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 しだいにS病院の診療体制に慣れてくると,研究室に出入りする病歴室の女性たちを眺めるだけでは飽きたらず,暇つぶし的にからかったりするようになった。

 ノッポのほうは生真面目で,若いわりにはソツのない受け答えをする。裏をかえせば,型にハマりすぎてオモシロ味に欠けていた。それに,どれだけ贔屓目にみたとしても,オンナの魅力に関してはもう一人の・・・学年が一つ下だという女の子には敵わないことだろう。

 いますこし背丈が高いなら,モデルに打ってつけの脚長八頭身・・・それが真子だった。

 周りの人間がチヤホヤしているぶん私はクールにかまえていたのだが,真子のスタイルや顔立ちなどの外見もさることながら,それらを鼻にかけない気立ての良さ,嫌みったらしくない無邪気さ,飾り立てようとはしない品性といった内面的なものにも惹かれたのが偽らざるところ。この年の7月に就職したばかりのいわゆる新人で,しばしば中里さんに指導を仰いでいる現場を目撃したりした。

 

 11月も中旬,月曜日のこと。

 午前中の早い時刻,他のドクターは病棟かどこかに出払っていて,研究室には私ひとりだった。

「失礼します」

 おっとりした低めの声つきで真子だと知れる・・・部屋に入るなり,私を見つけて彼女は挨拶した。

「おはようございます」

「おはよう」

 振り向きざまに彼女をながめ,すかさず質問する。

「最近さぁ,もしかして,彼氏できたかな?」

「なぜですか?」

「前髪を切ったみたいだから」

「先生,すごい!・・・よくわかりましたね」

「毎日まいにち,いやでも見てるからな」

「もう・・・どうして,そういう言い方しかできないんですか」

「性格かな・・・」

「かなり屈折していますね」

「ところで,じっさい何かあった?」

「いいえ,なんにも。ただ・・・あす誕生日なので,ちょっと気分転換したんです」

「誕生日か・・・あしたでいくつ?」

「22歳」

「・・・22歳の別れか」

 つぶやいたつもりが,あたりまえに彼女の耳にまで届いていたようだ。

「えっ・・・あんまり縁起でもないこと,言わないでください」

「ちがうよ,ウタの題名・・・」

 取って付けたように「22歳って,いろんなことを経験する,ややこしくて,かけがえのない年齢だってことさ」

 言い終わらないうちに彼女は首をヨコに振った。

「そんなふうには聞こえませんでしたけど・・・」

 つぎの瞬間・・・そのつもりはなかったとは言わないが,前もって魂胆があったわけではない,罪滅ぼし的に誘い文句が口からしぜんに出てきたのだ。

「もし空いてるなら,飲みに行こうか」

「ホントですか・・・?」

 こっくり頷くと,真子はマンザラでもなさそうに応じてくれる。「どこで待ち合わせします?」

「病院の前じゃマズイだろうから,地下鉄の改札口のところ・・・5時半で,どうかな?」

 ちょうどその時だった。タイミングがわるいことに,同僚ドクターが研究室に戻ってきたのだ。

 あわてて真子から視線をそらす。私は・・・そそくさと机の上にあった入院サマリーを手にとって,さりげなく彼女に向かって語りかけた。

「急がなくてもいいからさ,コピーをよろしく」

 とっさの芝居に合わせて・・・真子はサマリーを受けとり,目配せして病歴室に持っていくはずの入院カルテを差しだした。そして「わかりました」と返事し,何事もなかったように研究室から出ていった。

 手にしたカルテの担当医は私ではなかった。部屋の出入り口ちかくにあった整理棚にそれを置いておく。のちほど取りに来るであろう・・・でも,あれで口約束したことになるんだろうか?

 

 次の日・・・真子の誕生日には,午後になって急性冠症候群の患者が搬送されてきた。緊急心カテによる検査と治療が行なわれ,そのあと主治医になったため自らが定めた時刻には間に合わない。

 遅れること三十数分・・・六本木の改札に来たけれど,周囲には彼女らしき女性のスガタは見当たらなかった。

『やはり遅れすぎたか』

 しばし立ち尽くす。約束になっていなかったのかもしれない。そう思って諦めようとしたとき,背中のほうから「せんせい」と澄んだ声?・・・振りかえると,雑踏に紛れるどころか可愛さがいっそう際立っていた真子。

「病院の人たちがたくさん通っていったので,ものすごく大変でした」

 微笑みつつも彼女はそれとなく愚痴をこぼす。職員の大半は地下鉄で通勤していたので出会うのは当然のことであった。

「ごめん。心筋梗塞の緊急があって,担当になったから・・・」

「わかっています。研究室で,急患のハナシを聞きましたから。でも,飲みに出かけてだいじょうぶですか?」

「落ち着いていたし・・・なにかあれば,ポケベルが鳴るさ」

 真子は入院のことを知っていた。それで機嫌を損ねないで待っていてくれたのだろう・・・運があるね!と,ひそかにほくそ笑んだ。

「さあ,はやく行こうか。ここにいたら,だれかと出会ってしまうからね」

 切符を買って駈けあしで日比谷線に乗り,あてもない銀座で降りる。人の流れにしたがい適当に出口を昇っていくと・・・そこは,和光の前!

 改札口は失敗だったと悔やんでいたから,偶然にしても銀座和光に出たという事実が,まるで用意されていた解答のように思われた。立ち止まって叫ばずにいられない。

「おれたち・・・今度から,ここで待つことにしようぜ」

「いいですね,ここなら雨の日でも,どうってことないみたい」 即座に彼女も同意してくれた。

 これ以降,ふたりの暗黙の待ち合わせ場所となったのが,時計塔を有する和光のビル・・・銀座のシンボル的存在の入口付近。歴史を感じさせる外観がなんともいえず味わい深かったし,閉店後でも少々の雨なら凌ぐことができたのである。

「なに食べたい?」と彼女に訊く。

「なんでもいいです」ありきたりの答えと「先生は?」の問いがもどる。

「刺身かな・・・」

「築地に入ってみたい寿司屋があるんですけど・・・」

「よし,そこへ行ってみよう」

 

 晴海通りを歌舞伎座に向かって歩いた。寿司屋はさらに先のほう,国立がんセンターの近辺にあった。平日なのにあいにくの満席で席が空くまで20分ほど待たされる。

 金沢にいるときは,きまって店を変えようとしたものだが,都内では待つのがフツウであると分かってきた。逆に,待たなくていい店にはきっと何かしらの問題点が隠されているだろうから寿司屋に不満はなかった。

 脇腹にツクンツクンと,真子の指。ぎゅうぎゅう詰めの状態で待つことは,こころの隔たりも無くしてしまうものらしい。

「いまさら言うのもヘンだけど・・・地下鉄の改札って,どっちだったのかしら? 乃木坂だったらどうしようって悩んでたの」

「あとで,おれもおもったけど,伝えようがなくて・・・」

「それで・・・どっち?」

「六本木」

「わたしが乃木坂に行ってたら?」

「いやぁ,考えてなかったな・・・きょうは,時間ばっかり気にしてたから」

「悩んでソンしちゃたな・・・」

 

 待ちながら雑談をかわしたおかげで,別館のカウンター席に案内されたときには,けっこう打ち解けた調子で話すことができた。

 22歳の誕生日,おめでとう!

 その日のビールは格別にうまい。真子がいるからであろうが,人恋しさのせいでもあるんだろうと思った。

 祝ったところで気になっていたことを訊ねてみる。

「彼氏はいなくても,彼氏の候補はいるんじゃないのか?」

 そうしたら真子は・・・遠い眼差しを一瞬みせて「先生には,本当のこと言っちゃおうかな」と,意味ありげに囁いたのでドキッとする。

「わたしね,結婚できないかもって,不安におもうことがあるの」

「どうして?」

「友だちと話したりしてると,わたしってダメなのかなって・・・男の人を好きになって,ゼッタイこの人でなきゃって思ったことがないんだもの」

「だからって結婚できないってことにはならないだろ。人はそれぞれだし,すきずきなんだから」

「それはそうだけど・・・」

 たしかに,できるって保証もない。

「・・・ってことは,きみはこれまで,だれかを愛したことはないんだ?」

 ガラスケースに視線を向けて,真子はネタじゃなくて過ぎし日のメモリーを吟味しているかに見えた。

「たぶん一度だけあるけど・・・」

「たぶん?」

「好きでたまらなかったけど,その人にはとっくに大切な彼女がいて,身を引いてしまったから・・・」

「それなら,心配しなくてもいいさ」

「なにを?」

「結婚」

「・・・なんで」

「めぐり逢えたら,好きになれるってことだろ」

「どうかしら・・・」

 と,首をひねった彼女。すこし間をおいて「ねぇ,エンガワ食べる?」

「いいね」

 エンガワ二人前おねがいします・・・真子がはずんだ声で注文すると,ネタケースのあちら側から,あいよ,と寿司職人の威勢のいい受け答え。釣られるように彼女が投げかけた。

「先生こそ,好きな人は?」

「いないよ」

 こうもたやすく応答できてしまうとは・・・過信があったにしろ,私の観念というか精神の拠りどころは揺るぎなかった。

「ホントに?」

「あぁ,おれは,きみと一緒だよ」

 ・・・デタラメではない。自分と似たような匂いを真子のちょっとした言動に嗅ぎ取っていた。

「いっしょって?」

「結婚はしないだろって感覚」

「好きになったことは?」

「あるよ,おれも一度・・・きみとはちがって,振られたけどね」

 このとき脳裏をかすめたのは,初恋の女性にはあらず・・・嵩子のこと。嘘をついたわけではないが,述べたことに対してちょっぴり後ろめたい気持ちにもなった。もっとも,これからどのくらい係わりあいを持つか分かりもしないのに,金沢での交遊関係とかをすこしも打ちあける必要はないだろう。

 それに・・・私のなかでは東京での生活を,金沢とは完全に切り離そうとするきらいがあった。いうなれば,新しく人生をやりなおすがごとくに暮らしていたのだ。

 ヘイ,お待ち!・・・職人が慣れた手つきで,握りをちょこん。

「大トロも,いってみようか」

「うん」

 エンガワを頬張るまえに私は嬉々として声を張りあげた・・・大トロ二丁,おねがい!

 

 20時をまわると,店内にも空き席が目立ちはじめた。

 客が数人になるまで粘っていたのを,今となってはボンヤリとしか回想できないのであるが,これだけはハッキリしている・・・真子と親密な繋がりを持ちたいなどといった大それた思惑を,私はフシギと抱いてはいなかった。また彼女にしたってそうであったにちがいない。

 より正確に白状しておこう。だいたい真子の色香に迷わない男なんていないことだろう・・・私とて例外ではなかった。しかしながら,殊更に意識しないで接しようとすることは,私にとっては自然な振舞いだった・・・愛せないなら距離をもって関わっていくということだ。

 かえりは地下鉄の東銀座駅でわかれた。彼女が六本木からきた電車に乗りこむのを見届けてから,私は六本木へむかう電車に乗りこんだ。

 

 その週の土曜日,嵩子が東京に出向いてくる。

 半日のみ勤務をし,のっぴきならない用事をすませてから乗車すると,前日になって心づもりを知らせてきた。上野到着は20時を過ぎるだろう・・・私は中央改札のところまで迎えに行くことにした。

 携帯電話のない時代,都合のよい駅で待ち合わせをしたくても,不案内な者と事細かな打合わせをするのは厄介で,かつ実際に逢おうとすれば意外にむずかしいことであった。

 いっそ上野駅で出迎えたほうが容易ではなかろうか?

 結果は・・・まるっきりダメ,広すぎてカバーしきれないのだ。ポイント的に指定するか,ポピュラーな場所にすべきだったとしきりに反省しても後のまつり。見逃してしまったのではないか? と移動を繰りかえし,やっと彼女の心細げな顔を見つけたときには心底ホッとして・・・よォし,みっけ! と辺りかまわず小さく叫んでしまった。

 その夜は,赤坂駅の周辺,通りがかりの割烹で遅すぎる夕食をとった。なぜ日本料理店に入ったのか定かではないが,奮発して毛ガニをはじめて食べたことは昨日のことのように覚えている。

 ・・・S病院に勤めて間もないころ,仲間に連れられて赤坂見附のシーフードレストランに入った。そこで名物のストーンクラブというカニを見て驚き,食べてもう一度おどろいた。なんとも形容しがたい舌に絡みつくような食感と後味であった。

 割烹の手書きメニューにある毛ガニの値段はとびきり高かったけれど,あのストーンクラブの口当たりが忘れられず,高額ならばさらに旨いのではないかと勝手に決めこんで,金銭的にいくぶん無理をしてでも嵩子に食べさせてやりたいと思ったのだ。

「なんて素晴らしい美味しさなの!」

 嵩子の言葉はお世辞なんかではなかった。まさしく思い込みは正しかったのである。いままで美味と感じた数少ない料理の中でも最高のもの・・・ある種の充足感に包まれて値が張っただけの価値は十二分にあった。

 ところが,嵩子はというと感激の笑みを湛えながらも,どうしてか合い間に塞いだ顔を見せるのだ。

 宿舎へかえる道すがらのこと。祖母が脳梗塞で入院したのに,この日を待ち焦がれていたから来てしまったの・・・と,不意に彼女は漏らしたのだった。どうやら東京に来ていても祖母のことが気になって仕方がないらしい。

 

 日曜日,午前9時半前後。心筋梗塞の患者を診るために病院へ。

 大急ぎで戻ってきたら・・・狐につままれたよう。どこにも嵩子がいなくて唖然とする。時刻は10時20分ごろ,テーブルにメモが置いてあった。

 

   祖母が急変したわけではありませんが,

   やはり晴れやかな気持ちになれないので

   帰ります。

   きのうのケガニおいしかったよ!

   ありがとう。

              10:03 a.m. 嵩子

 

 

 

 嵩子は私のことを信じきっていた。しかも病に倒れた祖母のことで胸を痛めていたから,恋人の微妙な変化に気づくことはなかった。

 金沢を離れて嵩子と別々に暮らすようになり,私は東京で解き放たれたように過ごしていた。

 S病院では既婚のナースは一人しかいない。仕事を終えれば,その日勤務のスタッフと食事に出かけ,夜遅くまで飲むのが日常茶飯事となった。

 

 誘われるまま請われるまま,赤坂や六本木界隈の夜の街に繰り出した。ときどきは渋谷や恵比寿まで,ときには新宿や四ッ谷や新橋,他の地域までも足を伸ばしたが,一番印象に残っているところといえば飯倉片町付近にあった大人が集うディスコだろうか・・・たしか交差点手前の地下にあったはず。

 といっても皮肉なことに,しみじみ思いかえすのは踊って発散したことではなく,踊り飽きてバーカウンターで独り水割りを楽しんだ時間なのだ。

 愉快に談笑するのは苦手,まだカラダを動かすほうがマシ・・・ただ,踊っているのにも限界があった。

 そうなのだ。 私はみんなと一緒にいても,いかなる時にも染まらない自分を見出だそうとしていた。言いかえれば・・・染まらぬ自己を造りださんがために共に行動しているようなものだった。なんら目的を持たず,一日を懸命に生きて,どんな環境にも己れであることのみ。そんな私はどこかで必ずといっていいほど抜け出して一人になった。

 カウンターで息抜きしていると,だれかが・・・たとえば大して親しくない女の子が近づいてきて「先生,ナニしてるの?」と問いかけられる。

「見てのとおり,ひと休みしてるんだ」

「ウソ! なにか考えてるくせに」

「ホントは,ボーとしているだけなのさ」

 相変わらず嵩子と暮らすことの意味合いや,例の内なる歪みについて思索していた。だが,これは私個人の問題・・・他人に入り込まれたくはない。

「ねぇ・・・つぎの日曜日,デートしよう!」と誘われる。

「いいよ,どこへ行きたい?」

「鎌倉! それと・・・江の島!」

「どこで待ち合わせる?」

「ん~,品川駅かな・・・午前9時でどう?」

「わかった」

 向こうがマジであれば,個人的につきあうことも厭わなかった。私にとって大事なのは相手が真剣なのかどうか・・・もともと遊び好きの人から声をかけられる恐れはない。オレの性質は堅くて重すぎる。

 鎌倉といえば・・・瞼のうらに鮮やかによみがえるワンシーン。どこにいても心血をそそいで自己を極めようとしていたのだろう,真理のヒカリのようなものに照らされる刹那があった。

 さきほどの女性と旧江の島展望灯台に昇ったときのこと。

 弁天橋の屋台・・・現在では無くなったようであるが,当時はいくつも掘っ建て小屋のごとく立ち並んでいた。あまりに地元,千里浜の焼き貝売店に似ていて,つい長居をしてしまう。そのせいでゆっくり回れなくなり,植物園が閉園する間際になって展望灯台のエレベーターに駈け込んだ。

 ・・・着いたさきは,観覧する者のいない,二人っきりの世界。

 わざわざ述べるまでもない行為におよんだのち,あるものに眼が釘付けになってしまった。

 えもいわれぬ眺望のなか,世俗を超越したかのような・・・富士山。

 オボロながらに,いや朧だからこそ浮き彫りになったそのスガタは,幽玄そのもの・・・であっても,それだけなら,これほど魂が打ち震えることなどなかったろう。

 いつか行き着くはずの領域を垣間みた・・・に相違なかった。それが何なのか掴みきれないまま降りねばならぬ時刻が迫ってくる。

 さらば・・・ふたたび巡りこない,きょうの日のフジサンよ。オレは誓って諦めたりはしないぜ。

 

 六本木交差点から・・・六本木通り交番側をいくらか溜池のほうへ下っていくと,外階段つきのビルディングが左手に見えてくる。

 その階段は中2階へと通じており,かつては入って右側にナイトクラブのフロントがあった。何階であったか・・・ホールでは,東南アジア系のバンドによる生演奏が一定の間隔で行なわれ,外人歌手によるショーが夜ごと二度にわたって催されていた。

 ある夜のこと。意気投合した同い歳のナースと連れだって,知りもしない酒場への階段を昇っていった。受付カウンターでいい加減な説明を受けても引き返さなかったのは,酔った勢いが手伝ってのこと。で・・・出てきたときにはすっかり気に入っていたのだから,憶測なんぞに判断を委ねるなかれ,いわんや従順であることなかれ。

 そうした縁でくだんのナースと集団からハミでる仲となり,しだいにクラブへ足繁く出入りするようになった。そのうち・・・開店した直後の時間帯は客が数えるほどしかいない,ときには誰もいなくてダンス用ステージに上がるには持ってこいだと分かってくる。

 白衣の天使は,踊ることなら何であれ大好きで上手だった。私は人並くらいには踊れたのではないかと思っている。このバランスの良くないペアにピッタリの曲があった。メロディーとテンポが両者のクセにうまく合った・・・のではあるまい,おそらくリードする天使の好みに合ったということなのだ。

 それはともかく,ヴォーカルの女の子が目で『サイコーよ』って絶賛の合図を送ってくれる・・・いつしかステージに上がるとバンドマンたちがその曲を演奏してくれるようになった。私たちを見ているのが楽しくてしょうがないというふうに。

 外人歌手の歌唱力もこの上なく見事だった。ショーが終わればトリをつとめたメインの歌い手が,披露宴の新郎新婦さながらに各テーブルをおとずれて,にこやかに挨拶するサービスを欠かさない。

 こんなことがあった。

 ハスキーで魅力あふれる声に,なんとはなしに異質なものを臭わせる白人ダンサー・・・美貌とまでは言えないものの世の男性をだませるだけの器量を持ち合わせていた。そのスターになりそこねた歌えるダンサーが2回目のショーでフィナーレを決めたとき,フロアーから驚きの歓声があがった・・・大ステージで,とぼけた顔をして両胸を一瞬ハダけてみせたのだ。

 すぐさま舞台裏に消えてしまい,まさにあっという間のできごと。一種奇妙な興奮が冷めやらぬなか,瞬間映像を頭にどう再現してみても・・・胸の膨らみはなかったものはなかった。

 ・・・ってことは? ようやくオカマ,現代で言うところのニューハーフだと気づき,ハッとさせられて連中を見直すとともに色眼鏡で見ていたことを自省したのだった・・・そぐわないから,理解しがたいからといって無条件に否定してはいけないのだと。

 

 過ぎたることは続かざるもの・・・やがてはかならず潮目の変わる日がやってくる。

 歓楽街の一角に分け入ってから数か月後,バンドは新メンバーに入れ替わって興ざめしてしまった。それだけが要因ではなかったが,大きな一因となって足が遠のいていった。

 いささか残念なのは,ナースと踊った定番のミュージック・・・その曲名が分からずじまいに終わったこと。

 

 このような生活をしていると,レジデントの給料では赤字になるのは当然であって,ときおり上司を通じて持ちこまれるバイトを率先して引き受けた。

 まず思い出すのは,秋葉原血液透析専門クリニック。

 ・・・院長不在のさいに診察室待機をたのまれた。トラブルで透析室からお呼びがかかった場合,いつも院長が行なうという処置を真似して指示を出す。そいつが案外いい勉強になった。血圧低下時など,血液透析独特の対処方法があったからである。

 調布市内にあった中規模の民間病院。

 ・・・たまに循環器外来の代理医師をつとめた。往復には新宿から京王線を利用する。夜型人間に早起きは厳しく,家を出てから時計と睨めっこ,途中で急行なんかに乗り換えて調布駅へ向かったのが懐かしい。

 

 ほかにも,またとないチャンスに恵まれた。

 ・・・11月下旬,突如として嵩子が帰った日から一週間後,総勢5名で混成される三宅島の健康診査チームに一員として加わった。

 晴れたり曇ったりの日曜日。 羽田空港から生涯初のプロペラ機に乗り,ルンルン気分で・・・いざ現地へ!

 ジェット機に比べ,はるかにスリルがあって痛快そのもの。ただし,強風の日には欠航になると空へ飛んでから知らされた。そのさいには三泊四日の日程を変更ねがいたいとのこと。かなり高い報酬が支払われるのに,なぜ依頼が舞い込んできたのか合点がいく・・・通常の勤務医では務まりにくい状況があったのだ。S病院のレジデントであるからチームにも参加できたし,バイトの仕事もできるのだと再認識したのであった。

 予防医学協会の責任者に,ナース1名,検査技師1名,学生1名のチームの人達とは仲間のように親しくなった。その中で医師のみが業務半ばで交代するらしく,皆は自分たちが帰途につく土曜日まで,健康診査に支障をきたさない程度に天候が荒れて飛行機の運航が取り止めになるよう祈っていた。

 けれども水曜日の午後,運に見放されず一足先に島を離れることになった私は,申しわけない気持ちになって特大?サイズのケーキを空港で買いもとめ,入れ替わりのドクターを迎えるついでに送ってくれた責任者に差入れとして手渡したのだった。

 土曜日,プロペラ機は予定どおり着いたかなと心配していると・・・正午を回ってから帰京した一行が仰々しく手土産のアシタバをもって病院に押しかけてくるとは・・・どうも解散の場に選ばれていたごとくなのだ。

 翌週,友情のような一体感が抜けきらぬ月曜日,昼食から戻ってくると一枚の絵ハガキが机の上に届けられていた。

 消印は・・・東京三宅島,金曜日の12時から18時。

 溶岩が赤々と暗闇の道路に流れこむ写真の表には文字がびっしり・・・私が去ったあと,仲間たちが島にいるあいだに『三宅島より愛をこめて!』と題して寄せ書きしたものだった。

 宛て名の敬称がフルっている・・・括弧書きで,大先生様。おもわず失笑せずにはいられない。

 水曜の晩にケーキを囲んでパーティをやったこと,天気は上々で順調に仕事をこなしていること,土曜に帰ったら直ちにアシタバを持参して病院に向かうこと等々,光景が目に浮かぶよう・・・おいおい,書いてパッと投函できなかったのかと愚痴りつつも口許が緩んでしまう。ほかにも・・・三宅島の経験を生かして金沢の星になってください,ってのは? オレにもっとも似つかわしくないことなのでジョークかと勘ぐってしまった。

 チームのメンバーのように私の一面しか知らない,あるいは私とたまにしか顔を会わせない人たちには,オレという人間もそれほど受けが悪くなかったかもしれない。しかし私をつねづね眺めている人たちには,どちらかといえば受けが良くなかった。

 

 春一番が吹き荒れた日。

 研究室と宿舎をおなじくする同僚ドクターから思いがけず食事に行かないかと誘われた。理由もなく断わるのが憚られたのと,なにかワケありのような気がして・・・そのうえ病棟のナースを二人呼んであるからと告げられては行かないという選択はしにくかった。

 教えられた居酒屋は,民家を改造したような一風変わった処。

 ほどほど酔わない程度に酒が入ったころ,会話の記憶は物腰のやさしい同輩のこういったセリフからはじまる。

「あのさ,青海先生にちょっと言いたいことがあるんだ・・・」

 べつに責められるふしは思い当たらない。かるく身構えて待ち受ける。

「あんまり個人的なことに立ち入りたくないんだけど,先生の生活態度はモラルに欠けているんじゃないかなぁ」

 どういうことだろう? 分からなくて黙っていた。そいつは喋りつづける。

「夜おそくに帰ってきて,風呂に入ったり洗濯をしたりじゃ,おんなじ宿舎に住んでいる俺たちはいい迷惑だよ」

 なるほど・・・同輩はまさしく私の部屋の階下,つまり2階の同位置のところに住んでいた。病院宿舎は赤坂には不釣り合いのボロ家屋といってよかったが,一応は鉄筋コンクリート構造の3階建てであったから,防音や振動に関しては塵ほども気にかけていなかった。

「ごめん・・・知らなかった。これからは,ちゃんと注意するよ」

 ところが,胸の内には相当不満が溜まっていたらしい。くわえてアルコールの効き目もあったのだろう。なおも文句はつづいた。

「このさい,はっきり言わせてもらうけど,だいたい生活が乱れるのは,女性との付きあいにモラルがないからだよ」

 そう受け取られても弁解の余地はない・・・とはいえ,相手の身内や友人から言われるならまだしも,関わりのないヤツから説教される筋合いのものではないだろ,って内心おだやかではなくなった。憮然として目を伏せる。

「ドクターとしての,自覚とプライドを持ってほしいとおもうよ」

 この追い撃ちの一言には,いくらなんでもカチンときた・・・腹に据えかねて逆らわずにいられようか。

「あいにくとおれは・・・」と言いかけて,失いかけた理性に遮られる。

 躊躇したところで感情をセーブしきれなくなった男に,喉元まで迫り上がってきたものを呑み込むなんて芸当はできやしない。

「そんな・・・カスみたいなもん,持ち合わせたいとは思わない」

 瞬時に,その場の空気が凍てついた。しっぺ返しのような沈黙が鼓膜を通り抜けて胸を締めつける。が,魂はへこたれない・・・大人げなくて結構,咎められたって詫びるのはまっぴらごめんだ。

 反感を抱いたまま坐しているなど愚の骨頂・・・それにもまして飲み会を台無しにしてしまうことには耐えられなかった。出しぬけに立ちあがり「これで帰らせてもらうよ!」

 ポケットから摘まみだした一万円を,はらりとテーブルに落として立ち去ってやったのに,腹の虫は一向におさまらない。スタスタ歩きながら吐き出すようにつぶやいた。

 ふざけんなよ! 医者がなんぼのもんか! 自覚なんぞクソくらえだ!

 オレは・・・医師であることを取り立てて強調するつもりはない。たまたまそういう職業についているまでのことだ。第一,プライドなら誰にも負けないくらい持っている。ただしドクターとしてじゃない・・・どんな時であろうと己れにしたがって生きていくプライドだ。だんじて自分を誤魔化したくない。けっして現実から逃げ出したくない。つねに自己たらんとするプライドだ。でなきゃ,こんな不器用な生き方なんかするものか!

「せんせい!・・・待ってぇ!」 背後から叫び声がひびく。

 立ち止まると,さっき隣りに座っていたナースの一人だった。「わたしも飛び出して来ちゃった」

「いいのか?」

「いいの,わたしは先生の味方。プライドばっかしの医者って,全然わかってないからね」

 鬱憤を晴らしたくなった。

「飲みなおしに行っちゃおうか?」

「やったぁ! わたし,すごく得した気分」

 

 さまざまなスポットで目撃されていたから,浮気者みたいな悪評が病院では立っていた。でも言いわけはしたくない。そのくせ正直にいえば,こうも思っていた・・・どのみち10月には金沢へ戻ることになるんだ,どう取り沙汰されようが関係ないと。だが,そう甘くはなかった。

 

 とある日の午後,放射線部の技師長とエレベーターに乗り合わせた。

「こんにちは」と挨拶する。

 技師長は首をタテに振り,ギョロリと睨んで・・・「ときどき先生のうわさを耳にしているよ」

 と,曰わくありげに薄ら笑いを浮かべる。

「来月だったかな,昔ここで働いていた,金沢大学の講師の先生と会うことになっていてね」・・・もったいぶるように間があいた。「先生の活躍ぶりを,つぶさに報告させてもらうよ」

 一階に着くのを見計らって言い終えたかのごとく扉が開き,技師長のほうからエレベーターを降りていった。私を非難しているのは火を見るより明らかであった。

 今さら,なにを言ったってはじまらない。

 おれは・・・オレであるのみではないか。もっと・・・もっと確固たる己れが欲しい。そのために生きているのだ・・・自己が鍛えられるのであれば,むしろ好ましくない環境を歓迎しようではないか!

 S病院に勤務して半年が過ぎ,そういった心の持ちようで暮らしていた4月下旬のこと・・・二十歳になる一人の男性が心臓病で入院し,私はその青年の主治医になった。

 その若者のことを,ここに書き留めておきたい。この世にはすでにいないから,姓名も明かしておこう。 なまえは『髙田廣行』という。

 あいつは・・・私の医師人生のなかでも,ひときわ異彩を放っている。