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 12月,嵩子が壊れたあの夜から・・・まる一年。

 真子と私は,たがいに干渉しないようにして一緒に暮らしている。取り決めを交わしたシェアハウスの同居人みたいな関係だ。

 私にもヒト頃のような熱い恋心というものはない。しかし,冷めた心であっても芯には真子への想いがあったから彼女と過ごせることに満足していた。それに自己に目覚めてからは素直に気持ちを表現できるようになった。真子も受け容れてくれるが,彼女が自分でも言っているように,私への心の土台が崩れてしまって元のような関係には戻れない。

 嵩子とはやはり,世間に通用するような形で別れることはできなかった。でも,それが所以なのではない。真子に求めることを一切やめたのは,オノレの本質を知ったからである。

 どんな形であろうと私は真子と生活することができたが,彼女にはもう私と一緒に生きる根拠は見当たらない。いまは生活のために一度は好きになった私と,おなじ屋根の下で暮らすのがもっとも都合がいいのだとおもう。それに東京へ簡単に出戻るわけにはいかない事情もあるのだろう。

 いずれ真子は私から離れていくにちがいない。その時がくるまで可能なかぎりオレなりの愛で彼女を包みたい。

 とはいっても,ある女性をこころの底から愛してるといいながら,裏では別の女性の愛を受けいれるなど許されるはずもないし,だれであっても通じないこと・・・真子への愛はオノレひとりで納得するほかない。それは自業自得であり,どれほど悲しくても耐えなければならぬ。

 

 ・・・にしても,12月24日なんて日は,いっそのこと,なくなってしまえばいいのだ。

 いいや・・・ダメだ,ダメだ。そう思ってしまう自分を叱咤する。この現実にはナニも求めてはいけない。

 勤務が終わってから嵩子のアパートに立ち寄った。前もって30分後に帰ることを告げておく。テーブルの上には・・・数年前のクリスマスに使っていた幅のある大きな円柱形のロウソクが赤色と青色と一つずつ用意されていた。

 ロウソクに火をともした彼女は,3ヶ月前にオープンした新しいケーキ屋さんに予約しておいたの,と言ってシフォンケーキをテーブルに・・・蛍光灯を消すと,笑みを浮かべた嵩子が炎といっしょにあやしく揺れていた。

「きょうは夢みてるみたい」 彼女は歓びの色を隠さない。

 ふたりで「メリークリスマス!」と唱える。淹れたてのコーヒーを味わい,シフォンケーキは半分おいしく平らげた。

 家では真子が待っていた。帰るときに私が手にしていたのは,レーザーディスク。なるべく面白いものがいいと考えて,3日前に『ビバリーヒルズ・コップ2』を購入しておいたのだ。

「こんやはこれを見ようか」って自慢げにかかげると,よそいきの笑顔で真子はうなずき,手際よくステーキを焼いてくれる。

「メリークリスマス!」 白ワインで乾杯した。

 デザートに手作りのチーズケーキを食べ,角瓶の水割りをたしなみ,映画をみて楽しんだ。かつてのように胸躍る心持ちにはなれないが,イヴのフィニッシュには・・・ベッドインして欲望を満たしたい思惑があった。

 そんな煩悩を見透かした真子は,義務でも果たすかのように私に抱かれる。身も心も乾いた彼女を抱きたくはない・・・そう思っても欲情に負けてしまう私は,真子を悦ばせることもできないまま,惨めに独りで果てなければならなかった。

 そのうえ私は,どこまでも見切ることができないでいた。受け容れてくれる事実にいつまでも一縷の望みをつないでいたのだ。

 性の営みをするとき,彼女が見せまいとすればするほど,顔には隠しきれない拒否反応があらわれる。

 さすがにその夜は,微妙に歯を食いしばる彼女の顔がふかく胸に突き刺さった。さながら,もうひとりのアシュラを見ているような・・・二度とふたたび真子を抱いたりしない,と心ひそかに誓ったのだった。

 

 真子が金沢にきて三度目の正月がおとずれる。

 この年,雪化粧した元旦は冷え込みが一段と厳しかった。さいわい日中には雪は降らなかったが,気温が上がらず寒い一日となった。

 午前中のうちに病院へ行って重症患者を診てくる。できれば午後から初もうでに出かけたいと考えていた。というのも,彼女と行ける最初で最後の初詣りになるような気がしてならない・・・それゆえ真冬日になっても,苦手な人混みをガマンし,何としてでも二人で行きたいという気持ちが強かった。

 ただ,そのような思いを真子が受けとめてくれるかどうか?

「きょうは午後,尾山神社へ初もうでに行ってこないか?」

 病院から帰ってくるとさっそく彼女を誘ってみた。

「こんな寒い日に?」

 真子は出会ったころから寒さによわい。こう寒くてはとても乗り気になれない,と訴えるように彼女は渋った。が,私には特別という思いがあって,そう簡単には引き下がれない。

「ぜひ元日に,マコと初詣りがしたいな」

「わたしは北陸の冬が大嫌い。とくにきょうは寒そうだから,あなた一人で行ってきて」

 そんなふうに断られると淋しいだけじゃなくて,不満の芽が出てくる。

「おれは・・・マコと初もうでへ行って,できたら記念になるものを作りたいんだよ。ちょっとは分かってくれてもいいんじゃないかな」

 不満げで批判的な言いようが,おそらく彼女のこころに亀裂を生じさせた。

「わたしとじゃなくて,むこうの人と行ってくれば!」

 不意に弱点をつかれて私は逆上した。傍らにあったテレビのリモコンを思いっきり投げつける・・・床に弾かれて壁にぶつかり,衝撃で本体が飛び散って部品のカケラが空を切った。

『しまった! おれはナニをしているんだろう』

 落ちたリモコンを手に取ってみる・・・部品を合わせても本体左の下端が欠けていた。床には線状のへこみ傷・・・我れに返った私は,真子に求めてしまった動かぬ証拠を確認して,やむにやまれず反省する。

『いかん,真子にもだれにも求めてはいけないのだった。そんな生き方をしようと決めたはずなのに・・・またしても過ってしまった』

 愛なき愛・・・とっくに己れ自身と言い切れるまでに浸透した,と信じたのがバカだった。悔しいけれど,いま目にしているのがありのままの自分,この現実にあらわれるアリサマのみが自己なのだ。

 まだまだこれから・・・捨てて,捨てて,捨て抜いて,自己の極致に達するべく努めなければならぬ。

 つまるところ,心に決めたことであっても,失敗を繰りかえし四苦八苦しながら身につけていくしかないのである。