2023-02-01から1ヶ月間の記事一覧

( 12 - 3 )

2011年2月28日,月曜日,午前11時7分。 浅谷富子さん,家族全員に見守られ,安らかに眠るように逝く。 享年67。 満66歳の往生であった。 死に顔を目に焼きつける・・・そのとき瞼のうらに,5日前に見せてくれた刹那の笑みがよみがえる。 そうだ!・・・あ…

( 12 - 2 )

正月が明けると浅谷さんの病状は悪化の一途をたどった。 十分に食べられないため,毎日の点滴は中止のメドが立たない。排尿障害は改善する見込みがなく,尿道カテーテルも留置をつづけた。 心嚢水にあきらかな増加はなかったが,上大静脈症候群を合併して上…

( 12 - 1 )

(12) 年が明けて,いよいよ・・・2011年。 元日は雪も遠のいて,日中には時おり青空がのぞいた。 初もうでに行きたい・・・と裕子がいうので,オセチを食べてから近くの八幡神社に出かけた。無名の社は家から歩いて10分足らずのところにあったが,日ごろ参…

( 11 - 12 )

12月も中旬になると,浅谷さんの背部痛のぐあいは悪化し,しばしば前胸部の痛みも加わった。しだいにレスキューの使用頻度も多くなってきたので,貼付剤オピオイドの増量をすすめたが,最初は断られてしまった。どうも眠気が強くなって会話ができなくなるの…

( 11 - 11 )

12月の上旬,この時節としては暖かくて過ごしやすい日が多かった。近いうちに寒波が襲ってくるだろうが,いくらかでも穏やかな日が続いてくれたほうがありがたい。さながら浅谷さんの今の病状のようである。 「きょう,頚髄損傷のカレが,がんばって退院しま…

( 11 - 10 )

人は死のうとするとき,その前に自己の原点を訪ねてみたくなる。その原点とは何なのか? わたしは漠然と尾山神社にあると思っていた。それは若き日の失恋に関係があることは疑う余地がない。しかし,なんとなく釈然としないものがある。 12月5日の日曜日,…

( 11 - 9 )

あるがままでいいのだ。 ・・・過つがままに,と言っても差し支えないのかもしれない。その先にしか,真実は見えてこない,良いことであっても悪いことであっても。そして,見えなかったとしても,後もどりすることはできない。 嵩子と逢ってから,浅谷さん…

( 11 - 8 )

11月13日土曜日,13年ぶりに嵩子と逢う。 前日の金曜日,準夜勤務の時間帯に入って仕事が一段落したとき,K病院に就職して以来はじめて彼女の携帯電話に接続をこころみた。 現在のマンションへ引っ越してきたさいのこと。嵩子はレシートを差し出して,わた…

( 11 - 7 )

10月26日の昼前,浅谷さんは呼吸困難と全身倦怠感を訴えて救急センターを受診した。38.0℃の発熱と血液検査で細菌感染の所見がみとめられ,胸部X線では明らかな肺炎はなかったものの再入院してもらった。 抗生物質の点滴で症状は改善したけれども,前回の入…

( 11 - 6 )

10月22日,浅谷さんが心許なさを抱えたまま退院となった。自宅でも在宅酸素療法を行ない,外来は一週間ごとに受診する予定である。 退院の前日,病室へ行くと・・・当人の顔色がいつもより冴えなかった。家に帰りたいのはヤマヤマであっても,うまく生活でき…

( 11 - 5 )

別の日の夕方,病室に顔を出すと,子供を連れて娘さんが来ていた。浅谷さんは以前と変わらず,孫娘が愛おしくてしかたがない様子であった。 「孫はかわいいですよ。先生は,まだですか?」 言ってなかったかな? それとも覚えていないのか・・・。 「浅谷さ…

( 11 - 4 )

「あの心不全のおばあちゃん,家族はそんなに望んでいなかったのですが,転院に向けて完全静脈栄養をはじめることになりました」 「その点滴,先生は反対でしたよね」 「そういうわけではありませんが,たしかに寿命を延ばすばかりの医療には不満を抱いてい…

( 11 - 3 )

「痛みはどうですか・・・」 「きのうから,レスキューは,まだ使っていません」 「じゃ,オピオイドの量は,今のままでいいようですね」 これからは,どんな話題でもいいから,できるだけ浅谷さんと会話を重ねていこうと考えていた。 「五日前,ひとり暮ら…

( 11 - 2 )

オピオイドを少しずつ増量し,背部痛は徐々に抑えられつつあった。多少の眠気はあるようだが,制吐薬が効いているせいか吐き気の副作用はほとんどなかったし,便秘の副作用も緩下薬でコントロール可能であった。 日中の診察のほかに,不都合が生じないかぎり…

( 11 - 1 )

(11) 浅谷さんの症状は,入院して少量の酸素を吸入することで軽減した。追加の検査所見を確認しても前月と著変はなく,心エコーでも心嚢液の増加はみられない。したがって酸素吸入は,ほどなくして止めることも可能であったが,しっかり落ち着くまで継続す…

( 10 - 8 )

夜が明ける前に目が覚めてしまった。真横で裕子は未だ眠っているようであったが,股間に溜まった力を逃がそうと彼女を抱き寄せる。耳元で息をふるわせ,右手で臀部をそっと舐めるように撫でまわす・・・彼女が反応し,しだいに縺れあい,ベッドがミシッミシ…

( 10 - 7 )

8月25日の水曜日から3日間,急遽,夏季休暇をもらって裕子と共に東京へ行くことにした。看取りの約束が気になり,遠出をするなら早目がいいと思ったのだ。ただし彼女の勤務の都合もあるし,整理しなければならないことが山ほどあって,一泊二日の短い旅行…

( 10 - 6 )

7月,浅谷さんはもう一度外来を受診した。とくに変わりはなく,むしろ表情は明るくて,とても癌に侵されているふうには見えなかった。 ところが8月3日の火曜日,労作時の呼吸困難を訴えて,浅谷さんは午後外来を再診した。胸部X線ではあきらかに心嚢液の…

( 10 - 5 )

マンションへ帰ってから浅谷さんと交わした約束について考える。 もうちょっと先のことではあろうが,注意を怠らなければ役目を果たすことに支障はないはず・・・それにしても,と思いを馳せずにはいられない。 ・・・あの金井さんは,どのような思いで,最…

( 10 - 4 )

6月,浅谷さんは珍しく循環器外来を一度も再診しなかった。どうしたんだろうと思っていたら,7月になるとすぐに午後外来を受診した。 「先生,こんにちは」と,ふだんどおりのあいさつ。でも,どことなく表情が冴えない。 「こんにちは。6月は受診されなか…

( 10 - 3 )

6月12日,土曜日。 金沢駅から裕子とサンダーバードに乗り,宮島へと向かった。新大阪駅で新幹線に乗り換え,この年になって人生初という広島駅に降り立つと,いくらか若かりし日の修学旅行のような気分になって胸がわくわくしないでもない。 軽く昼食をと…

( 10 - 2 )

5月のゴールデンウィークはいい天気がつづいた。4日のみどりの日もポカポカ陽気でとても暖かい。3年ぶりに裕子と千里浜をドライブする。 能登有料道路は県外ナンバーの車が多くて混んでいた。普段よりもずいぶん車間を詰めて走らせる。なぎさドライブウェ…

( 10 - 1 )

(10) 2010年4月,私は54歳になった。 さいわい先月の心カテ以降,発作らしい発作は起きていない。また造影結果がこころの負担を少なからず軽減してくれたのも偽らざる事実である。 誕生日の朝,裕子がお祝いにロケットペンダントを贈ってくれた。ニトログ…

( 9 - 3 )

母が永眠して,わたしは天涯孤独の身の上となった。 6月になって母の言い残したとおり,遠縁の人の協力をえて,祖父母の眠っている墓に納骨を済ませた。けれど・・・悲しくはなかった。それどころか今まで以上に,宿命めいたものをおぼえてココロは打ち震え…

( 9 - 2 )

夜になって主治医のドクターから,現在の病状と今後の治療方針について説明を受けた。私の申し出により母は同席しなかった。 確定診断は子宮頸がんで,肺と骨に多発性の遠隔転移が認められて手術は困難な状態であった。私が医師なので,手術以外のがん治療を…