(12)
年が明けて,いよいよ・・・2011年。
元日は雪も遠のいて,日中には時おり青空がのぞいた。
初もうでに行きたい・・・と裕子がいうので,オセチを食べてから近くの八幡神社に出かけた。無名の社は家から歩いて10分足らずのところにあったが,日ごろ参拝する人を見かけることは滅多になかった。
この日も年始めだというのに,人っ子ひとり見えない。だが,知名度になんの意味があるだろう。私にとって大事なことは,ただひとつ・・・オレを想ってくれる裕子の望みを少しでも叶えたい。
彼女にしても式内社のような人気スポットでなくて良かったのだろう。地元の神社にでも行ってみようか・・・たんに立ち寄ったことがなかったという理由で,そう提案したときも嬉々として同意してくれた。大切なのは,ふたりで初詣りすることだったにちがいない。
石造りの鳥居から境内へ入る。
参道は除雪されていたが,狛犬と神馬は大晦日の雪を被ったままだった。左脇の手水舎をのぞいてみる・・・龍の口から肝心の水が出ていない。元旦の神事は執り行なわれていないようだ。
社殿は・・・昨今みかけることが多いアルミサッシで囲まれていたが,建物自体はさびれて久しいということが一目瞭然であった。
中央の短くて狭い階段をあがると,廻り縁があって,高欄の擬宝珠が目についた。どこもかしこも年季の入ったものばかり・・・とはいうものの,たとえば虫喰いの柱や隙間だらけの引き戸は,かえって守り続けられている歴史の重みを感じさせる。
残念ながら拝殿正面の扉は開かなかった。けれど,格子から中の様子が見てとれる・・・祭礼の飾りつけや供え物などの準備は整っており,奥のほうには小さな本殿が安置されていた。静まりかえった神殿は,世間の初もうでの喧噪とはおよそ無縁であって,祈りを捧げるにはもってこいの環境である。
だれもいない二人っきりの参詣は思いのほか気持ちがいい。されど,胸の奥のほうには絶えず熱量のない冷めた波動を感じる。
・・・モトをたどれば,はじめて裕子と交わったときにも染まらなかった真っ黒の領域。忘れていても消えさることのない心の闇。共生のなかにあっても孤独を主張してやまない帳本人。
彼女と一緒に暮らすことには大きな安らぎをおぼえたが,一方で真には応えてやれない負い目を引き摺った。死を決意してからは尚更のこと。
『オレがいなくなっても,おまえに災いが降りかからないように・・・』
手持ちの小銭ぜんぶを賽銭箱に投げいれて,それだけを切に願いつつ柏手を打った。しかし,これは自己矛盾にほかならない。本当に望んでいるならば,死ななければいいのであるから。
こんなハシタ金では聞き届けてもらえなくて当然かも,って弁解がましい解釈をくわえながら,『しかたないんだよ,こればっかりは・・・それと,きょうはこのあと予定があって,ほどほどに引きあげるつもりだからよろしく』と,いつのまにか彼女への釈明と要望に変わっていく。
階段の真ん中に鈴緒が垂れ下がっていた。向きなおって振り鳴らすと,鈍くて湿った音色があたりにひびく。
『タウ・タオ・タイ』
撞着を包みこむ呪文となってココロに谺する。使命というものは達成されないはずがない・・・都合のいいように予期して余韻にひたる。
ついで裕子が勢いよく緒を振った。ひとりよがりの世界を蹴散らし,豊かに波打つように響きわたる鈴の調べ・・・こんなにも鳴らし手によってイメージは変わるものなのだ。
・・・あとの心配など要らぬということか。
「ちかくの神社もいいわね。お詣りする人がいないから,よけいに御利益がありそうだわ」
「だといいな・・・」と,新しい年を迎え,私は素直に答えた。
帰ってきて,すぐに病院へ向かった。
ぜがひでも元日に浅谷さんを診にいかなくては・・・そんな思いが,頭から離れなかったのである。
病室にいくと,患者は・・・主治医の危惧をよそに,しずかなれど,かすかな寝息をたてながら眠っていた。
つかの間でも穏やかに眠られるうちは,まだ良いほうだと言わねばならないだろう。子供のような寝顔を見ていて・・・ハッとする。
初もうでにいっても,なにかしらそぐわない気持ちがしていた。潜在する意識のなかに,新年を祝うなら普通の場所ではいけないような感覚があった。どういうことなのか,ここへ来て分かった。
この病室こそ,まさしく予感された,今年の抱負を誓うには最適といえる処なのだ。じわじわと間違いではないことを実感してくる。
近ごろになって思うようになった・・・現実にけじめをつけるには時間が必要であったが,浅谷さんはそれを作ってくれたのではないかと。
自分自身で終焉への道を演出するのは案外に難しいことであろう。誓いを立てることで,その恩人に報いなければならない。
役目を知らない水先案内人に向かって念ずる。
安らかに眠れるよう,かならず看取るよ。あの世へ行けるよう,こころを込めて見送るよ。だから・・・今際のキワまで生き抜いてほしいんだ。
それが人の生きる道。
だけど,オレはそういうわけにはいかない。定められ,自らが定めた道を締めくくらなければならぬ。
年頭にあたり,ここで宣言しておきたい。
あなたの死を見届けたら,オレは・・・この世に見切りをつけて,いさぎよく自決するつもりだ。
それが,わが人生の終着点。
念じ終わると,浅谷さんは目を覚ました。いくぶん驚いた表情を見せて小声でつぶやく。
「せんせい・・・」
あまりにもタイミングが良すぎた。
・・・「おっ」
対応が一瞬おくれたうえに,オメデトウの言葉をとっさに呑みこんで「ことしも,よろしくおねがいします」
不自然に聞こえたことだろう。患者の心情をおもんぱかると,お祝いに関連する口上が躊躇われた。
ところが,そうしたコダワリなど浅谷さんにはなかったようなのだ。
「あけましておめでとうございます。わたしのほうこそ,本年もよろしくお願いいたします」
いささか考えすぎだったらしいが,ただ気遣いとはそういうものであろう。
「どうですか,気分は?」
「まあまあです」
正月に小康状態を得ているとはいえ,忌憚なくいえば,この冬を越せるかどうかもあやしい容態である。本人はそのことを,どこまで感じ取っているのだろうか?
「いま夢を見ていました。ナースさんとお喋りしていると,とつぜん先生に呼びかけられ,挨拶をかわす間もなく眠りから覚めてしまって・・・そしたら,いきなり目の前にいらっしゃったので,ほんとにビックリしました」
「ふしぎですね,ぼくも,心のなかで語りかけていましたよ」
「それを感じたのでしょうか? 新年の,さい先のよいスタートですよね」
「そうかもしれませんね・・・」
「わたしの行く先は決まっていますけど・・・せんせいには今年,きっといいことがありますわ」
「・・・」
返答に窮してしまった。浅谷さんにとってのよいことが,ぜんぜん思い当たらない。
「さっきまで,主人と娘が来ていました。孫娘に・・・来年は,お年玉をあげることもできないのですね」
『なんと愚かしい・・・オレ』
・・・見つからなくていいのだ。良さそうなことを短絡的に探しあてたところで,どのようなことも未来に繋がっている。その未来に対して,当人が鈍感であろうはずがないのだから。
「ごめんなさい。ちょっと前まで我慢できていたのに・・・」
泣いてココロが和らぐのなら,泣けばいい。しかし,そうではないだろう。よりいっそう悲しみが深まるような気がする・・・だからこそ,家族には涙を見せられなかったのではないか。
向かいあう人は溢れるものを拭おうともしない・・・ナミダは頬と酸素カヌラをつたい雫となってこぼれ落ちた。もはや助言することもできないし,同情を示すことすら憚られる。ただただ嘆息しつつ眺めているばかり・・・まるで真実をうつしだす鏡を見ているようだった。
「きょうは元日ですけど,先生なら来てくださるような気がしていました」
「ぼくも,浅谷さんの顔が見たくなりました」
「あと・・・どれだけ生きていられるのか分かりませんが,こんごとも,どうかよろしくお願いいたします」
「わかりました」
そう返事したくせに,ふたたび心に念じたことは,冷たいと非難されてもおかしくなかった。
『お迎えがくるその時まで,ありのままに,もがいて生きればいい。その一部始終を,この目におさめておくから・・・』