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 マンションへ帰ってから浅谷さんと交わした約束について考える。

 もうちょっと先のことではあろうが,注意を怠らなければ役目を果たすことに支障はないはず・・・それにしても,と思いを馳せずにはいられない。

 ・・・あの金井さんは,どのような思いで,最期を迎えたのであろうか?

 最近はいろんなことを忘却しつつあるが,金井さんとのことは脳髄に深く刻まれていて失念しようがない。というのも・・・私の犯したルール違反が関係しているからである。

 今でこそ専門外の癌診療に携わることはない。しかし,あのころ大学病院では部屋毎に主治医が決まっていて,ガン患者を受け持つことがあった。

 

 金井さんは当時,満55歳。

 冬真っ盛りの時期に,肝細胞がんの精査と加療の目的で地元の総合病院から金沢大学付属病院へ紹介され,私の担当する病室に入院してきたのであった。

 雪の降る寒い日だった。

 午前中は初診外来で診察医の助手を担当し,午後は心カテ検査に入って予定の終了時間を大幅にオーバー,日勤の時間帯に入院した患者を診ることはできなかった。金井さんを診察しようと病棟へ上がった時には夕食の時刻をとっくに過ぎていた。

 あわてて紹介状を読んでみると,思ったとおり,金井さんは告知を受けていない。現代では,癌であっても本人に告知するのが通常であるが,私が医師になった頃はそうではなかった。

 疑念を抱いてはいないのだろうか? そう思いながら,金井さん夫妻をナースセンターの隣にあった問診室に呼び入れる。

 なにしろ金井さんは無愛想で,話し方もぶっきら棒であった。そのぶん,よけいに奥さんが気をつかって合いの手を入れる。奥さんは,丸髷の髪型に着物がよく似あい,料亭の女将みたいな感じ・・・いかにも控えめで,尽くし上手のしっかり者に見えたけれど,その古めかしさが却って目立っていた。

 金井さんの第一印象はお世辞にもいいとは言えなかったが,毎日接してみると,人懐っこく,人情豊かで,いわゆる親分肌タイプの人だった。大酒家であったのは言わずもがな,もはや数少なくなった船舶の修理会社を経営し,元気になって帰らなければ大変なことになる,と私には零していた。

 入院当初の見込みでは手術可能と考えられていて,そのための精査紹介であった。ところが検査を順番に進めていくうちに,基礎疾患の肝硬変は予想に反して相当に進行し,肝細胞がんは単発ではなく娘結節がみとめられ,そのうえ門脈浸潤による腫瘍塞栓の合併も判明したのだった。つまるところ根治手術はきわめて困難な病態と診断された。

 すべての検査が終了した段階で,奥さんと長兄に,そのころ医療関係者がムンテラと呼んでいた病状説明をおこなった。その場には肝疾患専門の先輩ドクターも同席していた。結論として手術は不可能,しかも完治の期待できる有効な治療手段がないことを説明し,告知にかんして二人に意向を訊ねようとしたところ,その前に長兄がこう言ったのだ。

「本人には,ガンだと言わないでほしい。見た目とちがって,あいつは繊細なヤツでね・・・それと,子供たちにも内緒のほうがいい。敏感な年頃で,さぞかし大きなショックを受けるだろう。それでは父親のあいつが気づくかもしれないからね」

 金井さんには22歳になる娘と19歳になる息子がいた。病室で一度だけ,見舞いにおとずれた娘さんと出会ったことがある・・・眉がくっきりとした面長の美人だ。口早に「父がいつもお世話になっています」と,いきなり挨拶されたときには一瞬どぎまぎしてしまった。もともと私は口ベタで,咄嗟の場合には言葉を返せないことも多い。娘さんは見るからに要領よくテキパキと対応できるタイプだった。

 次の週,肝胆膵グループのカンファレンスがあって,今後の治療について検討が加えられた。外科的切除以外の治療として肝動脈塞栓術がすでに一般的に行なわれていたが,金井さんは門脈浸潤が認められたため適応外とされた。残された方策は一つのみ・・・たいして効果は見込めないとはいえ,ほかに選択肢がないという事情で,抗がん剤の動脈内注入療法を試みることが決まった。

 終わりにムンテラのとき同席していた先輩から,告知にかんする妻と兄の意向が伝えられた。そのあとで,患者には告知しないことおよび子供には癌の病名を伏せておくことが,医局方針として申し合わされた。

 こうして金井さんの肝細胞がんに対する治療方針が決定したのは,3月初旬のことだった。入院して1か月以上の期間が診断のために費やされていた。おまけに悪いことが重なってしまう・・・4月から,私は関連病院に出張することになったのだ。本人に説明するさいには,主治医交代のことも告げなければならない。

 当日は奥さんにも来てもらった。金井さんに,血液検査データからの推測よりも肝硬変は進行していること,肝臓に癌ではないものの癌に進展しそうな部分があること,現時点で可能なことは肝動脈にカテーテルを留置して薬物を注入する治療であることを説明した。

「とにかく,その治療をしたほうがいいと言うんだね」

「そういうことです」

「先生がそういうなら受けてみるよ」

 金井さんがどこまで理解したのか分からないが,私を信用していると言わんばかりの口調だった。

「じゃ,来週にでも外科で,リザーバーを埋め込んでもらいますね」

「それは手術なんかね?」

「局所麻酔だけで行なう,小手術になります」

 大まかなやり方とありうる合併症について言及したが,金井さんは真剣には聞いていない。職人気質の金井さんにとって,受けるからにはどんなリスクも覚悟するのが至極当然のことであったのだろう。リスクが問題なのではない。信頼できるかどうか,ということ。

「それと,ちょっと言いにくいことなんですが・・・4月から,ちがう病院で働くことになったので,金井さんを診るのは3月一杯で終わりです」

「ナンだって!」

「申しわけないけど,4月から別のドクターが金井さんの主治医に・・・」

 眉を吊りあげ,こめかみに青筋を浮かべて金井さんは私の言葉を遮った。

「そりゃないぜ! それじゃ,おれを見放すってことか!」

「そうじゃないよ,退院するまで金井さんを診てあげたいけど,こればっかりはダメなんだ」

「先生がいなくなるなら,治療のハナシは,こちらから願い下げだ」

 いやな予感が的中してしまった。このワカラズ屋を,どのようにして説得すればいいのか?

「金井さんも,大人げないよ,世の中には,どうにもならないことだってあるだろ」

「おれは,あんただから信用してるんだ」

「弱ったな・・・」

 あなた,先生にご迷惑をおかけしてはいけませんよ,と奥さんが割って入っても,おまえは口出しするなと言って耳を貸そうともしない。

「金井さん,4月からは週に一度,大学病院に帰ってこないといけないんだ。帰ってきたときには,時間をみつけて顔を見にくるから・・・だから,おれのためにも治療を受けてくれないかな・・・」

 金井さんはそっぽを向いて黙っている。が,しばらくして私のほうへ向きなおった。

「本当に来てくれるか,せんせい」

「かならず来るから・・・」

「じゃ,治療を受けるよ。そのかわり,ぜったい部屋に顔を出してくれよ」

「わかった。約束するよ」

 まるで友だち同士のようになってムンテラは終わった。

 

 3月中旬,カテーテルを左鎖骨下動脈から肝動脈に留置し,リザーバーが左前胸部に埋め込まれ,小手術は無事に成功した。そこで第4週に予定どおり,抗がん剤の肝動脈内注入療法を実施する運びとなった。

 主治医として私が一回目の動注を行なうことになり,そのことを金井さんは殊のほか喜んだ。

「金井さん,消毒するから,すこし冷たいよ」

 皮膚をイソジン消毒したあと,ポート部分に専用針を刺入する。じつは,リザーバーへの針刺しは初めてだった。容易な処置であっても,最初のときはいくらか緊張するもの。

「いくよ!」

 やってみると,針刺しは至って簡単であった。ポート中央部を思いっきり刺すだけでいい。頭で分かっていても経験は別物・・・先端がコツンと当たる感覚は体験しないと分からない。

「ぜんぜん痛くなかったよ」と金井さん。

 ラクな気分になり,手順にしたがって注入のセッティングを終了する。

「薬を入れるから・・・」

 シリンジポンプの電源をオンにすると,無色透明の液体の入ったシリンジが微妙な速度で動きはじめた・・・しだいに胸が疼いてくる。

 なにゆえ,こんなにも真実から遠い世界にいるのだろう・・・?

 

 4月,関連病院に転勤した。それからは毎週木曜日に,帰学日と称して大学病院にやってきては研究のための検査をおこない,終わってから金井さんの病室を訪ねるようになった。

「今度の主治医は全然あかん。点滴も一度で入らないし,調子もだんだん悪くなる一方だよ」

 くわしく訊いてみると,点滴とは例のリザーバーを介しての抗がん剤動注のことだった。次の主治医も針刺しをやったことがなかったのだろう。どだいリザーバーは何度でも刺せるようにできているから,一度で入らなくても一向に構わない。けれど金井さんは頑固一徹で,相性が合わないと難しい人だ。

 それに調子が良くないのは,癌の進行と薬物が原因であってドクターのせいではない。しかし,本人は自分が癌だとは知らないので,ろくに治せない主治医がわるい格好になる。不都合なことには,私が顔を出すことで主治医はよりいっそう悪者になってしまうのだった。なるべく病室に行かないほうがよいと思うのだが,金井さんとの約束を破るわけにもいかない。

 

 そんなふうに主治医がたいへん苦労している状況を知っていたにもかかわらず,私が医局の申し合わせ事項を勝手に破ってしまったのは,まったくもって弁解の余地がない。

 4月半ば過ぎ,帰学日に金井さんの病室へ行くと,たまたま娘さんが父親を励まそうと訪れていた。その日,帰ろうとする時刻がいっしょになったので,運転のできない娘さんを家まで送りとどける役目を買ってでた。

 車の中では,娘さんが金井家の日頃のことを語りだす。言葉を交わすうちにこれから先のことにも触れなければならない。そのたびに私の魂は揺さぶられてしまうのだった。

「先生,父は・・・いつごろ退院できますか?」

「治療を開始して,そんなに経ってないから,まだ分からないな」

「酒が飲めないことはいいことだし,二度と悪くならないように治ってもらいたいから,いまは我慢するしかないですよね」

「・・・」

「でも,はやく帰ってきて欲しいな。弟も働きだしてから父の偉さがわかったみたいで,口にはしないけど内心すごく心配しているんです」

 承服できない感情が膨らんで押し殺せそうにない。

 娘さんは,金井さんが元気になるものと思っている。大学病院であれば,確実に治るものと信じて疑わない。ところが現実はちがうのだ・・・いや違うだけでは終わらない。あとになって事実を知らされたとしたら,どれほど悔しい思いをすることになるのか!

 変てこな道理にしたがうのは,真っ平ごめんだ。

「驚かないで聞いてほしい・・・お母さんたちと相談して,君や弟には,言わないことに決まったんだ。でも,どう考えてもおかしいとおもうから,ここで話しておきたい」

 助手席に目を向けると,いくぶん娘さんの顔がこわばっていた・・・たとえ見るに忍びないほど悲しませることになっても,先を見据えて告げなければならない。

「お父さんは肝臓がんに侵されている。肝硬変も肝臓がんも,かなり進行しているから,このさき長くは生きられない。だから,お父さんの体力が衰えないうちに,親孝行してほしい」

「・・・」

 思いもよらない話の中味に,娘さんの顔から血の気が引いていく。

「信じられないかもしれないけど,本当のことなんだ」

「どうして?・・・」

 全身を打ちふるわせ,娘さんは言葉を詰まらせた。目には涙が溢れている。それでも,どうにか声を絞り出す・・・「あと,どれくらい生きられるの?」

「よくて数か月だとおもう」

「なぜ・・・言ってくれないの?」

「伯父さんの決定だ」

「わからない・・・」

「二人を悲しませたくないそうだ」

「・・・」

「だけど,子供にだって,知る権利がある。おれだったら,あとで教えられても許せないだけだ」

「・・・」

「悲しいだろうけど,残された時間は長くない。弟といっしょに,お父さんにできるだけのことをしてあげてほしい」

 一気に喋ってしまうと,違反の意識が芽生えはじめる。

「それと・・・いま,おれが話したことは内緒にしてくれないか。そうでないと,非常にまずいことになるから・・・」

「せんせい・・・ありがとう」

 かぼそい声でもしっかり返事をしてくれたので,私は安心し,役目を果たしたような気分で娘さんと別れた。

 

 しかしながら,次の週に大学へ帰学してみると,すでに金井さんの長兄から医局に苦情が持ち込まれていたのである。

 最初におやっと思ったのは,病棟へ上がってナース同士のひそひそ話を耳にしたときだった。 ナースセンターに金井さんが跳びこんできて,自分の病気はガンなのか!って恐ろしい剣幕で主治医に迫ったという・・・ドクターはタジタジになり,それを否定するのに必死だったとか。

 詳細が気になると同時に,ひょっとしたら・・・と不安に駆られて医局に向かった。同僚のドクターから詳しい経緯を聞いて愕然とする。金井さんが家族の態度に不審を抱いたらしいのと,子供たちが病名を知っていて病院のだれかが教えたのではないかという長兄からの電話の一件を知ることになった。

『秘密にしておくのは無理だったということか・・・』

 おもわぬ展開になって,どうすればいいのか分からなかった。なんとかしたくても,どうすることもできない。そのうえ危惧していたことが現実に起ころうとしていた。

 いったい誰が漏らしたのか?・・・責任問題も絡んで,取り決めを破った犯人の割り出しに医局が水面下で動きはじめていたのだ。

 主治医は無実を訴え,家族の誤解であると公言して憚らなかった。だが,深まる謎は当人に不利だった。前主治医の私は,週に一回大学病院に来ているというのに,意外にも疑われなかった。疑いをかけられたのは,あくまで大学病院に常勤するドクターとナースのスタッフたちに限られていたのである。

 主治医に対しては,今回のことも含めて幾つかの点で,ずいぶん心苦しく思った。けれども,我が身のことを考えると自首する気には到底なれなかった。大学病院には私と娘さんの接点に気づく者はいなかったが,奥さんは即座に犯人を直感したにちがいない。

 その日の午後,金井さんの長兄から大学病院に電話があった。相手に指名されたのは,だれあろう帰学している私だったのだ。

「先生でしょう,姪っ子に,弟の病気のことを話したのは!」

「そのとおりです。なんとも申しわけありません」

「謝られてもしょうがない,元には戻れないんですよ。先生がこちらの意向を無視したって,ぜんぶ病院に報告します。そして,きっちり責任を取ってもらいますからね」

「軽率だったとおもいます。まことに申しわけありませんでした。あの・・・できることなら,許してもらえないでしょうか・・・」

「ダメですよ! 約束を破ったんだから,罰を受けて当たり前でしょう」

 返す言葉もなかった。何をジタバタしているのだろう。これはオノレの行動が招いた結果ではないか・・・腹をくくるよりほかなかった。

「わかりました。どうもすみませんでした」

 うちの教授は厳しいことで有名だった。過去にも総回診のミスで,先輩ドクターが退職に追いこまれた実例をこの目で見ている。最悪の場合,医局を辞めなければならないだろう。

 もとより自分のやったことを否認するつもりはない。言いわけは尚のことしたくない。不本意であっても,辞める以外にスベはないと観念した。かといって,いさぎよく医局に申し出るまでもあるまい。長兄の言いようでは,近々医局から裁きが下るのは必至である。

 そのように考えて,自ら名乗り出ることはしなかった。しかし私はどこまでも卑怯であった。観念したといいながら,そうならないことを心の片隅で期待していた。それゆえ,事の成り行きをただ静観していたのだった。

 

 審判は,なかなか下らなかった。

 そのうちに金井さんは抗がん剤の副作用で食欲不振となり,個室に移動となった。動注化学療法はむろん中止,金井さんも衰弱して元気がない。

 5月おわりの帰学日のこと。

「来週は,どんなことがあっても顔をみせると,約束してくれないか」

と,金井さんはベッドに横たわったまま真顔でつぶやいた。一度だけ消灯時刻を過ぎてしまい,訪ねるのを断念した前科が私にはあった。

「いいけども,なんで?」

「そりゃあ,来てくれたらわかるよ」

 6月はじめの木曜日,19時頃になって,あわてて病室に滑りこんだ。待ちかねただろうに,金井さんは笑顔で迎えてくれる。

「来てくれたか,せんせい。すぐに,うちのやつに作らせるから,ちょっと待ってくれないか・・・」

 奥さんが窓ぎわへ行き,発泡スチロールの入れ物から取り出したもの・・・それはなんと,まだ生きているアワビだった。

 まさか,これを持っていけ,っていうんじゃないだろ? 金井さんの言葉の意味を計りかねていると,奥さんが持参の包丁で捌きはじめ,あっという間に造りが出来あがる。

「獲れたてのやつを,わざわざ持ってきたんだよ。ひとつ食べてみてくれ」

「これは,スゴい・・・」

「ついでに酒でも飲んでいくかい?」

「それはできないよ」

 正直いって困ってしまう・・・うれしくてたまらないのだが,そのころ帰学日ごとに歯の治療を受けていて,あいにくにも左上の小臼歯を抜いた直後だったのだ。くわえて,どうも腹の調子が良くない。とはいえ,そのようなことを言える状況ではなかった。

 食べているうちに,お腹がグルグル鳴りだし,時々さしこんだ。アワビのコリコリ感は,その日にかぎっては,苦痛そのものだった。前歯で噛むしかないので時間もかかる・・・砕いたら飲み込むばかりで,やっとの思いで『おもてなし』を食べ切った。

「ごちそうさま,さすがに高級食材はちがうね・・・」

「きょうだけ特別だよ。持ってきてからが大変だし,だいたい先生がいつ来てくれるか,さっぱし分からんからヒヤヒヤしたよ」

「わるいんだけど・・・」我慢の限界に達していた。「こんやは用事があって,いまから出かけないといけないから・・・」

 挨拶もそこそこにして病室を出たとたん,トイレへ駈けこんだ。用を足してすっきりしたのはいいけれど,金井さんのせっかくの好意も流してしまったようで,いつまでたっても恨めしく思われてならなかった。

 

 6月中旬,金井さんは地元の総合病院に転院した。しだいに忙しさにかまけて,金井さんを思い浮かべることもなくなっていった。

 

 9月になり,大学病院へ帰学している時間帯に,娘さんから呼び出しで電話があった。

『とうとう,その時がきてしまったのか・・・』 おもわず,天を仰ぐ。

 受話器の向こうで,娘さんが泪ながらに語った。

 転院してから病状は悪化の一途をたどり,8月22日,金井さんは失意のうちに56年の生涯を閉じたという。さいごに「お願いがあります。できたら,こんどの日曜か祝日あたりに,家へ来ていただけないでしょうか」

 

 第二日曜日,金井さんの自宅を訪問した。

 位牌と骨壺の前で焼香する。ふだんの無愛想からは想像しがたい,遺影とも相違する,あの笑ったときの憎めない表情を想いつつ涙した。

「待つのが大嫌いだった主人が,一週間に一度,先生に会えるのを心待ちにしていました。あんなに辛抱づよくだれかを待つなんて・・・そんなあの人を,わたしは初めて見ました。よほど先生のことが気に入っていたのだとおもいます。致しかたないことですが・・・先生に,できたら最期まで診ていただきたかった。そうなっていたら,どんな結末を迎えたとしても,主人は満足したとおもうのです」

 奥さんの口からこぼれた言葉が胸に突き刺さった。

 もしも私が,金井さんを臨終のトキまで診ていたとしたら・・・はたしてどのように向き合っていたのだろうか? 何よりも本人を前にしてウソを貫き通せただろうか? いまは亡き金井さんの面影に浅谷さんが重なりあう。

 ついでに触れておくと,結局のところ医局からは何の処分もなかった。しだいに謎の犯人の話題も立ち消えになっていった。

 おそらく娘さんが責任を感じて長兄を抑え込んだのではなかろうか。