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 2011年2月28日,月曜日,午前11時7分。

 浅谷富子さん,家族全員に見守られ,安らかに眠るように逝く。 享年67。

 

 満66歳の往生であった。

 死に顔を目に焼きつける・・・そのとき瞼のうらに,5日前に見せてくれた刹那の笑みがよみがえる。

 そうだ!・・・あの表情は菩薩にそっくりなのだ。どうりで人智を超えていたはずだと,妙に納得する。

 正午ちょうどに浅谷さんを見送る。 合掌して,恩人と永訣した。

 

 その日の午後は,どうにも落ち着かない。

 心カテが1例予定されていたが,検査のみでは昂ぶった神経を抑えきれず,気合いと時間を持てあました。もし・・・インターベンションを行なっていたならば,どんな難しい病変にも挑戦していたことだろう。

 

 検査のあと,さっさと仕事を片づけて,時間になると帰宅した。

 家には・・・裕子はいない。そういえば準夜勤務だった。テーブルの夕食を食べてから,あてもなく車を走らせる。

 べつに意識したわけではないが,気がつけば有料道路・・・こんな時はやっぱり海を眺めたかった。

 パーキングに車を止めて,防護柵の前に立ってみる。 外はかなり寒くて,春はまだ遠い。

 大海原は・・・真っ暗闇に呑みこまれ,まるっきり見えない。が,風の音にまじって潮騒が聞こえた。こころは波打ちはじめる。

 

 浅谷さんが亡くなったことで,私の精神はあきらかに動揺し,変調をきたしていた。いかなる心理が働いているのだろう?

 ・・・ひたすら待ちわびたことをようやく手にしたというのに・・・ついに自死は完全なる専決事項となったというのに・・・どこかに不協和音が生じているらしい。

 11か月かけて自己を検証してきた。

 期間が適切であったかどうかは分からないが,結論として,我が道に変わりはなかった。それは十二分に是認できることだった。

 ところがどうだ。

 患者の死去により実現可能となってみると,これでいいのだろうか,という一種不安めいた感情がうごめいてくる。

 突きつけられた感じがして,はやる気持ちの奥に,このような運命を背負わなければならない恨めしさが息を吹きかえす。

 人なら・・・あたり前のことか。

 考えることを止め,海から吹いてくる風を思いきり吸いこんで一気に吐きだした。