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 発作のあった翌週,月曜日。

 早朝に目が覚めてしまい,そうでなくても気分がスッキリしないのに,考えが行き詰まってよりいっそうストレスが溜まった。肝腎かなめの部分が欠けていて全体像が見えてこない苛立たしさ・・・いつになく私は早めに出勤したのだった。

 朝の病棟は勤務交代の時間帯で,やや張りつめた気配がただよう。ナースステーションでいくつか指示を出したが,べつだん私の動きに注意をはらう者などいなかった。

 午前中は,退職する内科ドクターの代診を引き受けていた。不安をかかえての初診外来・・・医師が診察中に発作を起こすようでは,それこそ様にならない。かといって,代わりをしてくれる奇特な医師もいない,腹をくくって外来に向かった。

 案ずるより産むが易し・・・じっさい行なってみると,患者は少なくて診療はスムーズ,懸念したことは何ひとつ起こらなかったのだ。しょうじき肩の荷がおりて一安心する。

 ただ診察室を出ようとしたとき,担当ナースに呼び止められた。

「せんせい! だいじょうぶですか? 金曜日の夜,救急車で運ばれたそうじゃないですか! きょうは,外来休まれるんじゃないかって・・・みんなで,心配してたんですよ」

「そりゃあ,予想を裏切ってしまって,わるいことしたな。見てのとおりピンピンしているよ」

 疾病のことを勘ぐられたくなかった。さいわい,さっきまでの外来業務も,薬が効いているせいか通常にできたのである・・・案外,このまま隠しおおせたりして?

 

 病院の売店で,おにぎりと牛乳パックを一個ずつ買いもとめ,研究室にもどって三日間をかえりみる。

 週末はなるべく負荷になるようなことを避けてきた。といっても冠動脈の病変が真に不安定であるなら,安静なんかで発作が抑えられるはずもない。

 さほど重症ではないということか?・・・サブ術者なら,カテーテル治療だって,どうってことなくやれそうな気さえしてくる。

 ・・・それにしても,裕子には話しておくべきだった。

『まずったな・・・』

 不名誉なドクター情報はすでに院内中に拡がっているようだ。一般病棟で働いている彼女の耳にだって届かないわけがない。

『なにを今ごろになって・・・バレないほうがよっぽどおかしなこと,あたりまえじゃないか』と,愚痴る以外に気分をなだめようがなかった。

 

 午後は,心カテ。

 藤沢はとっくに着替えを済ませ,私を待っていた。発作性心房細動のカテーテルアブレーションだという。

「先生・・・できますか?」 疑念を投げかけて,ためらいがちに後輩はつづけた。「いちおう元木先生には,いざという時は手伝ってくださいって頼んでありますから,無理されないほうがよいのでは・・・」

 なら・・・のちほど電話を入れておかないと。元木先生とは私の上司,循環器内科の部長のこと。

 場合によっては入院する事態も起こりうるのであったから,そもそも上司に連絡しなければいけなかったのだ。が,生半可に告げて迷惑をかけたくなかったし,引き受けた外来の代診のことも気にかかった・・・ともかく決着をつけられず,私は報告しなかったのである。

 ところで,人として申し分なく先輩を気遣ってくれた藤沢だったが,医師として何よりも恐れていたのは,心カテ診療に支障をきたすことであったにちがいない。

「平気さ・・・たぶん」

 と答えて,自信の無さを見透かされているような気がしてくる。とっさに釈明しようとして口から出てきた言いぶん・・・「だいたいアシストが必要なのは最初の準備のとこだけで,大事なところはぜんぶ藤沢ひとりでやっているようなもんだろ」

 ハッとする・・・よもや自らのセリフで傷つくとは思わなかった。

 それはまさしく,私の代役がだれにでも務まるということにほかならないではないか。 つい弱音を吐きたくなる・・・どうせなら,いまからで元木先生に代わってもらおうか?

 そんな先輩の小さな葛藤のことなど,後輩は露しらず,いいかげん見切りをつけたのだろう,いくぶん厳しさを和らげてつけ加えた。

「土日はどうでした?」

「発作らしい発作は一度もなかったから,処方が効いてるみたいだ」

「よかったですね」

「まだ分からんけどな・・・」

 ロングシースの挿入と一連のカテーテル挿入は30分前後でトラブルなく終了し,それで私の出番はおしまい。あとは頼りになる後輩に全権をゆだね,丸椅子に腰掛けてカテ室の壁に寄りかかった。

 

 目下のところ,藤沢は不整脈とりわけ心房細動のカテーテルアブレーションに全精力を注いでいる。

 ・・・心臓電気生理の検査と治療は,一口では言い表せないくらいずいぶんと変わってしまった。まさに目覚ましく進歩したと言うべきなのだろう。

 最近ではバーチャルリアリティが活用され,心房細動のアブレーション治療も難しいものではなくなった感がある。もっとも医師に求められる技術も高度になり,すでに私は手を引いている。新しい医療は気概のあるドクターに託してもっぱらアシスタント役に徹するばかりだ。

 治療の進捗状況を見守りながら,流れゆく時間のなかに身をおいていると,是認しているのに斯く思えてくる・・・

 ・・・進歩は,けっして進化ではない。人類はどこまで進歩することで精神的退化を続けていくのだろうか。

 エイエンに?・・・そうではないだろ。それ以前に横たわっている,憂慮にたえない・・・滅亡への道。

 どうころんでも発展にともなう環境破壊はますます深刻になって生存すら危うくなっていくに相違ないのだ。そして,いかなる悲劇が待ち受けていようとも歩んでいかねばならない生き物たち。

 愚かしいにしても・・・定めなのだ,それが。

 などと,下らない憶測をするうちにアブレーションは完了,私のつれづれも日勤の時間帯で終わりを告げた。

 

 仕事をやり終えてマンションに帰ってくると,案の定,裕子が怪訝そうな顔で私をむかえる。

 いきなり問い詰められた。

「きょう,病院で話題になってたわ,あなたが救急車で搬送されたって。いったいどういうこと? なんで,わたしが知らないの? ねぇ,なんでなの!」

「ごめん。言いづらくて・・・」

 怒気のこもった眼差しと口調に気圧されて,そう返事するのがやっと。

「どうして言いづらいの? わたしが,どんなにあなたのことを思っているのか,知ってるでしょ! みんなの会話を聞いていて,どれほど哀しかったか,わかる?」

「ゴメンな・・・おまえに要らぬ心配をかけたくなかったんだ。でも,大したことなくても,やっぱりきちんと話さないといけなかった・・・ホントにゴメン,許してくれ」

 まともな答えになっていなくても,反省の気持ちは伝えたかった。だけど急に裕子は押し黙ってしまい,そのあと口を開こうとはしなかった。

 『マコト』のカケラなんかじゃ,おまえの心は開けられないってことか。なにもかも曝け出さなきゃ,喋らないつもりだってことなのか。それとも,いっそ反抗してくれたら憤怒をぶちまけてやったのに・・・大バカヤローとでも叫びたいっていうことなのか。

 オレにしたって,口を閉ざし,ただひたすら待つしかなかった。そのくせ,この勝負,惚れた側が負けなんだろうと横柄に構えていたんだ。

 はたして気まずい空気を換えたのは・・・彼女の漏らした,小さな溜め息であった。

 しばらくして,いつものおだやかな声が聞こえてくる。

「心臓の発作らしいってウワサだったけど,ホントに大したことないの?」

狭心症だとおもうけど,薬で治まってるから,だいじょうぶさ」

 金曜日の出来事とその後の経過を,かいつまんで説明した。

「それで心カテはどうするの?」

「いつかは受けないといけないだろうな・・・」

「いつ頃?」

「近いうち・・・」

 

 

 

 現代の高齢社会では,それらを抜きにしては何も語れないほど,認知症と寝たきりが大きな社会問題となっている。

 自身で生活ができなくなった年寄りを診るたびに,行くすえの世の中が見えにくくなり,いいかげん何とかならないものかと叫びたくなる。認知症と寝たきりは明らかに病的なケースも少なくないが,見方をかえれば人間の老いていく姿ともいえるからだ。であるなら,社会自体が介護していかねばならないのかもしれない。

 その人たちを在宅中心の医療介護で支えていくのだという。

 わが国では近ごろ,家族の絆は相当に希薄になっている。それを見直すきっかけにはなるとしても,現状を軽んじ医療政策を強引に推し進めていけば,やがて家庭は疲弊あるいは崩壊して地域社会そのものの活力が奪われかねないのではあるまいか。さらに危惧されること・・・想定されている枠組みからハミ出てしまった人々は如何ように扱われていくのか。

 いずれにせよ,痛みを伴っても抜本的な対策を講じないかぎり,未来は見えてこないように思われる。

 

 わたしは,自立して生活ができなくなる前に,生きることをやめたい。

 そのようなことをいうと,どういう了見なんだと多くの人の反感を買ってしまうことだろう。また,それだけはやってはいけないんだと延々と説教されることであろう。

 だとしても,一歩たりとも引き下がれない,こればっかりは・・・真剣にそう思っている。

 とはいえ53歳,来月で54歳は,幕を下ろすには早すぎやしないか・・・つまり,いくつなら迷いを断ち切れるのだろうか?

 

 結局のところ,年齢ではないのだ。 これで良し,とできるか否か。

 

 あの発作が起きた当日には,いまだ人生の今後にまで考えが深く及んでいかなかった。

 しかしながら,翌日以降,それまでもずっと思案してきた自己の終焉について,少しずつ直面する現実のなかで熟慮するようになったのである。

 

 

 

 火曜日の午前中は,検査担当の日。

 予約検査が終わってから,心エコーを技師に頼んでやってもらった。左心室には心筋梗塞を疑うような壁運動異常は認められなかったので,とりあえずほっとする。

 午後には再診外来を行なったが,一日を通じてこれといった胸の症状はなかった。

 

 水曜日の初診外来・・・さしたる変化はみられない。

 ところが午後,心カテを行なっている最中に,ごく軽い違和感を前胸部におぼえた。患者を治している場合じゃないだろ・・・検査していても集中できずに苛ついた。

 

 木曜日,午前の再診外来のときにも終了間際になり,多少の不快感が前日と同じ部位にあった。症状はものの1分も持続せずに消えてしまい,携帯中のニトログリセリンを舌下するほどのことでもない。

 昼食をすませてから書類をいくらかでも仕上げようと外来へ向かった。そうしたら1階ホールのところで腰の曲がったひとりの老婆に出会った。目を奪われ,おもわず立ち止まる・・・さもみすぼらしい格好で,折れてしまいそうな細長い竹棒を杖代わりにし,一歩ずつ必死に歩いているそのスガタが妙にこころに絡みついて仕方ないのだ。

 どのような目にあおうとも最期まで生き切ろうとする逞しさ,それは美しいとさえおもえる・・・これが,本来あるべき生き様ということか!

 あやうく目が潤みそうになった。すると,老婆がこちらを見やってポカンとしている。いかん・・・つくり笑いを浮かべて内科休憩室へといそいだ。

 

 金曜日・・・全日,心カテの検査と治療の日。

 午前中に2例,午後に1例の予定が入っていたけれど,引き続きカテーテル治療をおこなう可能性があるのは,見たところ午前中の症例のみであった。

 昼の休憩にはいる直前,意を決して藤沢に相談を持ちかけた。そして,私の心カテが午後の2例目に行なわれることがきまった。

 そのさい,以下のことを要望する。

 入院しないで病院業務を支障なくこなすため,左橈骨動脈穿刺にて実施すること。2方向同時撮影をおこない,造影剤は50mlを超えて使用しないこと。

 もちろん藤沢にも異存はなかった。

 

 結果というものは蓋を開けてみないと分からない。

 たしかに推測どおりに動脈硬化性病変をみとめたのであるが,私にとってはおそろしく都合のいいものであったから,内心ひそかに悦ばずにはいられなかった。

 冠動脈造影検査では,右冠動脈2番に造影遅延をともなう99%狭窄がみとめられたものの,その他には有意狭窄をみとめないという1枝病変。また,左前下行枝と左回旋枝から良好な側副血行路がみとめられ,右冠動脈4番はその吻合によって左冠動脈より逆行性に造影された。

 使用した造影剤は合計48ml・・・不可欠な方向に限って撮影したので最低限に抑えることもできた。

 検査が終わると,ただちに車いすで操作室へ・・・造影所見をじっくり確認する。

 理由はさておき・・・現在の血管の状況では,狭心症の発作が起きることはあっても,心筋梗塞を引き起こす可能性はないも同然であった。

 

 ・・・わが道は,ふたたび立ちあらわれて懸念は消え去った。すなわち,道がとつぜん閉ざされる恐れは,無くなったに等しいのである。

 歩まねばならぬ・・・すくなくとも諦めてはならない。

 

 投薬のみで加療していく決意をかため,即座に私はその方針を表明した。しかるに・・・藤沢は,不満をあからさまにして猛然と抗議する。

「なぜ,すぐにPCIをしないのですか! トータルになる前にやるべきじゃないですか!」

 PCIとは冠動脈インターベンションいわゆるカテーテル治療のこと。トータルとは100%の意味で完全閉塞のこと。

 今回のような99%の病変は,いずれ必ず進展して完全閉塞にいたる。それゆえ閉塞前に心カテ治療をおこなうのが至極当然のことであった。

 一般的に閉塞してしまうと,その閉塞期間が長くなるにしたがい難易度が上がり,成功率は低くなると同時にリスクも大きくなる。

「トータルになっても,藤沢の腕なら,やれないことはないだろ」

 後輩のドクターとしてのプライドをくすぐり,その場を安易にしのごうとしたのが浅はかであった。

「そうかもしれませんが・・・とにかく,ぼくには納得できません!」と言い捨てるや,そそくさと藤沢はカテ室から出ていってしまった。

 治療の大原則を根拠もなく曲げることを潔しとしないその態度は,いかにも頼もしくて医者の鑑とさえ言えるが,自身のことに関しては私も譲るわけにはいかない。

 

 ・・・心に立ちこめていたモヤモヤを,これほどキレイさっぱりと吹き払ってくれるとは!

 それまで次なる行動を考えていても,まとまりがつかなくて埒が明かなかった。それが,道が見えたとたん,積極的な治療は受けないという選択に不思議なくらい迷いはなかった。

 カテーテル治療は根治がのぞめる画期的な治療法ではあるが,価値を有するのは将来を生きるためだ。その将来が要らないとなれば,治療を受ける価値が消滅してしまうのは必然であった。

 終焉のことを定めて実行するには,残された時間で十二分ではないか!

 それにもまして和まされたこと・・・かぎりなくゼロに近くなった,突然死の可能性。

 ・・・これなら,最後の最後まで自己を貫けるはず。

 

 さて,どのように説得したものか・・・経過観察の結論に至ったことが腑におちない様子で,裕子は浮かぬ顔をしている。

 私は医学的な観点から・・・冠動脈インターベンションを行なうには一定量の造影剤が必要であって,そうなれば腎障害が進行してしまう不都合は避けられないことを指摘し,そのうえで自らの意志・・・できうるなら生涯にわたって手術は受けたくないことを強調した。

「おれは・・・持って生まれたものが壊れたら,壊れたままにやっていきたいんだ」

「わかったわ。あなたは自分の思ったようにしか生きないから・・・」

 いつだって裕子は,良識的な判断とか真っ当な意見とかを押しつけるような真似はしなかった。

 

 

 

 自死を決断しようと彷徨うとき,過去をどうしても遡らなければならない。

 

 嵩子と真子。

 ・・・オレという不器用な人間に色こく関わったふたりの女性。

 わたしは・・・彼女らを,取るに足らない独りよがりの精神的格闘に巻き込んで,あまりにも深く哀しく傷つけてしまったのであった。