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 10月になった。あれから2か月,いろんなことが呑みこめてきた。

 何にもまして胸にコタえたのは・・・一人では見出だせないということ。孤独な人間であっても一人ではナンにも会得できない。孤独というもの自体が一人では為しえない。

 嵩子と真子がいなければ,さらにあの男が絡まなければ,私は真の孤独を手に入れることはできなかったことだろう。不思議なエンではないか,自分ではどうすることもできない出会いと出来事・・・そうありたいと願っても天の配剤がなければ叶わないのだから,あいつにも感謝しなければならない。

 言うなれば・・・ジェラシーに狂わなければ気づかなかったであろう。私はもう十分に孤独であると思っていた。なにも持たずに生きていると信じこんでいた。まことミゴトなまでの見誤り・・・嫉妬してはじめて失うまいと一番大切なものを死守している自分を見ることができたとは!

 人間は,マチガイをおかさなければ知ることができない。それも危機的状況に陥らないかぎり正真正銘の自己に出会うことはない。であるから・・・苦境に立ったときの惨めな自分を知らないかぎり本物にはなれないのだ。

 それにしても,嵩子と真子に与えてしまった苦悩の大きさを思うとき,心臓を鷲摑みにされるような痛みをおぼえる。ある意味しかたなかったにせよ,ふたりは私の孤独に巻き込まれた犠牲者ではなかったか。いわば私には宿命であったが,彼女たちにとっては私との出会いはむしろ悪夢だったのではないか。

 だんだん自責の念を抱いて私はふたりと接するようになる。

 

 紅葉も見頃を迎えつつある・・・10月下旬。

 私が若かりしとき,初恋の女性に想いをこめて声をかけた忘れじの日に,朝ちゃんが独立して店をオープンした。

 当日の夜,開店祝いに私も駈けつける。

「ママ,お客さんで~す!」

 店に入ると女の子が奥に向かって声をあげた。小さな厨房から,朝ちゃんならぬママが出てくる。

「いらっしゃい,青ちゃん」

「おめでとう・・・アサちゃんも,きょうからママってことか」

「ありがと。まだピンとこないけどね・・・そこの空いてる席にかけて」

 一つ残っていたカウンター席にすわる。テーブル席では団体客が早くも大声を出して騒いでいた。

 朝ちゃんは忙しくて私の相手どころではなかった。店にはママのほかに若い女の子が二人いて,どちらの子も水商売は初めてのようだった。それで私によぶんな話しかけをしてこない。おかげで久々にゆっくりと黙考を楽しめた。

 

 これまでのことを省みる。

 愛から派生する一方的な感情は,心を否応なく過敏にさせて,錯誤を生みだし真実を遠ざける。だからこそ自分を見失い相手を非難してしまう。

 真子が,どのようにあの男と接し,どのような関係でいるのか?・・・私には知りようがない。

 過剰な感情は,秘められた部分に虚構を作りだして二人の怪しい関係を推測させるが,本当のところは分からない。彼女の私への怒りが,ふたりを接近させる大きな要因だとしても,実際の結びつきは分からない。あいつを受け入れた彼女が,かくれて逢瀬を重ねているかどうか,それは分かりようがない。

 明らかなのは,私の不義に接して真子は悩み苦しんでいること。彼女が生きるためには苦悩から解放されねばならないこと。そこへ真子を愛するという男があらわれたこと。案外に把握している事実は限られていて,ほとんど微妙なところは掴みようがない。

 しかし大事なことは,分からないまま相手を愛せるかどうか・・・それが愛の運命を決める。

 おそらく求めるという愛の先には,与えてやまない愛があるはず・・・私には永久といっていいほどに無縁の,信頼に満ちあふれた愛が,きっと。

 わたしは私なりに真子を愛することができればそれでいい・・・彼女が応えてくれなくても構わない。これからは冷淡で非情な彼女しか要らないし,また望みたくないとまでおもう。

 

 そのうちテーブル席を一回りしたらしく朝ちゃんが戻ってきた。

「最近は,どう? 青ちゃん」

「どうもしないさ」

「そういえば,結婚するんじゃなかった? あのスタイルいい子と」

「そのハナシはなくなった・・・」

「じゃ,タカちゃんのことがバレたんだ」

 結果は合っているけど仔細がいろいろとあるんだ。そう思ったが,明かす必要はないし,説明するのはもっと面倒である。

「そんなとこだ」

「やっぱり悪いことはできないもんよねぇ,青ちゃん」

 すでに婚姻への道は自然消滅したようなもの。去年のうちに計画を立て,今ごろには式を挙げようと考えていたけれど・・・とどのつまりは絵に描いた餅になってしまった。真子には,とっくにその意志はなくなったであろうし,私にしたって代わりに生涯一人で生きる信念と覚悟ができたのである。

「あの子はナンていう名前だっけ?」

「マコ」

「そうそう,けっきょくマコちゃんと別れたの?」

「そうではないけど,このさき・・・どうなるか分からない」

「じゃあ,タカちゃんとはどうしてるの?」

「そのまま・・・」

「タカちゃんと結婚すれば?」

「・・・そんなつもりはないよ」

「タカちゃんは,願ってるとおもうけどな・・・」

「おれはもう・・・だれとも結婚したくないんだ」

 真子以外の女性と結婚しようとはおもわない。 ナゼなんだろう?

 結婚しないのは,自分の資質に適した生き方をしたいから・・・だが,それは表向きのこと。だれにも語らない別の理由は,真子だけを愛している証しを示したいから・・・それが罪に対する償いであり,彼女に対する礼儀であり,なによりもオレのプライドなのだ。

「でも,タカちゃんが可哀そう」

「ママおねがいしま~す!」 奥のテーブル席から女の子が叫んだ。

「青ちゃん,またあとで続きをするわよ」

 返答に困っていると,いいタイミングでママが呼ばれた。今夜なら思考の回りがいいのでママがいなくても平気だろう。

 

 グラスを傾けながら考えにふける・・・この孤独はどうなんだろう。

 孤独は集団の中にしかない。一人でいては孤独かどうかも分からない。集団の中にあって孤独な生き方を選択することで,孤独が分かると同時にそれを示せるのだ。孤独と交流を避けることは根本的に相違する・・・一見類似していても生きる姿勢は対極的とさえいえる。

 孤独はつねに共生の中にある。つまり,愛といっしょというわけだ。

 

「青ちゃん,なに考えてるの?」 おもったよりママが早く戻ってくる。

「いろいろ」

「ところで,タカちゃんは元気?」

「あぁ,とくに変わりはないよ」

 このところ頻繁には逢っていないが,嵩子は以前よりも落ち着いている。例のわけの分からない発作も今年になってからは目にしていない。真子に明かしたことが良い方向に作用しているみたいだった。

 密閉された空間では酸素不足におちいり人間は生きていけないが,ほんの小さな風穴を開けるのみで窮地を脱することができる・・・それと似たような効果があったのではないか。

「ねぇ,青ちゃん。どうしてタカちゃんと結婚しないの?」

「むずかしいこと訊くなよ」

「タカちゃんほど,青ちゃんに尽くしてる子はいないとおもうな」

「そうだな」

 真子に出逢わなければ,あるいは嵩子と結婚していたやもしれぬ。そうかもしれないが,いまとなっては真子と別れたとしても,だれとも結婚はありえないハナシである。

「どうして? 青ちゃん」

「おれには,結婚は合わないと分かったから」

「マコちゃんとならいいわけ?」

「そうじゃなくて,たしかにマコと結婚しようとおもったけど,準備をするうちにオレには無理だと悟ったんだよ」

「どうしてムリなの?」

「言ってるだろ,おれの性格に合わないから」

「ふ~ん,結婚はしてみないとわからないとおもうけど。いい意味でも,わるい意味でも」

 朝ちゃんは10歳年下であるが,いわゆるバツ2だ・・・どことなく説得力がある。

「ママ~,お呼びで~す」

 またまた女の子の呼び声に「ハーイ」とママが答えた。

「青ちゃん,ちょっとゴメンね」

「あぁ,いいよ」

 

 どれだけ朝ちゃんに説かれようが,オレには結婚はない。この2ヶ月の間にジワリジワリとではあるが,愛なき愛は心身に浸透・・・そこに責任とプライドが重なり,結婚は考えられないのだ。

 ひとりで・・・こっそり祝杯をあげよう。

『オレの愛なき愛に,カンパイ!』

 愛なき愛こそ,私のめざす愛のかたち。 孤独と無限へいたる道。

 

 そこへ戻ってきた朝ちゃんも加わる。

「まあ,青ちゃんの人生だから,わたしがどうこう言うことじゃないわよね。きょうは来てくれてうれしいわ。じゃ・・・カンパイ!」

「そうさ,アサちゃんの新しい店に,乾杯!」