「痛みはどうですか・・・」
「きのうから,レスキューは,まだ使っていません」
「じゃ,オピオイドの量は,今のままでいいようですね」
これからは,どんな話題でもいいから,できるだけ浅谷さんと会話を重ねていこうと考えていた。
「五日前,ひとり暮らしのおばあちゃんが,心不全で入院になりました。で,百歳のおばあちゃんなんですよ」
「百歳ですか」
「えぇ。それが,やはり百歳ですね。心不全が治っても,食事はできそうにありません」
「心臓が悪すぎて・・・ですか?」
「そうではなくて,認知症と高齢による機能低下が原因だとおもいます」
「食べられないときは,胃瘻をつくらないといけないのでしょ・・・」
「よく知っていますね」
「わたしのおばさんが,流動食で生きていましたから」
「そうですか。でも,最近では昔ほど胃瘻を造らないんです。医療政策が変わって,人気が下がってしまいました」
「どういうことでしょうか?」
「総合病院のような急性期病院では,患者さんが希望されても医学的理由がなければ,長期にわたって入院できない仕組みになっています。目標が達せられて病態が落ち着いてくれば早々に退院しなければなりません」
「そうなんですよね・・・」
「もし自宅には戻れない場合には,施設へ入ってもらうか慢性期病院へ移ってもらうかになるのですが,近ごろ慢性期病院にお願いしても,胃瘻の患者さんを引き取ってもらえなくなりました。その代わりと言ってはなんですが,栄養をすべて点滴でまかなう完全静脈栄養,これまでの呼び方では高カロリー輸液という,特別な点滴治療がたいへん人気で流行っています」
「・・・」
ここまで語ってくると,相手の反応には無頓着になりつつあった。もうすこし深いところまで説明しないと気がすまない。
「じつは国の施策によって医療の提供体制が定期的に改変され,それにともなって診療報酬つまり治療代も改定されていくのです。それで最近では,報酬の低い胃瘻の患者さんよりも,施策に合致して報酬の高い完全静脈栄養の患者さんのほうが,圧倒的に慢性期病院へ転院しやすくなりました」
「もうかる治療が選ばれているのですね」
「というより,医学のみでは病院経営は成り立っていかないですからね。それに点滴の栄養のほうが適している場合もけっこう多いのです。胃瘻からの流動食には限界や問題点があって,なかには実施できない場合もあります。そういうことで食べられなくなった人には最後の手段として,完全静脈栄養が行なわれることになります。浅谷さんは点滴の栄養を,どうおもいますか?」
「えっ・・・どうって?」
「行なったほうが良いのでしょうか?」
「いいことなのでしょう?」
「この頃では,年をとって永続的に食べられなくなったら,人間として寿命がきたのではないか,と考える人が多くなりました。それが大自然の摂理ですから。寿命がきたのであれば治療は要らない,そっと逝かせてあげるほうが道理に適っているとも言えるでしょう」
「寿命ですか・・・」
「身体の衰弱によって,いわゆる老衰ですね,自然のまま安らかに最期を迎えることを,自然死と呼んでいます」
「しぜんし・・・」
「ところが日本の病院では,そうした自然死を切望している人が入院になったとしても,なにもしないで様子をみることは慣習的にも制度的にも許されていない・・・極端なハナシ,殺人につながりかねないですからね」
「生命の操作ですね」
「そのとおりです。 安楽死や尊厳死が認められないのと同様,病院では不作為の責任という問題が絡んで,点滴の一本でも行なわないといけないのが現状なんです」
「点滴してもらって当たり前のようにおもえますけど・・・」
「病院は治療するところなので,点滴の処置は当然といえば当然かもしれませんね。それならば病院以外のところで,しっかり自然死の看取りをおこなう必要があるとおもいます」
「どこなら・・・その看取りは,受け入れてもらえるのでしょうか?」
「在宅医療,たとえば往診とかであれば前々から可能なんですが,いくつか別の課題が立ちはだかってくるんです。とくに今どきの家族が,はたして寝たきりの高齢者を世話できるのかどうか・・・おおいに疑問が残るところです」
「わたしの場合はどうなるのでしょうか?」
「どうなるとは?」
「食べられなくなったら,どのような治療を受けるのでしょう?」
「もちろん点滴をしますよ」
「さきほどの完全・・・ナンとかをするのですか?」
「たぶん通常の点滴をおこなうとおもいます。浅谷さんには,完全静脈栄養を選択するメリットはないでしょう」
「そうなんですか・・・」
いささか不満そうに顔つきが硬くなる。食べられなくなったときは,おそらく・・・かなり苦しくなって身体も弱っているだろうから,苦痛の時間を長引かせる治療は不要であるし,カロリーの高い栄養はかえって感染症などを誘発するだけであろう。
「・・・消灯の時間ですね,ゆっくり休んでください」
浅谷さんは覚悟を決めたはずであるから,踏みこんで話しても大丈夫とおもう一方で,不用意な発言は慎まなければいけない。真実というものは,受けとめるのに時間がかかることが多い・・・きょうはここまで。