( 12 - 11 )

 

 3月11日,金曜日。

 午後,病棟回診をしている最中に多少の揺れを感じ,テレビからは臨時ニュースが流れていた。東北で地震が発生したのだという・・・病室を回っていたせいもあって,とくだん気にはとめていなかった。

 夕方になっても,さほど深刻だとは思われない。地震大国では仕方ないことと片づけられる範囲内でしか物事を考えていなかったのである。

 この日の映像にはじっさい,想像もつかないほど甚大な被害を受けた地域からのものはなかった。壊滅的な損害を被っていれば,即座に正しい情報を発信したくても物理的に不可能なことなのだ。

 

 3月12日,土曜日。

 しだいに言語に絶する惨状が明白になり,様々な災害の規模は予想をはるかに上回ることになった。おそらくは・・・大震災と呼ばねばなるまい。

 前代未聞というべきは,東北地方の太平洋沿岸部一帯が大津波に飲み込まれて,まさか・・・海辺の街という街が一つ残らず,かつ跡形もなく破壊されてしまったことだ。対処のしようがなく大災害に及ぶのは必至の状況である。さらに未曾有の原発事故の発生も懸念される。

「本当は,どれほどの人が犠牲になっているのかしら・・・」

 という裕子の疑問に,現時点では答えることができない。被害が大きすぎて概要すら把握できていないのだ。

 テレビも異常事態だった。どのチャンネルを入れても特別番組ばかり。そのうえ全CMは例外なく放送中止となり,代わって公共広告が耳にたこができるくらい繰り返し放映されている。

 

 この大惨事の意味するところは何なのであろう。この期に及んで,タオは私をして何を知らしめようというのか。

 いったい,なにゆえ,この日なのだろう?

 慈悲なんてものはヒトカケラもない・・・想定外の巨大津波によって,老いも盛りも若きも幼きも,あっという間に生命が奪い取られてしまった。

 生きるべき人間が命を落とさねばならなかった現実を軽んずるな! 死んだほうがましとおもう人間も生かされていることを忘れるな! 残っている人間は生をまっとうすべく努力をおこたるな! そういうことなのか?

 それとも,自ら死のうとするのはタオに反するとでも諭したいのか?

 そうではなくて,たとえ差しあたり死するのが適っていると思われても,生きていれば誓って答えは違ってくる,とでも言いたいのか?

 なんにしても,このままの状態では自刃できないとおもった。こころに生じた波紋は大きく広がるばかりで,一向に終息しそうにないのである。

 

 テレビ報道を見ていても埒があかない。

「本屋に行ってくる」

 そう裕子に告げて外へ出かけた。普通なら海に行くところだろう。だが,明日という日にしっかり向き合うつもりであるから,こんな心持ちで海にアイ対したくはない。

 歩きながら思いをめぐらす。

 真子と別れてからというもの,ずっと自決のことで頭を悩ましてきた。心発作を自覚してからは,より深く自己を見つめなおした。そうしてオノレを問いつめて辿りつく結論はいつのときも同じだった。

 わたしは,自身の内部から,激震を起こすことを決めたのだ。

 はからずも,あるガン患者の看取りをおこなう使命が与えられ,それからは身の回りの整理もしてきた。

 その日は,必然の成り行きとして定められた。今さら考えることなど,あろうはずがない。

 しかるに土壇場で状況が一変した。

 天災によって,生命の尊さが,まさに浮き彫りにされたのだ。それはすなわち,自死することは紛れもなく罪悪である,と決めつけられたようなものだ。

 立ち止まり,いちど深呼吸をして,呪文を唱える。

『タウ・タオ・タイ』

 じつは,これは呪文なんかではない・・・実在する真実なのだ。大地震がタオであるなら,私もタオである。

 不測の天変地異に見舞われて大勢の人々が亡くなったこと・・・そのことが悲惨であってもタオであると宣告しなければならないのなら,自らセットした内部爆弾によって死することもタオであると宣言しなければならない。

 わたしは,現存するタオ!・・・同じくタオの一部分なのだ。

 

 まわりに気づくと尾山神社の近くにいた。もう来ないと決めていたけれど,これもタオなのか・・・東神門から境内にはいる。

 拝殿前の梅の木には花が凛として咲きはじめていた。北側の端のほうでは,すでに五分から七分くらいは咲いているのに,正面のほうは・・・これから開こうとしている。

 淡い薄紅色・・・吸い寄せられるように,心がなごむ。

 梅の花も,雪吊りも,白いものが積もっていたなら,よりいっそう映えるだろうに・・・一度でいいから,雪中に咲くありさまを見てみたいものだ。

 と,おもわず笑ってしまった。 無いモノねだりも,死を避けようとするのも,たいして違わないじゃないか!

 神苑のまえに立ち,再会をはたす。

 つい先ほどまでの苛立ちはいつしか消え去り,ふしぎと清々しい。藤棚には緑はなく,春は未だしの感は否めなかった。

 しずかに向き合っていると,語りかけられているような気がする・・・それで,いいのだよ。

『ならば,信じよう・・・信じて,信じきるのだ』

 自決は・・・いわば,挑戦である。

 現実がいかに変化しようとも,己れ自身を相手にする闘いは,変わりようがない。そんな,変われない自己を信じよう。

 真子を,嵩子を,そして裕子を信じよう・・・ここに在るもの,すべてを信じるのである。

 目を覆いたくなるような災禍であっても,受けいれて信じる以外に生きる術はない。どんな試練にも,信じ抜いて耐えていかねばならぬ。

 でなければ,成就することはないのだよ・・・批評家のようにつぶやく声が聞こえた。なんとはなしに微笑む。

『これでこそ,お別れだ』

 参拝はしたくない。東参道より外へ出た。

 

 家にかえると,特別番組では,東京電力福島第一原発1号機の原子炉建屋が水素爆発したことを伝えていた。

 最悪の泥沼状態ではないのか?・・・と疑いたくなるほど,テレビ報道では実際の状況が判然としない。