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 正月が明けると浅谷さんの病状は悪化の一途をたどった。

 

 十分に食べられないため,毎日の点滴は中止のメドが立たない。排尿障害は改善する見込みがなく,尿道カテーテルも留置をつづけた。

 心嚢水にあきらかな増加はなかったが,上大静脈症候群を合併して上半身に浮腫をみとめるようになった。もちろん徐々に増悪する。

 ときどき背部と胸部の突出痛に悩まされ,疼痛コントロールも良好とはいえない。レスキューを内服するけれど,同時に傾眠をもたらした。

 喀痰がおおく,絡みがつよいため吸入を開始する。しだいに末梢からの静脈ルートの確保が難しくなった。中心静脈カテーテルを鎖骨下静脈より挿入し,持続点滴を行なわなければならない。

 

 1月末には寝たきり状態となり,軽い喘鳴をみとめる。酸素はカヌラからマスクに変更した。いくらかでも食べようと頑張っているものの,摂食できる量は微々たるもの・・・日々衰弱しているのは誰の目にも明らかであった。

 

 2月中旬,呼吸困難が増強し,摂食は不可能な状況となった。

「せんせい,息苦しい,たすけて」

 浅谷さんは呻くようにつぶやく。絶食として内服も中止,利尿薬などは注射剤に変更した。

 家族を呼んでムンテラした。遅かれ早かれ意識障害に陥ることを説明し,症状を多少なりとも緩和する目的で,モルヒネの持続静脈内投与いわゆる持続点滴とステロイドホルモンの静脈内投与を提案する。ただし経過が早まる可能性を了解してもらった。

 

 21日より,オピオイド貼付剤を中止して,モルヒネの持続点滴を開始する。ステロイドの点滴もおこなう。

 

 22日,モルヒネを増量する。ステロイドの点滴は連日おこなう。

 

 23日の午後,浅谷さんを回診すると,意外というか期待どおりというか,目をぱちくりさせて話し出すのだった。

「とても,調子が,いいのです。気分も,わるくない,ですし,痛みも,大したこと,ありません」

 見たところ,努力呼吸をしていたし,相変わらず喘鳴もあった。息継ぎしながらの喋り方は,とぎれとぎれで苦しそうである。

 ただ先週に比べれば,たしかに所見はこころなし軽減していた。悪くなる一方だった症状が,はじめて軽くなったともいえる。

 浅谷さんにしてみれば,それが嬉しくてたまらないのかも・・・また薬物の影響も加わっていたかもしれない。

「いいですね・・・浅谷さん」

「はい。会話できて,うれしいです」

「ぼくも,もういちど真剣に語り合いたいと,思っていました」

「足かけ,3年間,たいへん,お世話に,なりました」

「浅谷さんこそ,精一杯,闘ってきましたよ」

「たくさん,悩み,ました。でも,もう,迷いは,ありません。やっと,看取って,もらえる,実感が,するのです」

「・・・」

「なに,ひとつ,できなく,なってから,ものすごく,苦しく,なってから,これでもう,ダメと,わかって,から,ようやく,正直に,せんせいに,すがる,ことが,できました」

 患者の発言は,考えてわかる領域を超えていた。私には聞くことしかできなかった。

「いま,ふしぎと,満たされた,気分,なのです」

 非常に息苦しそうなのに,何故なのだろう,その人の表情にはわずかの曇りもなかったのである。

「せんせいの,お蔭だと,おもって,います。わがままを,きいて,くださって,本当に,ありがとう,ござい,ました」

「ぼくは,出会えてよかったと思っていますよ」

「できれば,あの世,でも,主治医を,よろしく,お願い,します。わたし,待って,います」

 来世のことは請け合えないが,この世にいるかぎり,目下の気持ちで答えても構わないだろう。寒々とした心根は変わらないし,浄土へ往くことはないにしても。

「では,いつになるか分かりませんが,待っていてください」

 直後に,浅谷さんは一瞬の笑みを浮かべた。その微笑みをどこかで見たことがあるのだが,この場ではどうしても思い出せない。

 

 夜になって病室を訪れると,患者は眠りについていた。

 日中よりも安らかそうだった。呼吸不全の患者では,眠っているときのほうがバランスのいい息づかいをする場合がある。

 部屋を出るとき,念のため浅谷さんの顔を視診した。とくに問題はない。しかしながら,日中の好調と夜の安眠は,ひょっとして嵐の前の静けさではないか・・・という懸念を抱かずにはいられなかった。

 

 24日,不吉な予感が当たった。

 午前外来の前に病棟へ駈け上がる。すると,すでに浅谷さんの意識はなかったのだ。

 

 外来が終わってから,ご主人と娘さんにムンテラする機会をもつ。

 このままでは高二酸化炭素血症のため意識はもどらないこと,したがって,あとは最期を見守るしかないこと,いずれ心停止にいたるが蘇生の処置は行わないことを再確認した。二人に異存はなかった。

「ほかに何か訊きたいことはありますか?」

 問いかけに反応するように夫が語りだした。

「きのう,あいつはウソみたいに元気でした。自分にも娘にも,きっと話せるのは今日で最後だからと言って,昔のこととか,病気のこととか,いろいろ一生懸命にしゃべって,なんども感謝の言葉を口にするんです。疲れるから眠ったほうがいいって,いくら忠告しても聞く耳をもちませんでした。あんなに頑張ったせいで,ぜったい死期が早まったにちがいありません。途中で,むりやりでも休ませるべきだった,そうおもいます」

 事情の解釈が違っている・・・そのような後悔の念など,医師である私には一切なかった。かといって,身内の心情をとやかく言うつもりはない。

「先生には,長いあいだ家内をみていただき,ありがとうございました。あいつもたいへん感謝しています。話せない妻になり代わって,こころからお礼を申し上げたい」

 このあと,ただちにモルヒネの点滴は中止した。オーダーの削除と変更をおこない,ステロイドの投与も翌日から取りやめの指示を打ちこんだ。