け持つことになったのは,単なる順番の回り合わせ。それを運命的な偶然などと飾り立てたくはない・・・互いに変わらぬものを見据えて影響されることがなかったから。

 病名は・・・拡張型心筋症。

 著しく心機能が低下しており,いずれ心臓移植を受けるしか助かる見込みはないと思われるほど心不全は重症であった。

 それでも6月上旬には退院の日をむかえ,あとの通院治療は常勤ドクターへバトンタッチする予定のところを,彼はお前が診療してやるべきだと依頼した指導医に指示され,レジデントの私が特例として9月まで外来も担当した。

 なにゆえオレが診るべきなのか?

 廣行は・・・私の弟分みたいに評されていた。当人にしてみれば承服しかねるものの,いかにも似かよった部分があった・・・むろん容姿に関してではない。彼は180センチを超える大柄な体躯の持ち主で,いい面構えをしていたが一見したところチンピラ風だった。

 土台,あいつは憎たらしいほど病気のことを訊ねようとはしなかった。この先どれくらい生きられるか保証できないと宣告しても,悲観することなく従容として現状を受け入れた。のみならず,なるだけ心不全を悪化させないよう注意を促してもほとんど聞く耳をもたないかのようであった。

 かくも不埒千万なやつにナニを助言してやっても無意味とおもったが,憂慮している母親や姉のために向後の心構えを,充分とはいえないまでもそれなりに伝えておいた・・・夜間でも受診が望ましい兆候について,救急車を迷わず要請しなければならない万一の場合について,云々。おそらく聞いていない振りをして心ではしっかり受けとめていたのではないか・・・書き綴りながら,そう思い返している。

 

 それから二年と経たない4月3日午前3時ちょうど,入院先のS病院で,彼の心臓の鼓動は22歳の若さで停止した。致死性不整脈のせいだという。

 

 最後に会ったのは,旅立った年の1月。

 気遣ってくれたのだろう・・・S病院の元同僚ドクターから,廣行が入院して担当医になったと知らせがあった。

 さっそく直近の日曜日,小松空港から日帰りで東京へ向かった。雪のちらつく寒い日だった。もつれた女性関係にひどく心を悩ましていたけれど,あいつがポックリと息絶えてしまうやもしれぬ・・・そう考えると居ても立ってもいられなかった。

 5階病棟,6人部屋の右手一番奥,窓ぎわのベッドで,かつての受け持ち患者は休んでいた。

「よっ! 元気か」と声をかける。

 さすがの廣行もびっくりした様子だった。

「冗談だろ,先生・・・どうしたんだい?」

「ついでに寄ってみたのさ。元主治医としては,このまま放っておくわけにはいかんだろ」

「わるいけど,おれはまだ死なないぜ!」

「あぁ,その分じゃ,まだまだ死にそうにないな」

 そう答えたが,病状を同輩から聞かされていた・・・近々命を落としかねないから都合をつけて東京に駈けつけた。しかし本人を目の前にして,医師として何もしてやれぬ自分がもどかしくてしょうがない。それはオレが自身で診療すれば解決する問題でもない。そのときの医療では廣行を救うことが困難ということだ。

 どちらも無駄口をたたかないので会話は続かない。病室の窓の前に立ち,感慨深い外苑東通りの風景を眺めていても,虚しさは癒やされるどころかどんどん膨らんでいく・・・。

 いかに悲惨な結末が待ち受けていようとも,その現実を受け入れて歩んでいくしか道はない・・・そうだ,オレにできることはここまでだ。

 やおら振りむいた先には,廣行の暖かい眼差しがあった。どうもオレを見ていたようなのだ。

「生きることをあきらめるなよ」

 とっさに唇をかむ・・・諦めてなんかいない,廣行は,死を迎え入れているのだ。かけてやりたい言の葉ひとつ思い浮かばないとは・・・くそっ! わが頭脳を恨みたくなる。

「せんせい・・・きょうは,ありがとな」

 バカやろう,今ごろになって似合わないこと言うなよ・・・あいつの優しい心根が胸に沁みてきて泪をこらえるのに必死,かろうじて口にしたセリフが皮肉にもラストの声掛けになってしまった。

「礼には及ばないよ・・・おまえも,元気でな」

「あいよ,先生もな」

 

 アノ日,午前3時13分,けたたましくテレフォンが鳴った。ジレンマに陥っていたこともあって,すっかり頭の中から消えていたんだ・・・廣行のこと。

 元同僚の沈んだ音声が東京から届けられる。

「亡くなったよ・・・」

 最期の状況を語ったのち「なんとかしたかったけど・・・すまない」と詫びを入れられる。

「目一杯の治療をしてもらって・・・感謝してるよ,ヒロユキも」

 

 4月5日,通夜は廣行の自宅で営まれた。

 内科部長に頭を下げ,当日の外来は中途で交代してもらった。落ち着かない気持ちのまま飛行機に乗りこむ・・・アイツの死を,どうあってもこの目で見届けてやらねばならぬ。それが私に与えられた使命のように思われた。

 江戸川区にある彼の住宅を訪ねたのは,午後4時ごろ。

 川縁にあった見窄らしい小さな家の引き戸をくぐると・・・すぐに目が合ったのだ。左側の戸がすべて開け放たれ,広くない座敷には祭壇が設けられていた。上のほうに,かすかにニヒルっぽく笑った遺影・・・どこから眺めても視線が注がれ,廣行の霊魂にあまねく包まれているみたいだった。

「そのせつは入院から外来まで,お礼の申し上げようもないほどお世話になりました。そのうえきょうは,お忙しいなか,遠方よりお越しいただきましてありがとうございます。さぞかし廣行も喜んでいることでしょう,先生を兄のように慕っておりましたから・・・さあ,どうか,あの子を見てやってくださいまし」

 母親と姉に迎え入れられ,真っ先に向かったのは祭壇・・・母親がそっと上掛けをめくり,柩の蓋をずらしてくれた。

 白菊の花に包まれて眠ったようなアイツの死に顔をおがんだ。その安らかな顔つきを見ていると,おのずと熱いものが込みあげてきて語り合わないではいられない・・・いまの今まであまり口をきかなかったのが嘘のように。

 

『なあ・・・ひろゆき!』

『あいよ』

 ・・・なんと懐かしい響きなんだろう。

『なんでおまえは,そんなに急いで逝っちまったんだよ! おれはさぁ,期待していたんだぜ・・・おまえが修行をかさね,一人前になって,いつか寿司を握ってくれるんじゃないかって・・・そんな夢の日がおとずれるのを,楽しみに待っていたんだよ』

『先生,ムリいうなよ。おれは,これでも精一杯やったんだぜ』

『たしかに,おまえは立派だった。自らの人生を生き切って,どこのどいつよりも堂々ととして,この世を去っていったよ』

『そうだろ・・・だったら,めそめそしないで送り出してくれよ。ちっとも,らしくないぜ』

『おまえの言うとおりだ。最近のおれは,全然らしくは生きていないよ。それどころか,だれのせいでもない・・・自業自得の泥沼に嵌まりこんじまって,モガキ苦しむ日々の連続さ』

『どうしたんだよ,世の中なんて,ままならないもんだろ』

『しゃらくさいこと言うじゃないか。だがな,ままならぬと心得てはいても,どうにかしたいとジタバタするのが人間の性ってもんだ。こんやだって,おまえの通夜につきあってやりたいけど,勘弁しろよ・・・あれこれ事情があって式には出られないんだ』

『わかってるって・・・来てくれただけで十分さ。先生もこの娑婆で,臆することなく信じる道を貫いてくれよ』

『あぁ,やれるとこまでやってみるさ。おまえも今度こそ,じょうぶなカラダにしてもらえよな』

『なあ・・・先生よ。三途の川を渡りおえると,おれは否応なしに,オレでなくなっちまうのか?』

『んなことはないだろ。おまえは挫けず,投げ出さずに生き抜いたから,そのまんま浄土へ往けるだろうよ』

『なら,おれは・・・何ごとにも動じない心がほしいよ。逞しい精神力で,なにがしかの技能を身につけて,おもうぞんぶん働いてみたいんだ』

『もう遠慮はいらん,おまえの好きにするがいいさ。さぁて,名残は尽きないが,そろそろ帰るとするぜ』

 と,永の別れを告げるために合掌しようとしたとき・・・『まっ,待ってくれないか・・・あにき!』

 シジマに溶けこむ霊魂の叫び声・・・アニキ? 義兄弟か? 空耳であっても否定しようもない真実におもえた。

『まさか,おまえに呼び止められようとはな。ここらに季節はずれの,春の雪が舞い散ってきそうだぜ』

『アニキ・・・これまでのこと,恩にきるよ。それと・・・いつの日にか,あの世で再会した暁には,ぜひとも生き長らえることが許されなかったオトコの変わりぶりを見てもらいたいんだ』

 莞爾としてアイツが微笑んでいる。マコトをもって応えねばならぬ。

『スマン! どうころんでも・・・おれはクタバったら,天上へは昇っていけないだろうよ。そのかわり,おまえのことは,この胸にずっと・・・ずっとしまっておくから・・・安心してトワの眠りにつけよ』

 南無阿弥陀仏

『じゃあな,オトウトよ!』

 

 対面したあとの余韻を掻き乱されたくなかった。通夜の式には参列しないで私は脇目も振らず帰路についた。

 割り切れない人の世の不条理を,ひとり列車のなかで噛みしめる。どれほど無念であったことだろう・・・くりかえし在りし日の面影が浮かんではナミダが滲んできて車窓が見えづらくなった。

 オレは生き抜かねばならん,なんとしても・・・世間に認められず,よしんば批判を浴びることになろうとも,愚かしい道の行きつく果てを見定めねばならぬ・・・でなければ,アイツに申し訳けが立たないではないか。

 されど,金沢に近づくにつれて思いとは裏腹に現実が重くのしかかり,やるせなさと虚しさが跳ね返ってきて増殖していく・・・依然として葛藤の泥沼に足を取られて思うにまかせない苦境に喘いでいたのだった。

 

 彼が永眠してから2年後,若い重症の拡張型心筋症の男性をあらたに診療する機会が巡ってくる。既婚者で,年齢は25歳。

 廣行と同様,心不全で入院することになった患者は順調に恢復し,退院前の病状説明のさいには妻のほかに夫妻の両親も顔をそろえた。今後の治療について率直な話し合いをもつには好都合であった。

 アイツのことが脳髄にコビリついていた。心電図の波形やレントゲン写真の画像に,にくめない笑い顔がフェードインして・・・不意に息も絶え絶えになって穏やかな死に顔へと変貌していく。

 オマエはそれで良かったのかもしれないが,オレはそうじゃないんだ!

 想定される最悪の事態を乗り越えるための戦略を立てなければならぬ。結論として私は,ゆくゆくは心臓移植も視野に入れることを押しつけがましく提案した。

 臓器移植に関する法律が整備されていないその時期,日本では未だ心臓移植は不可能であったけれど,準備を進めている大学は国立循環器病センターをふくめて幾つかあった。そうした病院では補助人工心臓の装着も可能であり,とにかく一度受診してみることを積極的に勧めたのだ。

 唐突なる力説に対してピンときていないふしが見受けられたものの,疾病者サイドから異論は出なかった。最終的に,私の独断で当時評価の高かった関西の大学と電話で交渉,指定された日に検査結果を同封した紹介状を携えて受診してもらった。

 その明くる日,夫婦そろって来院し,どことなく恐縮しているよう・・・聞けば,将来のために遠距離ではあるが大学の付属病院へ通院したいとのこと。もちろん私に異存はなかった。どうせ転勤してしまう身なのだ。

 後日,郵送されてきた返書には・・・心臓移植の待機リストに登録したうえで,差し支えがなければ付属病院のほうで加療を継続したい旨が記載されていた。乗り気でなかった本人と家族も,権威ある大学で疾患に関する厳しいデータを突きつけられて認識を改めるに至ったのであろう。

 そのクランケが現在どうなっているのか・・・それは分からないし,さほど知りたいとも思わない。

 ときおり思惟するのは,あの時代にコンニチの医療が可能だったとしたら廣行はどのような選択をするだろうか,ということ。

 経済面等に問題がないと仮定して,私は・・・医師の立場から移植治療を示すだろうが,あいつに本気で心臓移植を勧めるだろうか?・・・執拗に勧めたとして,果たして廣行はそれを受け入れるだろうか?

 そもそもあいつは,二十歳そこそこの若輩にもかかわらず,どうしてあれほど生と死を・・・生命というものを達観できたのであろうか?

 資質のみで説明しうるものではない。 生来の人となりに加えて恵まれない境遇を生き抜いたことが,彼のような人物を造ったとしか考えようがないのである。

 してみると,しきりに恵みを求めてばかりの現代人には,どう頑張っても到達し得ない境地であるにちがいない。

 

 あと,元妻の気になる言動にも触れておきたい。

 廣行が入院した日の準夜勤務帯,元妻に来院できないか連絡をとってみた。直接会って妻帯しているころの健康状況を確認してみたくなったのだ。

 翌日の夕刻,あらわれた女性は沈んだ表情を浮かべていた。ほどなく集中治療室から出てきて,甚だしく動揺しているのが傍からみても一目瞭然だった。

 離別した翌月のことで・・・知っていたなら思い直したのに,あの人は具合が悪いのを隠していたのではないか? 一つ屋根の下で暮らした男への心残りと恨めしさがオンナの語り口からにじみ出ていた。

 聞き取りをしながら勝手に解釈をくわえる・・・そのとおりだよ。あいつは身体の調子がよくないからといって,それを明かすようなヤツではない。しかし二度目に会ったとき,元妻にはこう諭しておいた。

 彼は・・・体調のことを,人生の大事な判断には持ち込みたくなかったはずである。だから破婚はなるべくしてなったのだ。これっぽっちも気に病んだり責任を感じたりする必要はないんだ。

 

 本心を欺くまい。私は,この年になっても斯く信じている。廣行は,死を悟っていた・・・であるからこそ離縁したのだと。

 

 

 

 廣行が入院しているあいだに,真子と私にとって大きな転機が到来する。

 5月末,上野のホテルで催されたS病院の開院記念パーティ。私は34歳になっていて・・・彼女は22歳のまま。

 宴もたけなわ,みんな入り交じって賑やかに歓談していたとき,左前に座っていた秘書の中里さんがこっそり耳打ちをしてくる。

「青海先生,聞いてるわよ。マコちゃんと時どき逢ってるんだって」

 このおりの私は,まわりから一目置かれている中里さんとふつうに話せるようになって,若干自惚れていたことは否めない。

「たまにちっとばかし」 控えめに答えておく。

「ぜひ,お願いしたいことがあるんだけど・・・」と,目の前の席に移動してビールを注いでくれた。

 うれしいね・・・「なんなりと」

「一次会が終わったら,マコちゃんを家までエスコートしてくれない?」

 いきなり艶やかな顔を近づけられ,予期せぬことをささやかれたので面喰らってしまった・・・どう返したものか。

「頼んだわよ。かならずね!」とダメを押される。

「わかった,ぜったいエスコートするよ」

 策略の臭いもしたが・・・断わるほどのことでもないだろ,だれとも約束していないことだし,って弁明する自分がいたのは,寸前に目が合ったナースを気にしていなかったとは言い切れない。

 パーティが終了となり,家路へと急ぐ人たち,まだ座って話しこんでいる人たち,二次会の相談で集まる人たちなど,出席者がバラバラになりかけているときだった。中里さんが真子を呼び寄せて追い立てる。

「あとのことは,青海先生にお願いしてあるから,あなたは先生といっしょに帰りなさい」

 こちらを振り向いたとおもったら,私も急き立てられる。

「先生も,さっさと支度して」

 おかげで公然とふたりで会場のホテルを離れることができたのだった。

 

 了解したからには,真子を自宅まできっちりと送り届けねば・・・そう覚悟して,不忍通りを湯島に向かって歩きはじめる。

「きょうは,ボディガードとして家まで送っていくから」

「そういうことなの・・・」ナゾが解けたような口ぶりで「ウチの真ん前まで送ってもらってもいいのかしら?」

「いいとも!」 ハナからそのつもりだったので調子づく・・・人気番組からセリフを拝借した。

「なによ,それ」って,真子は笑ってくれた。

「どこか寄ってく?」・・・応答がない。「まっ,とりあえず地下鉄に乗ればいいか」

「寄り道しないなら,JRに乗ったほうが便利だけど。わたしはできたら,このまんま歩きたいな」

「どこの駅まで?」

「あのね・・・先生さえよければ,わたしんちまで。道はまかせて。この辺りには詳しいから」

 予想外の展開だった。

「どのくらいかかる?」

「二時間ほどかな」

「に・・・2じかん!」

 歩くこと自体に不服はない・・・が,飲んだあとでの長時間はきつい。つい本音が出てしまった。

「ダメ?」

「いや,大丈夫・・・」

 真子がそうしたいのなら力を振り絞ってみせようじゃないか・・・「酔いざましにウォーキングはピッタシかもな」

「きまりね」

 オレの左腕にしがみつく真子。そのまま腕を絡ませ,双方が凭れかかってあるいたので波打つような快感をおぼえる。

「連休のころからかな?・・・病棟で,ハタチの男の人,診てるでしょ。うちに入院してるってことは,やっぱり心臓がわるいの?」

 廣行のことだ。

心不全ってヤツさ」

「ウソみたい,わたしより年下なのに」

「若くても,かなりの重症なんだ」

「死にそうってこと?」

「今のところは落ち着いてるけど,いつなんどき命を落としそうになってもおかしくない状態ってこと」

「かわいそ。わたしだったら,生きてる心地しないわ」

「楽しめない人生なんだろうが・・・あいつは弱音を吐いたりしないし,自分の気持ちをおくびにも出さないよ」

「たいした若者ね」

「そう・・・」でもない。何者もオノレを偽れないだけさ・・・と穿った見方をしてしまう。

「ウワサでは,先生の弟みたいだって聞いたけど・・・」

「ぜんぜん似てないよ」

「じゃあ,なんでそう言われてるのよ?」

「さあ・・・なんでかな?」

「あるんじゃないの,思い当たること」

「あえて言うなら・・・素直じゃないとこかな」 

「フーン」と私をのぞきこみ「そういえば,ひねくれてるもんね,先生も。なんとなくわかったわ」

 なにを分かったっていうんだ・・・反発したくなったところで「あっ,そこも真っすぐにね」と,真子が道案内をして反抗の芽を摘んでしまう。

「離婚してるってハナシは,どうなの?」

「いったい誰から聞いたんだ」

「研究室で,いろいろとね」

「しょうがないなぁ。ことし3月に離婚したそうだよ」

「きっと妻に嫌われたのね,ひねくれ者だから」

「それは違うよ。おれは主治医だから分かるけど・・・」

「なにがちがうの?」

「患者のプライバシーに関することは君にも教えられない。でも,あいつのためにこれだけは言っとくよ。元妻が打ち明けてくれたんだ・・・わかれ話を持ち出したのはあいつのほうだけど,いくら理由をきいても納得のいく返答はしてくれなかったって」

「どういうこと?」

「妻のほうは・・・それほど離婚したかったわけじゃないとおもう」

「だとしたら,どうして別れなければいけないの?」

「そんなとこまでは分からないよ」

 

 途中,厩橋のうえで夜景とたわむれた。心地よい風が吹き抜ける。「なんともいえない気分ね・・・」って真子がささやいた。川面には街灯が筋になって映し出され,まばゆく妖しげに揺らめいている・・・クロずんだ隅田川は点在する明かりにウズもれていた。

 金色のかがやきは柔らかくて優しかったが,それらを在らしめ活かしむる燻し銀の黒みのほうに惹かれてしまうのは何故なんだろう・・・川の流れはしずかに蠢いているようだった。

「花火大会は,あっち側の上流であるのよ」

「そうなんだ・・・」

「見たことないよね」

「聞いたことはあるけど・・・」

「ことしは行けるかしら?」

 知らずしらず橋の真下のほうに引き込まれていく・・・相も変わらず心の奥底に見え隠れする黒みから目を背けることはできなかった。女性との明るい未来というものを思い描くことができなかった。一方で,彼女との関係に淡い期待を抱かずにいられないのも事実ではあったのだが。

「行けるといいな」

 まるで人ごとのような返事を,真子はどのように受け取め,どのように受け流したのか?・・・他人の係わる領域に対して私は,どうしようもなく無頓着であろうとしていた。

 ちなみに,くわしい事の次第は忘却のかなたに消えてしまったけれど,その年の7月第4土曜日は都合がつかなくなり,じっさいに花火大会を見にいくことはなかった。

「サクラの時節も,このあたりは最高なんだけどなぁ・・・」 彼女のつぶやく声が聞こえた。

 

 橋を渡ってから右に曲がり,首都高の下を急がずに歩をすすめた。河川側が壁で仕切られている,例の防潮堤の道だ。

「これじゃ,せっかくのいい眺めも,まるっきり見えないな」

 ぶつぶつと零したら,真子は即座に「わたしは全然かまわないわ」と,よりいっそうカラダを預けてくる。

「腕組んで,いっしょに歩いてみたかったんだもの」

 ・・・らしからぬ思わせぶりな素振りであった。気をよくして私は,ニヤついていたのだろう,路面のデコボコにつまずき,そのはずみで前のめりにこけそうになった。

 あぶない,あぶない。あやうく彼女を巻き添えにするところだった。

「バチが当たったかな・・・? 文句言ってたから」

「転ばなかったから,反対にツキがあるのよ」

「でも,おれにツキが回ってくるとはおもえない。たぶん,マコが幸運を呼び込んでいるってことだろ」

「さしずめ,わたしはセンセイの,女神ってことね」

 気を取りなおしたとはいえ,出発してから小一時間が過ぎようとしていた。いい加減ほんの少しでいいから休みたくなる・・・アルコールのせいで疲れが倍になる感じだったのだ。

「ねぇ,あれが新しい国技館よ」って,真子。

「どれ?」

「あの,大っきい建物」

「ふぅん・・・」

 風変わりな屋根が見えていても何の関心もわかなかった。「これで,半分くらいは来たのかな?」

「ピンポーン」

「どこかでヒト息つこうか」と機会をのがさず持ちかける。

「・・・お店にでも入る?」

 すぐさま意識したセリフは呑み込んだ。まもなく反芻し,真子に男の心根を見透かされる気もしたが,思い切って発してみる。

「ラブホテルに行こうか」

「それなら,錦糸町のホテルがいい・・・ここからだと遠くないわ」

 間髪をいれず返ってきたアンサーは,願ってもないことなのに俄かには受けいれがたい・・・きんしちょう? 名前は聞いたことがあっても,繰り出したことはない,まして独りで出かけたこともなかった。真意の程をつかみかねていると彼女が手掛かりをくれる。

錦糸町には立派なホテルがたくさん建っているから・・・」

 どうやら,そこのラブホには入ったことがないから連れてって,と頼まれているふうにも聞き取れる。でも,意図なんかどうでもいい,真子が承知したのだから。

「よぉーし,行ってみるぞ」

 がぜん踏み込む脚にも力が戻ってきたところを,後ろへ引っ張られる。

「ホテルはこっちよ」

 彼女の誘導にしたがい,隅田川をはなれて錦糸町に向かった。ニンジンをぶら下げられた馬よろしく『これでもか』とばかりに相当の道のりを奮闘,やがてラブホテルの立ちならぶ街路に足を踏み入れるや,入室してからの淫らな行為に思いを馳せずにはいられない。

 選んだのは料金の高すぎぬ目立たないホテル。エントランスで部屋の品定めをしていると,だんだん心臓が脈打ってきて緊張というよりも獲物を仕留めるような不純な昂揚感をおぼえてしまう。

 ついにエレベーターの中・・・飛び立ってしまえば下手に降りられなくなる閉鎖された空間。

 このような時がくるのを真子は待っていたのだろうか?

 ミラーにうつる互いの顔を黙ったまま見つめあい,捉えきれない部分を補おうと試みる・・・どちらからともなく笑みを浮かべたとき,フロアをしめす数字が5に変わったかとおもうとエレベーターは舞い降りて止まった。

 独特のキシんだ音をたてて扉がひらく・・・まさに魅惑の世界へといざなうかのよう に。

 

 この夜,真子と私は,ふかい間柄になった。

 

 かれこれ一時間半あまりの休息によって体力を取りもどし,ふたたび歩きだして20分たらず・・・小さな川にさしかかり大息をついたら「あとフタ息くらいよ」って励まされ,橋をわたって三つ目の小路を右に曲がり20メートルかそこら,ようやく二階建ての家屋の前にたどり着いてエスコートの大役を果たしたのだった。

 あたりの家々の外壁は通りに直接面していた。ポーチのない引き戸の玄関がやけに印象に残っている。

「アリガト・・・気をつけて帰ってね」

 満ち足りたムードが漂っていた。隔てるものが消えてなくなり,当たり前のごとくキスをして真子をぎゅっと抱きしめる。

 深夜なので早々に立ち去ったが,終電の時刻はとっくに過ぎていた。出費が嵩んだために代金が支払えるかどうか・・・やむをえずホテルが見えるところまで戻ってからタクシーを拾うことにした。

 ・・・待てよ,あれは無駄足だったんじゃないか? たった今,書きしるしながら気がついた。引き返すことでかえって赤坂までの距離が長くなっていたのだ。

 見誤ったうえに気づかずに過ごしていたとは・・・それもそのはず,ふわふわしたと夢心地は疲労感を麻痺させるだけでなく思考力も奪っていたに相違ないし,再度起こりそうにない出来事を検証する気にはなれなかったのである。

 

 二人にとって新たなる舞台の幕開けだった。なんという不可思議な巡りあわせであったことだろう。

 それからというもの,こっそりと・・・もしくは暗黙のうちに研究室で約束を交わし,銀座で真子と頻繁に待ち合わせるようになった。気の利いた店をさがして食事をし,彼女が帰らねばならぬぎりぎりまで一緒に過ごす・・・宿泊可能な日は六本木にもどり,檜町公園で心身を癒やして締めくくりは満室でないかぎり,赤坂のラブホテルに行きつくことが多かった。