( 10 - 3 )

 

 6月12日,土曜日。

 金沢駅から裕子とサンダーバードに乗り,宮島へと向かった。新大阪駅で新幹線に乗り換え,この年になって人生初という広島駅に降り立つと,いくらか若かりし日の修学旅行のような気分になって胸がわくわくしないでもない。

 軽く昼食をとってから山陽本線のプラットホームをめざす。

 在来線ホームは結構古臭くて,中国地方の中心都市にしては時代に乗り遅れている感が否めない。

 乗りこんだ電車もローカル線そのものというイメージであった。

 発車してから外のけしきを眺めていると,不意に小学生のころを思いだす。母に連れられて北陸本線普通列車に乗りこんだときのこと・・・木造の鄙びた小さな駅に着くまで,ひたすら流れゆく景色を見ていた,あの過ぎ去った日の記憶が重なりあう。

 ・・・神経を苛立たせて対面の席に座っていた母。思いつめた顔をしていたのは,だれかとうまく折り合いをつけられなかったからなのか? 息抜きに生家に戻っても一向に解決しそうにはない現実に苦しんでいるようだった。

 祖母の家は,着いた駅からやや遠くて大きな川を渡った先にあった。祖父は見たことがなかったが,詳しい事情は分からない。祖母はときどき金沢にきていたから,わざわざ遊び相手もいない田舎に行く楽しみは少なかった。そのうち母は生家に帰らなくなった。

 車窓から川のむこうに海がのぞまれて頭の中もすりかわる・・・むかし海の見えるところに住みたいとよく思ったものだ。それがいつしか,心が海になればいいのだ,と思うようになった。このごろは住みたいとまでは思わない。海のちかくに住むということがどれほど大変なことであるか,想像に難くない。ときどき海を眺めることさえできればそれでいい・・・などと,飽きもしないで考えにふけっているうちにマリンブルーが広がって宮島口駅に着いた。

 宮島口からはフェリーに乗船,大鳥居に接近するという便で目的の地に着いたのは,午後2時半ちょっと前だった。

 旅館の予約は5月中にネットでしておいた。6月を選んだのは,待っているのが嫌だったのと,夏本番まえで空いていそうな気がしたから。12日に決めたのは大潮の日であったから・・・海に浮かんでいる厳島神社を見るためには,そのときの潮位が重要であるとサイトで知った。

 あとは天気である。ちょうど梅雨入りしそうな時期なので,それだけが気がかりだった・・・案の定,いい空模様とはいえない。

 広島で電車に乗るまえに連絡を入れておいたので,フェリーターミナルの宮島桟橋には旅館のマイクロバスが迎えに来ていた。他の宿泊客を数分間待ったのち,ようやくバスは走りだす。

 てっきり海沿いを通るものと思っていたから,バスが山へ向かったときには少々おどろいた。それも細い山道路をかなりのスピードで走るのだ。対向車が来たらどうするつもりなんだろ,と心配しているところに同じようなマイクロバスが前方に見えてくる。それみろ!とおもうがはやいか,あちらのバスは道路の膨らみに幅寄せしてこちらのバスを待ちはじめた。舌を巻くほど手馴れた運転だった。

 旅館は厳島神社の裏手のほうにあった。部屋に案内されてからもなにかしら胸がさわいで一休みする気にはなれない。さっそく外へと出かける。

 消防署の前をすすんでいくと,待ち焦がれた大鳥居が見えてくる。干潮の時刻だったので,その根元がざっくりと露わになり,まわりには観光客が集まっていた。やはり大鳥居は海に浮かんでいないと様にならない。

 神社に参拝するときは表のほうから正式な順序で入っていくものと,いつか誰かに教わったことがあった。それで表参道の商店街を通って宮島桟橋にいったん戻ることにした。

 下船した人たちに交じり,海辺に沿ってふたたび神社へと向かった。鹿がゆったりと寝そべったり,おとずれた親子とたわむれたりしている。

 空は・・・それほど暗くはないが,全体的に薄雲に覆われていた。弱く陽が差すこともあるから,雲の切れ間がないわけではない。しかし本土の山の上には,どんよりとして厚みのある雲がゆっくりと動いている・・・面白くない状況だ。この分だと夕陽は見られないかもしれない。

 気を取りなおして拝観料を払い,日本の誇る世界文化遺産の中へと足を踏み入れた。ナニからナニまで申し分ない・・・素晴らしいの一言に尽きる。けれども私のこころは思ったほどに潤わない。

 大願寺前の九本松も見事だった。千畳閣の絵馬や額もなかなかに興味深い。だが所詮,私自身の人生に直接に関わるものではない。

 旅館に帰って寛いだあと,いよいよ夕暮れどきになるまえに,さいど神社の横手にやってくる。

 潮が上がり・・・大鳥居は海に浮かんでいた。日の入りまで十分に時間があると思っていたが,はやくも薄暗くなりはじめているようだ。

 空を見上げると・・・たいして雲はなかった。それなのに,大鳥居の向こうだけは黒ずんだ雲が重なり合っている。夕陽はダメか・・・と思いつつも,こころの奥底に諦めきれない感情が燻っていた。

 

 すると,18時50分過ぎである。

 本土の山並を覆っていた手前のほうの雲が移動して,もこもことした雲の絶え間から,『あいつ』がひょっこり顔を出したのだ。

 えもいわれぬ眺めだった。

 ・・・雲間はうすい茜色に染まり,斜陽は赤みを帯びて鈍く輝いていた。千里浜で目にする,いつものそれのようで,いつものそれではない・・・目の前の海に,まばゆい黄金色の道を,ひとすじ創りだしている! それは見たこともない情景であった。

 さざなみに震えるようにあやしく揺れながら,光あふれる道はくぐり抜けるかとおもいきや,大鳥居の真横をまっすぐに通りぬけ,海面上をのびてきて目と鼻の先で淡くなる・・・まるで飛び越せ! 飛び越えてこちらに渡ってこいと言わんばかりにオレを魅惑するのだ。

 ふしぎな気分に酔っていた。

 自然が後押しをしてくれるというより,私は大自然の一部であり,私の決意は宇宙の意思であるかのように感じる・・・だから,この道を迷わず歩んでいい。ひかりの道に飛び乗って,わが道を行けばいいのである。

 

 やがて数分後には,夕陽はしずかに奥の方の雲に隠れてしまい,同時に道もかがやきを失って跡形もなく消え去ってしまった。むろん瞼の裏にはいつまでも,大鳥居の横をつきぬける黄金の道があざやかに残っていた。

 

 夕食を終えると,多くの宿泊客と同じように夜の宮島に繰り出した。

 しばし俗世を離れて荘厳な世界に浸る・・・ライトアップされた厳島神社と大鳥居の美しさはナニにもたとえようがない。

「ちょっと歩こうよ」

 そう裕子がつぶやいて腕を絡ませてくる。

「いいね」と答え,ぶらぶらと商店街に向かって歩きだす。

 表参道も夜になると開いている店は少ない。大杓子を見てから海辺のほうへ曲がった。

 ・・・海側の参道には心地よい夜風が吹いている。

 通り路に面する旅館のロビーで宿泊客が集まっていた。何だろう? 目を凝らすと,皆の目線の先には振りをつけて一斉に打ち鳴らす人たち・・・おそらく和太鼓のショーが演じられているのであろう。

「あれ,持ってきたか」

 指で吸うまねをしたら,彼女は携帯用の灰皿を取り出して,したり顔で振ってみせた。

 御笠浜で一服して,大鳥居をおもう存分にながめる。

「来てよかったな」って話しかけると,

「さすが世界遺産って感じね。ライトアップも最高よ」って裕子は応じた。

 暖かい夕焼け色に染まった大鳥居を見ていても,私はといえば,あの夕陽の余韻のほうに引きつけられていた。

 わが人生に賛同するかのように,ほんのつかの間ではあったが煌めいてくれた,厳島の夕陽・・・感謝の気持ちすら湧いてくる。

『夕陽以上のものが,あろうはずがない』

 そのように決めこんだのも無理はなかった。自分と無関係であれば,どんなに美しいものであろうと限度を超えてこころに響くことはない。

 となりで夜景を撮影したあと,裕子はずっと画像を確かめている。

「ねぇ,この写真,じょうずに撮れてると思わない?」

 昼間に順番を待ち,撮影スポットのひとつ,火焼前で観光客に写してもらったヤツだ。大鳥居をバックにふたりで仲良くおさまっている。

「おまえの笑顔がいいね」

「あら,あなただって若々しく写ってるじゃない」

「そうかな」

 言葉を交わすうちに,近づいてくる奇妙な灯り・・・ナニかとおもえば,船であった。波を大きく立てて大鳥居の前でゆうゆうと停まった。そこから船客がライトアップされた雄姿を眺めているらしい。大波はなかなか引かないうえに船の灯りが観賞を妨げて煩わしい。ここらで帰ることにした。

 道すがら,海に浮かんだ神社に目をそそぐ。さらに潮が満ちて,社殿が海面に映し出されるありさまはこの上なく幻想的だった。が,そうであっても私の内部に迫りくることはなかった。

 旅館のロビーではミニコンサートがおこなわれていた。コーヒーも自由に飲めるというので,演奏者が見えない端のほうに座って喉を潤し,ピアノ演奏を聴いて久しぶりに充実感を味わった。

 

 翌13日,広島は梅雨入りする。

 朝から小雨が降ったり止んだりの多少肌寒い天気であった。あいにくの雨模様にも,きのう運よく極上の夕陽を見られた快さが持続していて,さほど気が滅入ることもなかった。

 朝食を食べたあと,雨のせいで予定を立てにくく,テーブルのところでぼんやりしていた。

「きょうはロープウエーにでも乗ってみる?」と,裕子。

「そうしようか・・・」

 玄関口で備えつけの傘を借りて,ひとまず表へ出てみる。神社を拝まないことには何事も始まらないだろう・・・単にそれぐらいの心持ちで社殿に向かっていた。

 ところが,とつぜん眼前にあらわれた思いがけない変貌に,息をのんで目もこころもそのうえ頭脳までをも瞬時のうちに奪われてしまったのだ。ものすごい衝撃と感動が既存の壁を打ち破って一気に内部へと雪崩れ込んでくる。

 夕陽より・・・もっと心を打つものがあったとは!

 ・・・海にすっぽりと浸かりきり,まさに浮かんでいる厳島神社というものが,これほど雄大に圧倒的な存在感をもって迫ってくるとは,自分でも俄かには信じがたい。

 そんなつもりではなかったのに,拝観料を払って社殿にはいり,廻廊から平舞台へと急いだ。

 一刻もはやく神社正面から海を眺めてみたい,その衝動をどうしても抑えることができなかった。

 平舞台に立ち尽くして海と対峙する。

 魂がふるえ,心が昂ぶってどうしようもない・・・これはいったい如何なることなのだろう。

 ・・・神社の境内が海そのものという,知ってはいたけれど実際に目にしたときの計り知れないインパクト。

 ・・・瀬戸内海だけにとどまらず,ここから世界中の海洋に繋がり,地球の海をあますところなく治めているような錯覚。

 ただの錯覚ではない。

 ・・・ある意味,これは紛れもない真実なのだ。今わたしは,海という海すべてと心を通じている。でも何故なのだろう?・・・どこの海に立ったとしても同じであるはずではないか。

 それは,社殿と境内が,一体となって存在しているからに相違ない。

 すなわち境内のない神社は存在しないのだ。海が境内として在るとき,社殿に立つ私は地球上のあらゆる海と向かい合いながら通じ合っている。

 こんにちの厳島神社を造り上げたのは平清盛だと言われている。

 なんと壮大な夢を抱いたのか! それを実現しようとするのも並大抵のことではないが,そもそも清盛が夢を思い描かなかったとしたら,実現は有りえないことなのだ。

 夢こそ,まさしく必要である。

 オレには夢なんかない,とおもって生きてきた。しかし,そうではない,きっと。その実現のために生きているならば,たとえオノレのちっぽけなこだわりであろうとも,それは夢といわれるべきである。

 私のこころは神社から世界に開かれている。境内の海を介して,あい対するすべての海に呼びかける。

 ・・・懸命に生きる刹那しか,オレは要らない。ほかにはナニも要らない。

 ・・・そして自らの活動の根源を,自らの手で絶つことで,わが人生を終わりにしたい。

 ・・・それこそが,だれも妨げることのできない,オレの夢なのだ。

 空はどんよりしているものの,潮の満ちた宮島の海は大らかで,静かで,あくまでも澄みきっていた。いろんな雑音が聞こえていても,潮の音だけが心のひだに沁みてくる。夢の具現ともいえる厳島神社の舞台・・・ここで,決意を新たにせずにはいられようか。

『タウ・タオ・タイ』

 いま,ここに誓おう・・・『わが夢を,かならずや実現してみせる』と。

 海はどこまでもしずやかに波打って,平然としていた。

 ・・・これでいいのだ。

 

「あなた,なんだか思いつめた顔して・・・どうしたの?」

「あぁ,感動してしまってさ,満ち潮の神社・・・こんなに見事だとは思わなかったよ」

「ホント,凄すぎるね」

 

 そのあとロープウエーで獅子岩展望台まで登ったが,靄がひどくて眺望はさっぱりであった。雨も降りはじめて手前の島がかすかに見える程度,早々に引きあげるよりほかなかった。

 神社から紅葉谷駅までの往き戻りは,紅葉谷公園内を歩くことになった。

 秋の紅葉の時節にはさぞかし綺麗だろう・・・このさき二度と訪れることはないと割り切っていても,いつか紅葉狩りに来たいものだと,つい思ってしまうのだった。

 

 お昼は表参道の店に入って生ビールで乾杯・・・酒の肴に生牡蠣と焼き牡蠣の両方を注文した。

 裕子は,生まれて初めて生牡蠣を食べるという。

「おいし~い。今まで食べたことなかったから,知らなかったわ。でも,産地でないと,なかなか食べられないわね」

 店を出てから,裕子がおみやげを買いたいというので,もみじ饅頭を試食してまわった。なかなか決められずに迷っていると,もうすこし向こうの店には客の行列ができていて気になってしょうがない。

 出来上がりを待っているのだろうか?・・・ふたりとも振り向いて顔を見合わせる。「行ってみようか」って告げたときには,彼女は早くも一歩を踏み出していたのであった。

 その店の前まで行くと,揚げもみじの看板と幟が立っていた。店先で揚げたてを食べるようだ。

 こりゃ,おみやげには難しいな・・・って考えていると,こんどは「ねぇ,これ食べたい!」と言って,裕子が子供のように腕を引っぱる。

「牡蠣のあとには,ちょっとなぁ」と,しぶる私を尻目に,彼女は強引に頑固者を引き連れて列の最後尾に並んでしまった。

 10分ほどして順番がくる。さきに店内に入り,待っていたら,ほどなく彼女がクリーム揚げもみじを2個買ってきた。

 食べてみてビックリ,さくさくとなんとも不思議な食感である。

「これ,意外とうまいな」

「よかった。あなたはイヤそうだったけど,ここで食べなければ,一生涯食べられないとおもって・・・結果よければすべてヨシね」

 いかにも得意そうに,満面の笑みを浮かべる裕子・・・宮島に来ていちばんの笑顔だ。おもわず『おまえの,その笑い顔にまさるものはないよ』と内心つぶやかずにはいられない。

 揚げもみじのおいしさに釣られて,もみじ饅頭もその店で買ってしまった。要するに,試食はナンの役にも立たなかったということだ。

 

 やがて午後1時過ぎになり,フェリーに乗船して帰りの途についた。

「ヒロコ,ありがとう」

「なにが?」

「宮島に誘ってくれて・・・すごくよかったよ」

「そう言ってもらえると,わたしも,ものすごくうれしいわ」

 雲間の夕陽と満潮の厳島神社・・・目下の私にとって,これほど有意義なものはなかった。

 大鳥居から船が遠ざかる。もう一度来ることはない。デッキに移動して,社殿が小さくなっていく様子を眺めていた。

 なにか妙だった。ついさっきまで,あの島にいて,あそこを歩いていたのがウソみたい。遠くから島全体を見渡していても,往くときとは大違い・・・荘厳な神社のすがたが瞼に浮かんできて,畏敬の念をおぼえずにはいられない。船乗りは大昔からこういったふうに厳島を見つめていたのだろう。

 桟橋に着いて船を降りたとき,最後の一瞥を投げかけてから,いそいで宮島口駅へ向かった。もう振り返るつもりはない。