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「あの心不全のおばあちゃん,家族はそんなに望んでいなかったのですが,転院に向けて完全静脈栄養をはじめることになりました」

「その点滴,先生は反対でしたよね」

「そういうわけではありませんが,たしかに寿命を延ばすばかりの医療には不満を抱いています。でも,現在の医療情勢のなかでは仕方のない選択肢だと考えています。おばあちゃんの場合,子供さんは高齢のうえ遠方に住んでいて介護はできないし,また自然死を引き受けてくれるところもありません。それで意に反することであっても家族は聞き入れようというわけです。ぼくは,医療も生きるための手段だとおもっています」

「つぎの病院へ移るため・・・でしょうか」

「そうですね,露骨にいえば,転院して入院治療をつづけるために・・・」

「なんだか哀しいです。本人の意思とは関係なく,家族から見放されたみたいに決められていくなんて・・・」

「ですが,老齢の人たち,とくに認知症の人たちには,その人の究極の状況やスガタがあらわれているような気がしてなりません。理不尽きわまりないことであってもあるがままに受け入れたり,太刀打ちできないときであってもめちゃくちゃに抵抗したり・・・どうでしょう」

「とうてい,わたしには耐えられそうにありませんわ。ただ・・・点滴はして欲しいとおもいます」

 いかんな・・・浅谷さんは自らを重ねているようだ。

「ややこしくなってきたので,このハナシは止めにしましょう。春ごろ,ぼくの外来に,糖尿病の人がやって来ました。どうやら友人に聞いて受診したようなんです」

「心臓の発作ですか・・・」

「まったく違いました。その人が訴えるには,どこの医療機関を受診しても糖尿病の先生は,一日3回の飲み薬やインスリンの注射をしなさいと言って,ぜんぜん希望を聞いてくれない。死んでも注射はイヤだし,長距離トラックの運転手をしているから,食事は規則的にとれないし,間食しないとやってられない。なによりも一日1回の飲み薬を出してほしい。良い結果が得られなくても文句は言わないし,自分はそれを飲んでみたいんだって懇願するんです」

「それで,どうされたのですか?」

「一日1回タイプの薬を処方しました。ぼくは,生き方を大事にしたいし,生き様にこだわりたい。なかでも最優先に考えているのは生活すること・・・学会のガイドラインに従うこと以上に,当人の生活事情を重視したいんです」

「患者さんに,推奨されている治療を勧めること,説得することは重要ではないでしょうか?」

「心配無用ですよ,ほとんどのドクターは標準的治療を行なっていますから。その医療に不満をもつ人だけがボクのところを受診する。言葉を交わしているうちに,背後から聞こえてくるんです・・・文句を言ったりしないから,まず自分がいいとおもう治療を受けてみたいんだって」

「その人の判断がおかしくても,ですか?」

「おかしい程度によりますけど・・・ケースバイケースですかね」

「注射はどうなんでしょ」

「理由はさておいて,注射がイヤというのは一種の信条のようなもの。それを変えられるのは,理屈ではなくてやっぱり事実でしょう。実際に内服でやってみてムリだと分かったら,注射に納得できる人がいるかもしれません」

「それなら,わたしもわかります」

「ぼくの外来には・・・一部分ですが,いっぷう変わった人たちが受診しているような気がします」

「わたしも,そのなかの一人ですね」

「正解です」

 

 医療は,人の命を助けるためにある。結果として寿命が延びていく。最新の研究成果を踏まえて,エビデンスに基づいた診療ガイドラインが作られる。いわば,標準医療は社会の要請だ。

 ところが,医療の現場ではさまざまな難題が生じてきて,ガイドラインどおりには治療を行ないがたい。医師はしょうがないとタメ息をつく。その諦めのウラには,指針に従って治さなければ・・・という意志がある。

 その時代に即した妥当な医療として,ガイドラインに誤りはないだろう。しかし,大前提が見落とされているのではないか・・・それを欲する者には正しいであろうが,欲しない者には正しいとはいえないのである。少しでも長く生きたいとおもう人にしか通じないということ。

 寿命が延びるといっても,人生の中味まで保証してくれるわけではない。ゆえに,その人自身の身の上と置かれている環境が,将来の望みに微妙な影を落としている。

 長生きしたいにしても,多くの人は寝たきりにならないことを願っている。なかには,苦しむ前にポックリあの世へ逝きたい,といった虫のいい願望をいだく人もいる。他方で少数ではあるが,さほど長寿を望まない人あるいは望めない境遇の人がいる。そんな人たちには医療は要らないようなものだが,現実を生きるためにはどうあっても必要だ。

 医師がガイドラインの呪術から抜け出すことは,思いのほか難しい。

 ちょうど診療のロジックから離れられないのと似ている。縛られないためには,本当の意味で人間を知らなければならない。

 

 私が医療に求めるものは寿命ではない。人生への寄与である。