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「せんせい?」

 カーテン越しの声で目が覚めた。が,ぼんやりしていた。 いつのまに眠ったのだろう?

 ・・・真子の黒髪が風になびいて,オレの頬を撫でていたっけ。

 それは夢ではない。まぼろしでもない。まぎれもなく,私のなかに存在している・・・過ぎし日の一コマ。

「おきてますか?」

 ナースの問いかけで,しっかりと覚醒した。見られてないはずだから,ごまかしてもかまわないだろ。

「あぁ,起きてるよ」

「つらくないですか?」

 と,黄色っぽいカーテンの切れ目から天使が顔をのぞかせる。

「ぜんぜん」と答えてから付け足した。「ところで,片桐君はいくつになったんかな?」

「またトシのハナシですか,たしか以前に答えましたよ」

「そうだっけ。でも,いくつだったかな?」

「いくつに見えます?」

「28歳くらいかな?」

「ちかいです」

「じゃ,27歳!」

「ブー・・・29歳ですよ」

「もう29か。 大台一歩手前だなぁ」

「ひどい! そんなこと言ってたら,ぜったい女性に嫌われますよ」

「ゴメン。ちなみに,名前は変わる予定はないの?」

「ありません!」

「ホントに?」

「あったとしても,先生には話しませんけどね」

「さみしいねぇ」

「だいたい,先生こそ,いくつになったんですか?」

「おれ?・・・教えたくないトシになったよ」

「ダメですからね! 自分のことは喋らないなんて,卑怯ですよ。いつもわたしたちに,年齢ばかり訊いてるんだから」

「それは言えてるな・・・」しょうがない。「もうすぐ,誕生日で54だよ」

 微妙な間があって,そのあと含み笑いをされてしまった。

「へぇ~,50代,なんですか」

 どうせ老けてるさ,とでも言い返そうとしたら・・・近づいてくる足音に気がついた。

「あっ,言うの忘れてました。藤沢先生が来られています」

 藤沢が?・・・ナゼなんだろ。

「いかがですか?」

 と,循環器内科の後輩が,ナースと入れ替わるかたちであらわれた。

「来てみると先生だったので,さすがにオドロきました。いま,カルテを見たんですが,ちょっと気になるデータがあるんです」

 ただちに車イスに乗り,ベッドから電子カルテの置いてあるデスクまで点滴スタンドを使用して移動した。検査結果のモニター画面を,多少の胸騒ぎをおぼえつつ確認する。

 一目でわかった・・・心筋トロポニンT陽性!

 心筋梗塞など,心筋障害をみとめた場合に増加するタンパクは,赤色でプラスと表示されていた。簡易テストではあるが,信頼性や有用性は非常に高い。ただし・・・通常の心筋逸脱酵素は正常範囲内の値ではあったのだが。

『虚血発作か・・・』

 おもわず心のなかで呟いて意気消沈してしまう。

 正常高値血圧,耐糖能障害,高LDL-コレステロール血症,それに喫煙。四大危険因子に相当するものはすべて持っている。あらためて検討を加えるまでもない・・・きわめて必然的な成り行きではないか。

 きのうの寝る前,胸のあたりに妙な違和感があったのも発作なのだろう。気づいてみれば,いろんなことが繋がってくる。自らのことになると,いかに判断が鈍ってしまうものなのか。

「どうされますか? 心カテしたほうがいいとおもいますけど・・・」

 そりゃそうだろうが,できればやりたくないんだ・・・後輩から穏やかに勧められても,思考は空回りする一方であった。

 心臓カテーテル検査,なかでも冠動脈造影検査は,虚血性心疾患を的確に診療するには不可欠といっても過言ではない。わずかの可能性であっても心筋梗塞狭心症が疑われる場合,かならず私も患者にすすめてきた。異論をさしはさむ余地などない,あまりにも尤もすぎる意見であった。

「藤沢,とにかく今夜は・・・かえるよ。ゆっくり考える時間が欲しいんだ。あすあさっては週末だし,無理しないで静かにしているさ」

 バッカじゃないの,循環器の医師ともあろうものが!・・・と,己れ自身に向かって叫びたくなった。急性冠症候群に無駄にできる時間なんぞありはしない,一刻も早く積極的治療をおこなうのみではないか!

 

 そうまで思ったにもかかわらず,この時点での私はさる仔細があって・・・どれほど説得されようとも,どんなに思慮を巡らせたとしても,心カテを受けるという決断をくだすことはできなかったのである。

 

「わかりました。今後のことは,先生が決めてください」

 もちろん納得のうえではなかっただろう。藤沢は先輩を立てて正当な見解を主張することなく,利己的に医療を選択する権利を非常識な人間に預けてくれたのであった。

 しかしながら・・・再発作が起こるようだと,冠動脈インターベンションいわゆるカテーテル治療はどうあがこうと拒むべくもない。

「胸がつらくなれば,夜でも受診するから・・・そのときはよろしく!」

 念のために緊急時の対応を依頼しておくという大事な一言を,このときの私はけっして忘れてはいなかった。

 

 点滴が終了した後,処方してもらった冠血管拡張薬と抗血小板薬を服用し,タクシーでスポーツクラブへ戻った。

 テニスウェアのまま救急搬送されたので,終了間際ではあったけれど,頼みこんで着替えをさせてもらった。あとは,どうしたものか?・・・マンションへ帰らないといけない。

 心根を疑われても仕方がないが,なんとかなるさと,かまわず車を運転することにしたのだった。

 

 

 

 家に着いたとたん,疲れがどっと出てきた。なにもやる気がしない。腹は減っていたが,空腹感も麻痺している感じ。

 キッチンには,メモが置いてあった。

『シチューとサラダが冷蔵庫に入っているから食べてね。たまにはぐっすり眠らないと,からだに良くないよ! 裕子』

 やはり少し食べなくては・・・とボーッと準備しているうちに,習慣とは変えがたい,いつのまにか発泡酒を開けていた。

 待てよ,アルコールは冠攣縮を誘発する危険性がある・・・とは限るまい,ビールの一缶くらいなら大丈夫だろう・・・と思いなおし,作り置きの惣菜をつまみにしてちびりちびりアルミ缶を傾ける。

 

 ほんの短時間とはいえ,激しい発作に見舞われて,想像以上に体力を消耗してしまったようだ。というより精神的打撃のほうがはるかに大きくて,そいつが影響を及ぼしているのかもしれない。

 正直なところ思索をかさねる気力なんか,まったく残っていない・・・かといって,魂はいっこうに安まろうとはしないのだ。

 これから,再発作の嵐が起きたっておかしくはない。急性心筋梗塞に至ってしまう場合だって十二分にありうる・・・最悪,致死性不整脈が合併しないともかぎらない。 働かない頭をむりにも回転させねばならぬ。

カテーテル治療をやるのか,やらないのか・・・どっちに転ぶにしても,心カテ検査は受けておいたほうがよいのではないか?』

 じつは・・・実施にさいして,ひとつ重大な問題点があった。慢性腎臓病の合併である。

 

 小学校入学の前年,幼稚園に入ってまもなく,私は感冒から急性糸球体腎炎をわずらい,全身浮腫の状態で入院生活を余儀なくされた。退院後しばらくは通院しなければならなかったが,翌年就学して以降は当然ながら療養したことも忘れて日々ふつうに過ごしていた。

 ところが,中学生になると毎年検診で蛋白尿を指摘された。そのため三年の夏休みに五日間,母の要望はむげにもできず,明くる年高校入試を控えているから是非その前にと説き伏せられて精査入院することになった。退院するさいには結果説明をうけ,診断は慢性糸球体腎炎,今後は経過観察するよりほかないとのこと。中規模の病院で腎生検は未施行・・・いったい入院して検査するだけの価値があったのかどうか? その後は放置も同然だった。

 医学部に進学して知識を得てからはいくぶん気にかけるようになったが,日常生活にまで影を落とすことはなかった。そのうち臨床検査部の実習があって自動分析装置をじっさいに操作する機会に恵まれた。自身の血液を用いて測定したクレアチニンは1.2と軽度上昇の値を示し,はじめて慢性腎臓病を意識するようになった。

 それからというもの持病の事実を他人には知られたくなかった。医師になってからは尚更のこと,とりわけ上司にはぜったいに気づかれたくない・・・たとえ顰蹙を買おうとも,大学病院や関連病院では適当に理由をつけて職場検診を一切受けないという身勝手を押し通した。

 だが就職すると,さすがにそういうわけにもいかない。また不惑を過ぎて病気を知られることに抵抗がなくなり,K病院では毎年まじめに定期検診を受けていた。

 昨年秋のクレアチニンは1.41・・・要注意の値ではあるが,心カテを受けられない数値ではない。とはいうものの,カテ治療をおこなう場合には,造影剤による腎障害増悪のリスクは覚悟しなければならないだろう。

 ・・・冠動脈CTという手もあるが,病変の有無はわかっても正確な評価をくだすことは難しい。ヘタをすると心カテと両方受ける羽目になりかねない。ならば造影剤の使用量を少なくするために,最初から心カテを行なったほうがいいのではないか・・・それも,なるべく早く! つまりは現状を把握しないことには,どうにもこうにも対処しようがないのである。

 

 検査を・・・拒否する必要はない。むしろ受けるべきである。治療は,その結果しだい。そのことに異存はなかった。

 私を狂わせて判断を鈍らせていた張本人は・・・別にあったのだ。

 それは,なにをかくそう・・・13年前のあのときに生まれた,まさにオノレの一部分とさえいえる『誓い』なのであった。

 

『死ぬときには自ら命を絶とう』

 ・・・宿命の『その時』がきたのであれば,検査をせずとも,このままでこと足りる。発作が起きようと,ただひたすらに突き進んで実行あるのみ。火を見るより明らかなこと。

 

 なれど,踏み出すことができずに立ちすくんでいる・・・オレ。

 こんな状況では,実行困難といわざるをえない。なにしろ,ちっとも現実的じゃない・・・不備が多すぎて投げ捨てられないのだから。

 

 万全の用意のもとに,それは実行されなければならない!

 ・・・先送りして準備すべきなのだ。そうか,そういうことなのか,私の求めていた結論は,これなのか。

 

 やっぱりバカとしか言いようがない。確信を得ようとして,生存にかかわる重要な心臓精査の機会を逸してしまったようだ。

 かててくわえて・・・やがては自分で命を絶ってしまおうというくせに,しっかりと終活をおこなうための期間が欲しいだなんて,いささか虫がよすぎるのではないか。だいいち最期まで自我を貫きたいと願ったところで,シナリオどおりにうまくいく保証はない。

 のみならず・・・気がかりなことが頭から去っていかない。

 

 身近な存在となり,万一のことではなくなった・・・突然死の可能性。

 ・・・ある意味,人生最大にして最後の決定的瞬間を演出するために,私は生きてきたと極言してもいい。そのチャンスが与えられないまま,急逝していかねばならぬリスクを背負ってしまったのだ。

 

『あの誓いは,もしかしたら果たせないかもしれない』

 

 

 

 午前1時半すぎ,準夜勤務の裕子が帰ってきた。

 今夜の一件については,なんだか語りたくない・・・できうるなら秘密のベールで覆ってしまいたいほど。

 真子を想いだし,時は近づいている,という予感の雫がこころに落ちたせいにちがいない。生じた波紋は,かすかで穏やかだけど,いつになっても消えそうにはなかった。

 

 裕子にも明かせない自己の代償を,こんにちに至っても,私はいまだに引き摺って生きていたのである。