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 6月,浅谷さんは珍しく循環器外来を一度も再診しなかった。どうしたんだろうと思っていたら,7月になるとすぐに午後外来を受診した。

「先生,こんにちは」と,ふだんどおりのあいさつ。でも,どことなく表情が冴えない。

「こんにちは。6月は受診されなかったから,久しぶりですね」

「すみません・・・今後のことを決めかねていました。決めてから,来ようと思っていたんです・・・」

「じゃ,決心がついたみたいですね」

「いいえ・・・まだ,迷ってばかりです」

 伏し目がちに返事をする浅谷さんが,途中から顔をあげて,切羽詰まったかんじで訴えかけてくる。

「きのう,CT検査のあとで,下田先生に抗がん剤を勧められました。受けたほうがいいのでしょうか?」

 さっそくカルテを調べてみる。放射線科専門医による読影所見には,右上葉の原発巣と縦隔リンパ節の増大および心嚢液の増加をみとめるとあった。つまりは癌が進展し,2年前に行なった心膜開窓術は機能しなくなり,そのため心嚢液が再貯留しだしたということだ。これから心嚢液はさらに増えて予後に大きな影響を及ぼすことだろう。

 CT画像を比較してみる。あきらかに心嚢液は増えていた。このまま推移すれば薬物治療が著効しないかぎり,近いうちに心膜ドレナージを施行しなければならなくなる・・・それは間違いない。

「浅谷さん,抗がん剤の治療はこのあたりで止めにして,あとは一日一日を,ゆったりと大切に生きてみたらどうでしょう・・・」

 他人の人生には関わりたくない。おのおのが自身で考えて決めればいいことだとおもう。私は医師としてアドバイスするだけである。ただし,浅谷さんは私の助言に左右されるかもしれない。それで,なるべく自分の判断は言わないようにしていた。

 ところがCT画像を見たとき,自分の考えを封じ込めることに無性に逆らいたくなった。それは,浅谷さんが私を信頼していることと無関係ではない。その信頼を感じれば感じるほど自己を偽りがたくなるからだ。

「治療をしないということは,もう諦めるということですか?」

「そう,諦めたらいい。覚悟をきめて,じぶんで人生の終わりに向かって生きていく・・・それでいいじゃないですか」

 家族を差しおいて患者の人生を終焉へとみちびく権利など私にはない。

 浅谷さんには夫も子供も孫もいる。以前もらった一筆箋には,家族のきずなという字句が書かれていた。病気になったことで,たぶん夫とのあいだに認めていた溝がいくらかでも埋まったと語っているのだろう。また娘さんに出会って挨拶を交わしたこともあった。そのとき一緒に見舞いに来ていた5歳の外孫を,浅谷さんは目に入れても痛くないほどに可愛がっていた。

 その人たちの意向を考慮しないまま,人生の選択に関与することは望ましいとはいえない・・・またしても私は出過ぎた真似をしているのか?

「浅谷さん,あらたに抗がん剤治療を受けて,いったいどれだけ命は延びるだろうか? すばらしく効果があって,奇跡的に長く生きている人もいるけど,平均的には数ヶ月くらいだとおもう。たしかに,それは大きな違いかもしれない。でも,数ヵ月後にはいやでも同じような状況がやってきて,かならず死を受けいれなきゃいけないトキが現実として迫ってくるんだ・・・」

「ですが,先生・・・やっぱりわたしは,もっと命が欲しいんです」

「そりゃあ,死にたい人なんていないでしょ。誰だってガンを克服して生きていきたい。でもね,実際に生きられない人は少なくないんです」

「・・・」

 ひとたび自分の内心をぶちまけると,なんとか相手に伝えたくて・・・このままではうまく伝わらない気がして歯止めがかからない。

「ぼくが言いたいのは,しかたなく死を受けいれるのではなくて,前向きに受けとめることができたら,それなりに違ったかたちで最期を迎えられそうな気がするということ・・・」

「そうかもしれませんけど・・・わたしは,まだ死にたくありません」

 ・・・そうだった。これは患者自身の問題であった。そもそも私の意見なんぞ参考にならなくて当たり前だ。ついオノレの孤独を忘れていた。

「ずいぶんと知ったふうな口をきいてしまった・・・ガン治療を受けたこともないくせに。 浅谷さん,なにも聞かなかったことにしてください」

 沈黙の時間がながれた。真剣に語り過ぎたと後悔の念が生じる。すると,浅谷さんのほうから切り出してきた。

「いま,話をしていて,わかったような気がします」

 さっきまでの沈んだ声ではなかった。「わたしは命をすこしでも長く欲しいと思っています。それは変わりません,事実ですから。ですが,もっと欲しいものがあるということに,ようやく気がつきました」

「もっと欲しいもの?・・・命よりも欲しいものですか?」

「そうです。先生のおっしゃるように,抗がん剤は止めようと思います。やっと決められました」

「・・・」

「そのかわりというとヘンですが,せんせいに・・・お願いがあります」

「ぼくに?」

「ハイ」

 視線は私に向けられていたが,目は遠くを見つめていた。まだ戸惑いがあるのだろうか? あるいは無理にも割り切ろうとしているのだろうか? 浅谷さんはゆっくりと心の内奥をなぞるように告げたのである。

「ぜひとも先生に,わたしの最期を,看取っていただきたいのです」

 なっ・・・なんだって?

 こんな結末があろうとは,どう頑張ってみても私には考えられないことだった。主治医であれば最期を看取るのは尤もなことだが,肺がんの担当は呼吸器内科または腫瘍内科のドクターであるべきだ。

「死ぬときは,どうしても先生でなければ,イヤなのです。どうか・・・わたしの願いを聞き入れてください」

 切なる要望に,かつて大学病院で診療した肝細胞がんの男性・・・金井さんをありありと思い出した。信頼されていた・・・にもかかわらず,主治医を降りざるをえないという医療界の通則のしわ寄せ。正当な理由があったにせよ,あのときの金井さんは決して納得してはいなかった。死を避けられぬ人の望みは,できうるかぎり叶えたい。

『最期まで浅谷さんの主治医を務めること・・・それは,オレに課せられた使命なのかもしれない』

 主治医の件は,それほど大した負担でもない。引っかかるのは,浅谷さんを看取るまでは死ねないということだ。

 そうはいっても,ここまできて引き受けないわけにはいかないだろう。

『タウ・タオ・タイ』

 このようなとき・・・大いなる道をおもう。

 良いと判断するところに進んだからといって,思惑どおりになるとは限らない。どのように転んだとしても先のことは分からない。それならば,大いなる流れに身を任せればいいではないか。その道のながれにしたがい,可能な領域のなかで力のかぎりを尽くせばいいのである。

「じゃあ,浅谷さんと共に歩いてみますか・・・」

 遠い目はいつしか私を捉えている。

「ありがとうございます」

 こころなしか涙ぐんでいるようにも見えた。その瞳には安堵の色が滲んでいる。もろくて壊れやすいものを護ったような気分になった。

「いちおう確認ですが,抗がん剤による治療は受けないということで・・・いいですか?」

「はい。これからは本気で,死と向き合ってみたいと思います」と,かすかな笑みさえ浮かべて「自分のこともわかっていなかったのですから,愚かですよね。でも抗がん剤の治療が効かなくなったら,人生のさいごは,どうあっても先生に診てもらって迎えたいのです」

「ご主人や娘さんも,ほんとうに,それでいいんでしょうか?」

「大丈夫です。本人が希望していることですから」

「わかりました」と返事をしたが,そんな簡単に何もかもが受諾されるものでもなかろう。反発したくなって知らずに一言がこぼれた。

「浅谷さんは,かなり変わっていますね」

「そうですか?・・・先生ほどではないとおもいます。それでは,これからもよろしくお願いします」

 浅谷さんはあいさつをして診察室を出ていく・・・一本とられた。出る間際に振り向いて,念を押すことも忘れない。

「いまから下田先生の外来へ行きまして,治療は受けませんとはっきり断ってまいります。ですから先ほどのこと,くれぐれもよろしくお願いいたします」