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 5月のゴールデンウィークはいい天気がつづいた。4日のみどりの日もポカポカ陽気でとても暖かい。3年ぶりに裕子と千里浜をドライブする。

 能登有料道路は県外ナンバーの車が多くて混んでいた。普段よりもずいぶん車間を詰めて走らせる。なぎさドライブウェイに下りても多少は混雑していたが,砂浜での駐車に困るほどでもない。

 車を停めてみてつくづく思う・・・昔はもっと砂浜が広くて余裕があった。近年,砂浜の侵食対策が声高に叫ばれているのも頷ける。

 水平線を見やれば,今のところ雲は少ない。しかし,夕陽が見られるか否かは分からない。日が沈もうとする寸前に,どこからともなく雲があらわれて邪魔することが多いのだ。

 あの焼き貝売店で時間をやり過ごそうと車を動かした。なのに,どれだけ探してもおばさんの店舗が見当たらない。

 ついに店じまいをしたのだろうか? おばさんはときおり胸の内を漏らすことがあった。

『うちの人がダメになったら,この店もしまうしかないね』

 以前,旦那さんが脳梗塞で倒れたときは大変だったらしい。おばさんは車の運転ができない。仕方なく店じまいすることも考えたようであるが,幸運なことに旦那さんは運転できるまでに回復し,営業をつづけることができた。この店の仕事はけっこう大変で,子供たちも後を継ぐ気はさらさらないとも言っていたから,それからは一年ごとの勝負だったのだろう。

 理由は知らないが,焼き貝売店は新規には許可がおりないそうで,後継者がいなければ閉店に追い込まれる。おばさんは,それでお店は減っていくばかりなんよ,と嘆いていた。言われてみれば,海の家はあらたに建てられても,焼き貝売店は少なくなる一方であった。夏になって海の家が開いても私はそこへは入らない。この屋台風のカウンターが断然いいのである。

 そういえば,江の島の屋台もなくなってしまったなぁ・・・衛生的な問題なのかもしれない。

 諦めきれずにUターンし,目を皿にして見直しても,どうしたって無いものは見つからない。

「端っこの店にでも入ろうか」って呟いたら,

「わたしは全然かまわないわよ」と,裕子はあっさりとしたものだ。

 入ったことのない店で注文したのは,焼きハマグリだけ・・・なにか物足りない気持ちでハマグリを食べたら,おばさんの味を思い出してしまい,尚更さみしくなった。

 人懐っこい笑顔が目に浮かび,あの独特の語り口が聞こえてくる。

『よその店ではワケもあって,しょうゆで味付けしてるけど,わたしはね,貝をそのままで味わってほしいから,ナニもかけずに出しているんよ』

 思い切って,おばさんの店のことを訊ねてみる。

「あそこは今年から辞めたんです。旦那さんが,だんだん身体の自由が利かなくなって,もう続けられなくなったみたいですよ」

 だれしも老いには勝てない。遅かれ早かれ,いずれ辞めなければならないときが来る。そして,きたるべきときがついに来た・・・ということか。

 

 日没の時刻まで粘っていたが,けっきょく夕陽は見られなかった。これからというときに水平線から分厚い雲が湧きあがり,熟する前の太陽を飲みこんでしまったのだ。やむなく砂浜に車を停めて夕焼け雲を見つめていた。なおも心を捉えてやまないものがあって立ち去りがたい。

 いつ眺めても飽きない黄昏の空・・・いつの日もそれぞれの顔を見せてくれる。そんなとき,おもう。

 ・・・夕陽がなくても,それもまた良きかな,人生もまた然りかな。

「旅行は,夕陽が見えるところへ行こうか」

 なくても良いが,できれば夕陽が見たい。

「じゃあ,宮島はどう?」

「みやじま?」

安芸の宮島

「瀬戸内海だけど・・・夕陽は見えるのかな?」

「大鳥居と夕陽が,いっしょに写ってるのを見たことあるわ」

 そうか,島に渡れば夕陽が見えるということか。だが,水平線には沈まないはず・・・。

「ヒロコは行ったことがあるのか?」

「ないわよ。だから,ぜひ行ってみたいわ!」

「それじゃ決まりだな」

 よし,宮島に行ってみよう。本州に沈みゆく夕陽もいいではないか。

 

 5月に受診した浅谷さんは,前回よりよほど元気だった。

イレッサを飲まないほうが体調いいみたいです。じつは先ほど,下田先生から新しい抗がん剤の話があったんですけど,次回まで考えさせてください,って返事してきました・・・どうしたらいいのでしょう?」

 浅谷さんには目下のところ,根治が期待できる治療法はむろんのこと,長期間確実に有効性をもたらす治療法は見出だせない,と言っても過言ではない。また薬物療法がうまく効くならば,ある程度は生き長らえる期間が延びるであろうが,その副作用にも耐えなければならない。

 私が患者の立場だったら,イレッサが効かなくなった時点で,従来の化学療法はもちろん・・・薬物療法はいっさい断わることだろう。

 死を免れることができないのなら,今を大切に過ごしながら私は死出の旅にでる準備をしていきたい。

「それは,浅谷さんの考え方しだいですね」

抗がん剤はいやですが,命はもっともっと欲しい・・・これが,わたしの本音です」

 根治不能と宣告されたからといって,生きたくても生きられぬ不条理を達観できる人間なんていやしない。ましてや治らないと実感することになれば,なおさら生きていたい思いは強まるのではないか。

「魔法の薬でもあって,それで命を延ばすことができたらいいでしょうねぇ」

「ホントです・・・先生のおチカラで,どうにかならないのでしょうか」

「・・・」 しょうもないことを口走ってしまった。

 浅谷さんは人生を知っている。否応なく選択するしかない,納得せざるをえないことをしっかり理解しているはず・・・分かってはいても自分をコントロールできない状況に,本人がいちばん当惑しているのかも・・・。

「先生なら,どうなさるでしょう?」

「ぼくですか・・・ぼくなら,抗がん剤はやめるかな」

「なぜですか? わたしは,すこしでも長く生きていたい」

「じゃあ,もういちど治療を受けてみますか・・・」

「ですけど,また毛がごそっと抜けたり吐き気がしたりするのなら,止めたほうがいいとも思うのです。だいいち効かないかもしれませんしね・・・」

「なるほど・・・」

「先生は,もう死んでもいいって思うのですか?」

「そう,死んだってかまわないかな・・・」

「どうして,そんな簡単に言えるのでしょう?」

「・・・」

「わたしは先生の意見を尊重したいと思っています。ですが,どうしても迷ってしまいます」

「しばらく考えてみたらいいじゃないですか,治療を受けたいのか受けたくないのか,はっきり分かるまで」

「そうですね・・・」

「分かるまで待つことが肝腎ですよ」

「待っていても大丈夫でしょうか?・・・待つことが怖いのです」

「浅谷さん,どちらの方針でいくにしても,ある面ではおもい悩むほどには大差ないような・・・治療を受けても一時しのぎのような気がしませんか? いつかは死と直面しなければならない。なによりも大事なことは,現状を受けいれて,今できることを精一杯おこなっていくことだと思います」

 浅谷さんは頷いて立ち上がった。

「先生,ありがとうございました。この次まで,はっきり決めてまいります」

「きょうも,いつもどおりに薬を出しておきますよ」

「わかりました。それでは失礼します」