( 12 - 1 )

 

 (12)

 

 年が明けて,いよいよ・・・2011年。

 

 元日は雪も遠のいて,日中には時おり青空がのぞいた。

 初もうでに行きたい・・・と裕子がいうので,オセチを食べてから近くの八幡神社に出かけた。無名の社は家から歩いて10分足らずのところにあったが,日ごろ参拝する人を見かけることは滅多になかった。

 この日も年始めだというのに,人っ子ひとり見えない。だが,知名度になんの意味があるだろう。私にとって大事なことは,ただひとつ・・・オレを想ってくれる裕子の望みを少しでも叶えたい。

 彼女にしても式内社のような人気スポットでなくて良かったのだろう。地元の神社にでも行ってみようか・・・たんに立ち寄ったことがなかったという理由で,そう提案したときも嬉々として同意してくれた。大切なのは,ふたりで初詣りすることだったにちがいない。

 石造りの鳥居から境内へ入る。

 参道は除雪されていたが,狛犬と神馬は大晦日の雪を被ったままだった。左脇の手水舎をのぞいてみる・・・龍の口から肝心の水が出ていない。元旦の神事は執り行なわれていないようだ。

 社殿は・・・昨今みかけることが多いアルミサッシで囲まれていたが,建物自体はさびれて久しいということが一目瞭然であった。

 中央の短くて狭い階段をあがると,廻り縁があって,高欄の擬宝珠が目についた。どこもかしこも年季の入ったものばかり・・・とはいうものの,たとえば虫喰いの柱や隙間だらけの引き戸は,かえって守り続けられている歴史の重みを感じさせる。

 残念ながら拝殿正面の扉は開かなかった。けれど,格子から中の様子が見てとれる・・・祭礼の飾りつけや供え物などの準備は整っており,奥のほうには小さな本殿が安置されていた。静まりかえった神殿は,世間の初もうでの喧噪とはおよそ無縁であって,祈りを捧げるにはもってこいの環境である。

 だれもいない二人っきりの参詣は思いのほか気持ちがいい。されど,胸の奥のほうには絶えず熱量のない冷めた波動を感じる。

 ・・・モトをたどれば,はじめて裕子と交わったときにも染まらなかった真っ黒の領域。忘れていても消えさることのない心の闇。共生のなかにあっても孤独を主張してやまない帳本人。

 彼女と一緒に暮らすことには大きな安らぎをおぼえたが,一方で真には応えてやれない負い目を引き摺った。死を決意してからは尚更のこと。

『オレがいなくなっても,おまえに災いが降りかからないように・・・』

 手持ちの小銭ぜんぶを賽銭箱に投げいれて,それだけを切に願いつつ柏手を打った。しかし,これは自己矛盾にほかならない。本当に望んでいるならば,死ななければいいのであるから。

 こんなハシタ金では聞き届けてもらえなくて当然かも,って弁解がましい解釈をくわえながら,『しかたないんだよ,こればっかりは・・・それと,きょうはこのあと予定があって,ほどほどに引きあげるつもりだからよろしく』と,いつのまにか彼女への釈明と要望に変わっていく。

 階段の真ん中に鈴緒が垂れ下がっていた。向きなおって振り鳴らすと,鈍くて湿った音色があたりにひびく。

『タウ・タオ・タイ』

 撞着を包みこむ呪文となってココロに谺する。使命というものは達成されないはずがない・・・都合のいいように予期して余韻にひたる。

 ついで裕子が勢いよく緒を振った。ひとりよがりの世界を蹴散らし,豊かに波打つように響きわたる鈴の調べ・・・こんなにも鳴らし手によってイメージは変わるものなのだ。

 ・・・あとの心配など要らぬということか。

「ちかくの神社もいいわね。お詣りする人がいないから,よけいに御利益がありそうだわ」

「だといいな・・・」と,新しい年を迎え,私は素直に答えた。

 

 帰ってきて,すぐに病院へ向かった。

 ぜがひでも元日に浅谷さんを診にいかなくては・・・そんな思いが,頭から離れなかったのである。

 病室にいくと,患者は・・・主治医の危惧をよそに,しずかなれど,かすかな寝息をたてながら眠っていた。

 つかの間でも穏やかに眠られるうちは,まだ良いほうだと言わねばならないだろう。子供のような寝顔を見ていて・・・ハッとする。

 初もうでにいっても,なにかしらそぐわない気持ちがしていた。潜在する意識のなかに,新年を祝うなら普通の場所ではいけないような感覚があった。どういうことなのか,ここへ来て分かった。

 この病室こそ,まさしく予感された,今年の抱負を誓うには最適といえる処なのだ。じわじわと間違いではないことを実感してくる。

 近ごろになって思うようになった・・・現実にけじめをつけるには時間が必要であったが,浅谷さんはそれを作ってくれたのではないかと。

 自分自身で終焉への道を演出するのは案外に難しいことであろう。誓いを立てることで,その恩人に報いなければならない。

 役目を知らない水先案内人に向かって念ずる。

 

 安らかに眠れるよう,かならず看取るよ。あの世へ行けるよう,こころを込めて見送るよ。だから・・・今際のキワまで生き抜いてほしいんだ。

 それが人の生きる道。

 だけど,オレはそういうわけにはいかない。定められ,自らが定めた道を締めくくらなければならぬ。

 年頭にあたり,ここで宣言しておきたい。

 あなたの死を見届けたら,オレは・・・この世に見切りをつけて,いさぎよく自決するつもりだ。

 それが,わが人生の終着点。

 

 念じ終わると,浅谷さんは目を覚ました。いくぶん驚いた表情を見せて小声でつぶやく。

「せんせい・・・」

 あまりにもタイミングが良すぎた。

 ・・・「おっ」

 対応が一瞬おくれたうえに,オメデトウの言葉をとっさに呑みこんで「ことしも,よろしくおねがいします」

 不自然に聞こえたことだろう。患者の心情をおもんぱかると,お祝いに関連する口上が躊躇われた。

 ところが,そうしたコダワリなど浅谷さんにはなかったようなのだ。

「あけましておめでとうございます。わたしのほうこそ,本年もよろしくお願いいたします」

 いささか考えすぎだったらしいが,ただ気遣いとはそういうものであろう。

「どうですか,気分は?」

「まあまあです」

 正月に小康状態を得ているとはいえ,忌憚なくいえば,この冬を越せるかどうかもあやしい容態である。本人はそのことを,どこまで感じ取っているのだろうか?

「いま夢を見ていました。ナースさんとお喋りしていると,とつぜん先生に呼びかけられ,挨拶をかわす間もなく眠りから覚めてしまって・・・そしたら,いきなり目の前にいらっしゃったので,ほんとにビックリしました」

「ふしぎですね,ぼくも,心のなかで語りかけていましたよ」

「それを感じたのでしょうか? 新年の,さい先のよいスタートですよね」

「そうかもしれませんね・・・」

「わたしの行く先は決まっていますけど・・・せんせいには今年,きっといいことがありますわ」

「・・・」

 返答に窮してしまった。浅谷さんにとってのよいことが,ぜんぜん思い当たらない。

「さっきまで,主人と娘が来ていました。孫娘に・・・来年は,お年玉をあげることもできないのですね」

『なんと愚かしい・・・オレ』

 ・・・見つからなくていいのだ。良さそうなことを短絡的に探しあてたところで,どのようなことも未来に繋がっている。その未来に対して,当人が鈍感であろうはずがないのだから。

「ごめんなさい。ちょっと前まで我慢できていたのに・・・」

 泣いてココロが和らぐのなら,泣けばいい。しかし,そうではないだろう。よりいっそう悲しみが深まるような気がする・・・だからこそ,家族には涙を見せられなかったのではないか。

 向かいあう人は溢れるものを拭おうともしない・・・ナミダは頬と酸素カヌラをつたい雫となってこぼれ落ちた。もはや助言することもできないし,同情を示すことすら憚られる。ただただ嘆息しつつ眺めているばかり・・・まるで真実をうつしだす鏡を見ているようだった。

「きょうは元日ですけど,先生なら来てくださるような気がしていました」

「ぼくも,浅谷さんの顔が見たくなりました」

「あと・・・どれだけ生きていられるのか分かりませんが,こんごとも,どうかよろしくお願いいたします」

「わかりました」

 そう返事したくせに,ふたたび心に念じたことは,冷たいと非難されてもおかしくなかった。

『お迎えがくるその時まで,ありのままに,もがいて生きればいい。その一部始終を,この目におさめておくから・・・』

 

 

 

( 11 - 12 )

 

 12月も中旬になると,浅谷さんの背部痛のぐあいは悪化し,しばしば前胸部の痛みも加わった。しだいにレスキューの使用頻度も多くなってきたので,貼付剤オピオイドの増量をすすめたが,最初は断られてしまった。どうも眠気が強くなって会話ができなくなるのを恐れているらしい。

 私は毎日,二回以上の回診をするように心掛けた。日中はなるだけ診療と関係のないことは話さない。逆に夕方以降に病室を訪れたさいには,原則として診療のことは口にしないようにしていた。

オピオイドを強くしても,心配いらないですよ,眠いときにはあらためて来ますから・・・」

 だれしも疼痛には耐えられない。断られた翌日,浅谷さんはオピオイドの増量を了解してくれた。

 12月下旬,年の瀬も押し迫ったころより,ガン終末期ではたびたび認められる排尿障害があらわれた。泌尿器科を受診して投薬を受けたものの,効果が不十分で残尿も多く導尿の処置をやめられなかった。病室に出向いても眠っていることのほうが多くなってきた。ときどき辻褄の合わないことを喋っている,とスタッフから報告を受けるようにもなった。案の定,食事量が落ちてきたのは言うまでもない。

 尿道カテーテルを留置し,連日点滴をおこない,なんとしても年末年始を乗り切ろう・・・私はそのように方針を定めたのだった。

 つまり容態が著しく悪化し,もう医療カンファレンスを行なえる状況ではなくなったのである。

 

 2010年の締めくくりの週は,雪のふる寒い日がつづいた。

 浅谷さんにとっても,私にとっても,人生最後の師走は寒波とともに終わりつつあった。

 

 

 

( 11 - 11 )

 

 12月の上旬,この時節としては暖かくて過ごしやすい日が多かった。近いうちに寒波が襲ってくるだろうが,いくらかでも穏やかな日が続いてくれたほうがありがたい。さながら浅谷さんの今の病状のようである。

 

「きょう,頚髄損傷のカレが,がんばって退院しましたよ」

 なるべく感情をオモテに出さないようにしていたものの,内心では・・・手のかかる患者から解放されて若干ホッとしていたのは否めない。

「いつ聞いても,退院はおめでたいことですね・・・」

 タイインという言葉に浅谷さんは敏感だった。イントネーションに羨ましさを滲ませている。近ごろ浅谷さんは自分を隠そうとはしない。

「ホントにおめでたいかどうかは,別問題ですけどね」

 私も,つい本音を言ってしまった。性格的にちがうと分かっているくせに,それも・・・相手は不治の病を患っているというのに。

「退院できるのは,いいことに決まっています」

 いささか浅谷さんも向きになって言いかえす・・・素直でない私に抗議しているかのようだ。

 

 頚髄損傷の患者の行く末はどう考えても悦ばしいものではない。

 誤嚥性肺炎をくりかえし,いずれは経管栄養も中止せざるをえなくなるだろう。身の回りの世話をしてくれる姉だって病気モチのようである。経済面での不安も少なくない。事態は深刻になる一方なのだ。それでも,お迎えがくるその日まで生きていなければならない。

 退院が決まったとき,単刀直入に訊いてみた。

「いま,楽しいとおもえることはあるかね?」

「・・・あるわけないよ」と,彼はそっけなく返答する。

「死にたいとおもうときは?」

「それはない。まだ,死にたくない」

 きっぱりと言い切られたのが予想外であった。多少は,死をねがう気持ちがあるものと考えていたから。

 煎じ詰めれば,人間というものは如何なる境遇であっても慣れていける,ということか。慣れないオノレが愚かなのかもしれない。 まあ今の時点では,慣れないはずだと想像しているに過ぎないのであるが。

 

「浅谷さんに訊いてみたいのですが,万一寝たきりになったとしても,生きていたいですか?」

「生きたいです」

「だれかの世話にならないと,生きていけなくても?」

「助け合って,人は生きているのです。わたしが寝たきりになっても,だれかが世話をしてくれる世の中を望みたいと思います」

「わかりました」

「それと,頚髄損傷のかたのオハナシを聞いていて,最近,思い出したことがあるのですが・・・」

「病気に関わることですか?」

「はい。たぶん今年の3月だったとおもいます。NHKスペシャルで,閉じ込め症候群について放送していました。先生は見られましたか?」

「すみません,テレビは,ほとんど見てないので・・・」

「たしか,エー・・・」

「エーエルエス

「そう,その病気です」

 ALS,筋委縮性側索硬化症のことだ。進行すれば,四肢麻痺の状態から呼吸筋麻痺を合併し,人工呼吸器管理が必要となる疾病である。

 四肢麻痺という点では頚髄損傷と似ているが,ALSは進行性であり,末期には閉じ込め症候群という病態におちいる。すなわち,眼球運動と瞬き以外にコミュニケーションの方法が断たれ,まるで意識が閉じ込められたような状況になってしまう。

 人工呼吸器を装着してからも病状がすすみ,さらに眼球運動も麻痺してしまえば,意思表示はまったく不可能となり,完全に閉じ込められた状態に至るといわれている。

「どういう内容だったんですか?」

「人工呼吸器を使用している患者さんが出ていて,完全な閉じ込め症候群になってしまったら,呼吸器をはずして死なせてほしい・・・そういう要望にかんすることがテーマだったとおもいます」

「それは当然の権利でしょう。その人も家族も希望すれば,病院も合意するはずです」

「けれどテレビでは,閉じ込められたとしても,生きて存在していることに意味がある,という意見がありました」

「そうかもしれませんが,当の本人が感じないことには,それこそ意味がないでしょう。ただただ,苦痛なだけだとおもいます」

「わたしなら,生きていて欲しいですけど・・・先生のお考えは,かなり違いそうですね」

「そうみたいですね。でも,いいんですよ,浅谷さんは浅谷さんで」

 

 閉じ込め症候群の患者を・・・神経難病ではないにしても,私はこれまでに一人,主治医として診療したことがある。

 ある日の夜,脳外科と神経内科の混合病棟で働いていた裕子が,めずらしく入院患者のことを語りだした。

「いま病棟に,52歳の女の人が,脳幹出血で入院しているんだけどさあ,手足が動かなくて・・・めちゃくちゃ可哀そうなのよ」

「ふうん,そうなんだ・・・」

 べつに珍しいことではないだろう・・・って感じで,私は答えた。

「閉じ込め症候群,って知ってる?」

「あぁ,診たことはないけど,知ってるよ。学生のとき習ったから」

 その女性は意識が回復してほぼ清明であるらしいのに,四肢麻痺および球麻痺があって,開閉眼と眼球運動のほかには何もできない状態とのこと。

「その人のケアをしていると,痛ましくて見ていられないわ。自分の意思を伝えられないなんて,どんなにつらいことかしら?」

「助からないほうが,良かったかもな・・・」

 最終的に神経学的所見の改善はみとめられず,気管切開および胃瘻造設をおこない,患者は寝たきりのまま転院になったと裕子から聞いた。

 

 それから半年後のこと。

 喘息状態の急患が救急センターに搬送され,担当医が心不全と診断,その日の循環器オンコールが呼び出されることになって・・・私はすぐに駈けつけたのだった。

 着いてナースから,閉じ込め症候群の患者であると告げられた。病歴を聞くなり,ハッと思い当たる・・・あわててカルテを確認すると,いつか裕子が語っていた脳幹出血の女性に違いなかった。

 おもうに高齢の患者であれば,そのまま療養型病院で治療を受け,救急センターに運ばれることはなかったのではあるまいか。52歳という若さが母親と娘をして救急指定病院での加療を決断せしめたのだろう。

 そこが,まさに生死の分かれ道となった。運命のイタズラとは,ときに過酷なものだ・・・いい加減にしてくれ,って叫びたくなる。

 

 精査をすすめていくと,不整脈がらみの心不全は鉄欠乏性貧血が大きな要因と考えられ,上部消化管内視鏡検査を施行して出血性胃潰瘍と診断された。

 経管栄養の中止,点滴と輸血,薬物治療などにより呼吸困難はすみやかに改善され,また誘因となった胃瘻カテーテルの交換も行なった。

 これで治療は終了したようなもの。で,はたと思った・・・生きているのも辛いだろうに,女性は本当に助かりたかったのであろうか?

 転院していなければ,容易そうな治療であっても順調には進んでいかなかったことだろう・・・有効な治療がなされなかった場合,ひょっとすると絶望の日々から解き放たれ,あの世へ旅立っていたかもしれないのである。

 患者と会話はできないものの,意思の疎通はわずかに可能であった。回診のさいには,こんにちは・・・と挨拶をすると,女性は瞬きをなんども繰りかえす。それを見て,やはり分かるんだと認識を新たにし,いくらか対話を試みようという気にもなった。

 しかし,思いのやりとりは想定をはるかに超えてむずかしく,時間的な余裕があったとしても文字盤でも用いないかぎり不可能にちかいことだった。

 症状がよくなってから・・・女性は瞬いたあと,眼球を必死に動かすことがあった。読み取ろうとおもっても,眼の動きだけでは皆目見当がつかない。当てずっぽうで問いかけても,違うのか違わないのか,それすら分からないといった始末。

 コミュニケーションの手段,たとえばホーキング博士の使用しているような意思伝達装置を提供することができれば,伝達の見込める世界がある程度広がるであろうが,それには周りの人々の協力と多大なる出費が必要である。とても実現できるようなことではない。私にしたってボランティアの精神を持ち合わせていないから,文字盤相当のものを準備することさえ躊躇われた。

 仮に・・・意思疎通がはかれるようになったとしたら,いったい患者はどのようなことを告げたいであろうか? 考えれば考えるほど,生き長らえるのは地獄であって,死なせてほしいと懇願するとしか私には思えなかった。

 

 ところが,ある出来事が入院中におこった。

 退院予定の前日は,女性の53歳の誕生日であった。もちろん私は気づかなかった。ふつう患者の年齢を記憶しても生年月日までは覚えていないものだ。

 午後になって病棟へ行くと,いきなりナースに白衣を強引に引っ張られてしまう。

「なっ,なんだよ!」

「先生もこっちへ来て! はやく早く!」

「待てよ,やることがあるんだ・・・?」

 むりやり連れてこられたのは女性の病室・・・この日勤務しているナース全員が集まって,患者のベッドを中心に輪になっている。その輪に投げ込まれると,だれかが合図の声を発した。

 みんなが一斉に歌いだす。

「ハッピィー・バースディ・トゥー・ユー・・・」

 しかたない・・・まわりに合わせ,小さな声で気分を乗せてみる。わるくない心持ちになって,いい調子になりかけたときコーラスが終わった。

「53さい,おめでとう!」

 祝福の言葉と拍手に包まれた,ピクリとも動かない寝たきり患者。ナースたちの気持ちは果たして伝わったのかどうか?

 そのときだった・・・やや左を向いている,喜怒哀楽のマスクをことごとく剥ぎ取られた,のっぺらぼうな顔に異変が起きたのだ。

 左の目尻から筋をえがいてナミダがながれ,頬のところで粒となって枕に落ちていく・・・ダイヤモンドの雫のように。

 女性は顔の向きも変えられない。反対側の目頭には湖ができあがり,鼻のほうへ溢れだした。むろんのこと自分では拭うこともできない。

 ひとりのナースが近寄って,こぼれる泉を拭きつつ耳元でささやいた。「お誕生日,おめでとう! わたしたち,みんな,仲間だからね」

 患者の涙腺はいつまでたっても締まりそうにはなかった。

 

 その人の顔には一切の表情がない。いや表情を作れない。そのため,よりいっそう衝撃的だった。

 無表情の仮面から溢れ出てきたナミダは,砂漠で見つけたオアシスのごとき希望と感動を与えてくれたのだ。

 ・・・あれほど純真なものはない。その源には感謝のこころ以外に何があるというのだろうか。

 

 次の日の午前中,病棟から呼び出しがあった。搬送に民間救急を利用していたので時間的余裕がない・・・検査を中断して階段を駈け上がった。

 元の病院へもどるため,患者はストレッチャーのうえで,相も変わらず能面のような顔をして待っていた。

「さようなら・・・元気で!」

 別れを告げると,女性は瞬きをして眼球を幾度となく上下させた。

 いつもは見えてこない心の内が,そのときは見える気がした。きっと『ありがとう』って声を振り絞っているんだ!

 ストレッチャーが動きはじめると,疲れ切ったように患者は眼を閉じたのだった。

 

 特集番組のことを聞いて,永遠に自己という檻に閉じ込められた女性の涙を思い浮かべた。閉じ込められても,なお流せる感謝の雫があるのだ。そして,先日と同じところに帰着するよりほかにないのである。

 人間は・・・かならずや,環境に慣れていけるということ。

 慣れることに限界はないのだろう。たとえ地獄にあっても可能なのだ。あの潤んだ目がそう教えてくれた。

 だからといって見誤ってはならない。現実を直視してみるがいい。当人が受け容れない,あるいは受け容れられない場合だってあるのだ。

 慣れられるかどうか・・・それは結局,本人が受容できるか否かにかかっている。しかしながら,自己と環境の問題は単純ではない。時間とともに双方とも変化しながら互いに影響しあうからである。

 畢竟,これは当事者だけが,生きている境遇の中でのみ答えを出せること,議論すべき事柄ではない。ただし,孤独に押し潰されないためには,共に生きているという実感が不可欠であることは疑いようもない。要するに・・・外の世界と,どのようであれ何らかの形で,コミュニケーションがとれていなければならないのである。

 くわえて切なくてやりきれないこと。受け容れようが受け容れまいが,人間にかぎらず・・・ありとあらゆる生命体は,臨終のそのときまで生きていなければならない。

 

 いまの,わが心境を明かしておこう。

 私が自死を選択する所以は,そう遠くない将来において,現在のバランスが崩壊してしまうことに耐えられないからでもある。

 環境には何も望みたくない。必然的に,私が自己に求めるものは一般的ではない。そうした中で特異な均衡を保っている。

 今後,このバランスを保てなくなるとき,私は生きるために異なる均衡を求めるだろうことは明白だ。

 様々なことを犠牲にして今のバランスがある。この均衡にあることが,私のすべてと言っても過言ではないだろう。それは取りもなおさず次のことを意味する。

 バランスを失ってしまったら・・・そのときは,もはや私とはいえない!

 それにしても・・・この資質ばかりはどうにも説明しがたいものだ。

 

 私といえる自己と環境のバランスが保たれているあいだに,私でなくなる可能性の芽を・・・じつはそれは己れ自身なのだが,どうあっても摘んでおかねばならない。

 

 

 

( 11 - 10 )

 

 人は死のうとするとき,その前に自己の原点を訪ねてみたくなる。その原点とは何なのか? わたしは漠然と尾山神社にあると思っていた。それは若き日の失恋に関係があることは疑う余地がない。しかし,なんとなく釈然としないものがある。

 

 12月5日の日曜日,裕子は朝食もそこそこにして日勤に出かけた。

 雪のふる前にぜひとも出向かねば・・・と気にかけていた私は,午後になって尾山神社にひとり向かった。

 

 神社の裏手,旧丸の内通りにある有料パーキングに車を止めた。そこから通りに面する東神門まで,あたりを見回しつつ歩みをすすめる。

 大学キャンパスが移転したのち,金沢城は順次復元改修されて,この通りからの眺めはモノのみごとに一変した。過ぎし日のような豊かな森のイメージはない。合同庁舎前交差点から望まれる風景も様変わりし,まったくといえるほどに往時とは異なっている。

 目を凝らす・・・めまぐるしく環境が変化するなか,東神門はかつてのままそこにあった。

 高校生のとき,この東参道の裏門より神社に入り,庭園のまえで頑なに閉じこもって時間をやり過ごし,そのあとは北参道へ抜けるのが常だった。当時の兼六園は無料で出入りできたのであるが,市民や観光客など大勢がたむろしていて好きにはなれなかった。また時間もかかり過ぎる。それにくらべ,尾山神社は人もまばらで通るのも楽であった。

 東神門で立ち止まり,一呼吸して境内に足を踏み入れる。

 胸の奥で,うずうずしているナンともいえない気持ちを抑えねばならぬ。忘却のかなたで星屑になっても煌めきを失わない,無二の知己に再会できるという歓喜・・・そのピカイチの楽しみは最後までとっておくにかぎるだろう。

 神苑と称される庭園・・・わが親友を横目に見やって通り過ぎる。

 いやに建立物が増えているとおもう。どれが昔ながらのものなのか,たやすく分かりそうで,やがて判断がつかなくなってしまった。

 拝殿正面をのぼっていき,百円玉ふたつと五十円玉ひとつを賽銭箱に投げ入れる。小銭はこれだけだから・・・と陳腐な言いわけをして参拝した。ガラス戸越しの拝殿内では偶然にも御祈祷がおこなわれていた。

 神門をくぐって表参道へ。

 周辺一帯がきれいに整備されていて,距離は長くないもののオモテと呼ぶにふさわしい趣きがあった。なかでも目についたのは,参道の両脇にならんだ金色の幟ならぬ衝立みたいなもの・・・金屏風を模したパネルで,夜にはライトアップされるらしい。

 さて,そろそろ戻るとしよう・・・久々に,あそこへ行くのだ。

 

 池のまえでじっと佇んで,まっすぐ神苑と向かいあう。

『変わらない』・・・と思った。

 ・・・オレは変わってしまったが,神苑は変わっていない。むろん細かい部分では変わったところもあるのだろうが,あのころの雰囲気がそこはかとなく漂っている。

 真冬が到来する直前,紅葉の名残りをとどめるこの時節も,近ごろの心境にはちょうどふさわしい・・・七五三もおわり,境内はモノ静かであった。

 ・・・苑内の樹木は,当然ながら前よりも生い茂った気がする。 池に突き出して設けられた藤棚は,いまなお見事というしかない・・・が,落葉しているハンデを考慮しても,以前のほうがスマートだったかな? 生長し過ぎたのかもしれない。 根元の幹の太さといい,こみいった捩れ方といい,ずいぶん年輪を重ねている証拠なのだろう。

 その藤棚の手前,すこし左寄りに,石の縁台がある。そこに座ると,眼前に池がひろがり,すぐ右手に藤棚が見える構図となる。

 失恋して以来,尾山神社を通り抜けることはあっても,一度としてこの縁台に腰掛けたことはなかった。初恋の女性と並んですわったあの日から,まこと35年の時を経て,今ここに座してみる。

 なんという,懐かしい眺めなんだろう!

 ・・・難をいえば,むかしはもっと視界が開けていた。縁台と池のあいだに木々が育って邪魔をしている。

 どっぷり甘酸っぱい追憶に浸りたい,そんな気分だった。ところが,意外なことに,ぜんぜん異なった感慨を禁じえないのだ。

 込みあげる思いとともに胸に去来するのは,彼女のすがたではない!

 ・・・限られた自然と対峙し,そのなかに何かしら安らぎと真実らしきものを感じ取り,現実とも真摯に向きあった若かりし頃のオノが幻影ばかり。

 ウソではない,ホントに,ふたりで座ったのだ。

 ・・・有頂天になったのも昨日のことのように覚えている。されど,今となっては,命より大切であった人に心ときめくことはない。 ただの遠い日の一コマに過ぎなかった。

 

 神苑がわたしに深くかかわったのは,振りかえってみると・・・恋にかんしてではない,孤独にかんしてだ。

 ここで思索に没頭し,たとえ独りであろうとも,だれをも恨まずに生きぬく力を身につけた。それこそ真に,私の原点といえるものである。

 その後に味わうことになった失恋は,わたしを否応なしに閉ざされた世界へと導いて,そこから新しい生きザマがはじまった。失恋がなければ,孤独をきわめる道はありえない。人生の一大事は,まちがいなく私の運命を決定づけたのである。

 新しい道のはじまりは,原点のおわりを意味する。

 失恋は原点のおわりであったというのに,なぜか原点そのものであるかのように記銘されてしまった。孤独の象徴であった神社は,あやまって悲恋の象徴としてのみ記憶に残ってしまったのだった。したがって核心の部分が欠落したまま,恋にやぶれた悲劇だけが神社と一体化し,記念碑のごとくココロに刻みこまれたのである。

 ようやく蟠りがなくなって得心がいく。

 ただ不思議におもえるのは,あの日のことを想い返しても,ココロがいっこうに揺れ動きそうにないこと・・・あまりに醒めていて,恋に一途だった過去の自分がいつわりに思えるくらい。愛を捨てた結果でもあるだろうが,おそらく真子のせいなのだ。でも余分なことは考えたくない。

 

 尾山神社神苑は・・・孤独な精神をはぐくんだ私の原点である。

 大学生になると,気が滅入ったときなど海をたびたび見に出かけたが,若年の私にとっては神苑が海だった。

 その神苑という海には,わたしが私となる以前の,かけがえのないオモイデが鎮められている。それは・・・青春と呼ぶには早すぎる頃の,純なココロで愛してやまなかった命がけの初恋・・・なのに,実をむすぶことなく散ってしまった悲恋のこと。

 あの日,彼女とふたりで訪れて,神苑と相まみえた。

 ゆえに・・・神苑は知っている! わかき日の恋に悩めるわたしとその相手のことを。

 いうなれば・・・神苑こそは,わたしがまだ青いままに女性を愛した,この世に存在する唯一無二の証しなのだ。

 ところで失恋は,未熟な若さにトドメの楔までも打ちこんで,人生行路における一大転機となった。それ以降,わたしは孤独を意識して自らの道を歩みはじめる。

 そういう経緯があって,神苑は海であると同時に,あたかもモニュメントのような形で私のなかに存在しているのであった。

 

 本物の海を見るようになって思ったこと。

 山は・・・肉体のシンボルであり,海は・・・精神のシンボルである。海のつねに流動してやまない本質は,精神とよく似ている。

 海を眺めてココロが洗われるのは,疲れて凝り固まった意識が海に同調して自然に動くからだとおもう。いわば・・・海というものは,魂をマッサージして本来の自在な流れへと導くのであろう。

 神苑の静かな佇まいは,私の心のうちに絶え間ない流転の波を起こさせる。

 

   かつての愛が葬られている

   神苑という名の海には,まぎれもなく

   私の原点がある。

 

 この日の結論だ。これで終わりを告げられるとおもった。

 けれど,解決できてうれしい気持ちと,一歩ずつ終焉に近づく淋しさが交錯して,人の弱さというものを感ぜずにはいられなかった。

 

 縁台から立ちあがる。神苑内を歩いてみたくなった。

 ゆっくり築山をのぼっていく。清らかな滝の流れを見て,なにげなく振りかえった刹那だった。あわてて作り笑いする彼女の顔がおもい浮かんだ。

 そうだ!・・・この道をふたりで歩いたのだ。

 ・・・間違いない。さほど乗り気じゃない彼女の冷めきった顔つきを覚えている。いったい私はどんなことを話したのだろう? 座っても,歩いても,朴訥と精いっぱい語ったであろうに・・・なんにも思い起こせない。

 遙拝所をおりて庭園の中央にかえり,池にうかぶ島へと歩をすすめる。沢渡りと八つ橋を踏みしめる。図月橋をわたる。藤棚を池ごしに眺める。

 はっきりしたのは,あの頃は,ほとんど神苑の中を歩かなかったことだ。いつも縁台にすわり,海と向き合うように見つめていた・・・心のなかで絶えず己れと格闘を繰りかえしながら。

 

 ふたたび縁台のところへもどって藤棚の手前に立った。池には鯉がゆったり泳いでいる。

 鯉よ,おまえは幸せなんだろうか・・・ここで囲われて,いのちは保証されているだろうが,つまらなくはないのか?

 大きなお世話だ,というように鯉はクルリと方向転換した。

 わかった・・・そんなことは関係ない,と言うのだな。この池に,望んで住んでいるわけでもなかろうに,人間より分かっているではないか・・・おまえは,どこにいても,どのような目にあっても,不平も言わずに泳ぎつづけることだろう。

 私も,そのような心境でありたいのだよ。

 タウ・タオ・タイ・・・さあ,これで,おしまいにしよう。

『さらば,オレの原点!』

 

 藤棚を一瞥して踵をかえす。

 拝殿正面で立ち止まり,神社にも別れを告げた。道筋は考えるまでもない,往年を偲んで北参道へ向かう。

 金渓閣を過ぎて北の鳥居をくぐり抜け,真っすぐにすすむと大谷廟所が見えてきた。この敷地内には女子高と定時制高校があったはずだが,現在その形跡をみつけるのは容易ではない。

 当時を回想するうちに,ふと思いだす。この近くに友人の家があった。正確には友人の母親の実家である。祖父の看病のため,友人が母親と移り住んでいた時期があり,私はいくどか遊びに行った。

 記憶をたどって探してみると,周囲がガラリと変わったなかに,その家だけが旧態依然として残っていた。

 いま見ると,古風でなかなか風情のある屋敷だ。親しみがわいて玄関に近づいてみたら・・・表札の名前が違っている。淋しい心持ちになって懐かしさも一瞬のうちに萎んでしまった。周りの状況から判断すると,この家も今後どうなるか分からない。

 神社仏閣は,過ぎ去った時代との架け橋になっているのだろう。いろいろなものが新しくなるなか,旧きを守って現代を生き抜いている。

 パーキングへもどる途中,ゲートで封鎖された甚右衛門坂が見えた。坂道の両がわには樹林が密に生い茂り,むかしの面影を伝えている。心惹かれながら坂の前をおもむろに通り過ぎようとしたとき・・・忘れ去っていた一場面が突然よみがえる。

 あの日,この坂で彼女と別れたのだ。

 

 ・・・甚右衛門坂をのぼってゆく彼女の後ろすがたは,たとえようもないほどに美しくて冷たかった。できれば見ていたいのに,それ以上に振り返らぬ彼女を見たくはなくて,わたしは即座にその場を離れたのだった。

 

 苛立ちをおぼえて立ち止まることなく駐車場へと急いだ。

『もう要らないんだ! きみの想い出なんて・・・』

 

 

 

( 11 - 9 )

 

 あるがままでいいのだ。

 ・・・過つがままに,と言っても差し支えないのかもしれない。その先にしか,真実は見えてこない,良いことであっても悪いことであっても。そして,見えなかったとしても,後もどりすることはできない。

 嵩子と逢ってから,浅谷さんを少しでもいい方向へ導こうとする気持ちは,まるっきり無くなってしまった。

 夕方や夜の回診では,話題に困らないよう医療現場でのエピソードを持ち出した。テーマは入院中の患者さんから頂戴する。

 

 11月下旬,施設に入所中の頸髄損傷の男性が持続する発熱にて紹介され,肺炎と心不全合併のため入院となった。

 年齢は56歳,私と2歳しか違わない。

「三日前に,寝たきりの50代男性が,肺炎で入院することになりました」

「50代で,寝たきりですか?」

「51歳のとき,てんかん発作がおきてトラックの荷台から転落したそうです。運がわるいことに,首を打ちつけて頸髄を損傷し,四肢麻痺の状態に陥ってしまった,ということです」

「あのぅ・・・漏らしてもいいのでしょうか? 患者さんの個人情報・・・」

「この病室では定期的に,特別な医療カンファレンスが開かれているんです。少なくともボクはそのつもりで話しています。名前や病棟を公表したわけでもありませんし,それに浅谷さんが,だれか他の人に喋らなければ不都合は生じないでしょう」

「それなら,わたしも参加します」

「きちんと説明すれば,患者さんも分かってくれますよ。それが,主治医との信頼関係というものです」

 言い過ぎであったが,事実を語って動じる男でもない。「じつは,彼はさまざまな要求をしてくるので,ナース泣かせの患者なんです」

 頚髄損傷の人たちは,見たところ,みな癖のある性格を有している。頭は普通なのに手足を動かせないから,やって欲しいことすべてをだれかに頼まなければならない。そのため世話をする人たちにやたらと注文が多くなり,性質も似かよってくるのである。

「ときどき気に入らないことがあると,ナースにけっこう辛くあたるので,じつのところ困っています。もともとは心根のやさしい人ではないかとおもうのですが・・・」

「せんせいは,その人の味方ですか? ナースさんの味方ですか?」

「両方の味方です」 つい,聞こえのいいことを言ってしまった。ホントはどちらの味方でもない。

「わたしは,いつでも,ナースさんの味方ですよ。彼女たちのお仕事は,とっても過酷ですもの・・・」

「ですが,彼の言い分が正しいというか,考えてみると,ふつうのことを主張しているんです」

「どうも先生は,あちらの味方のようですけど・・・」

「ぼくは,どちらかといえば,ナースの味方ですよ。でもですね,スタッフ全員,病気とか事故とかで重い後遺症に悩まされた経験がないから,頚髄損傷の人の論理がわからない。そのことは仕方がないけれど,分かったような口をきいたあげくに普通人の論理を通そうとする・・・それが許せなくて彼は剥れてしまうんです。きのうもご機嫌斜めになって,身体を触ろうとすると,暴言を吐いて抵抗したみたいです」

「暴言は,いやですね・・・」

「そこなんですよ,浅谷さん。暴言はイヤかもしれませんが,彼はそのようにしか自己主張できない。自分の意思を,どう転んでも行動では示せないから,どうしても口でアピールせざるをえない。ふつうの人なら言葉以外の手段に訴えることもできるし,だいたい問題自体がおきていないでしょう」

「でも・・・暴言はダメです」

「わかりましたが,一応断っておきます。彼は,だれにでも反抗するわけではありません。たとえば,罵詈雑言はいけませんと言うばかりで,その状況をすこしも考えようとしない人に悪態をついてしまうんです」

「それでも,ダメだと思います」

「・・・ダメですよね」

 人生のなかで一度たりとも暴言を吐かない人なんて,この世にどれだけいるというのだろうか・・・凡人として彼のことをもう少し弁護したかったが,浅谷さんは経験から物を言っているのだとおもったから,ここではあえて否定しなかった。

「もちろん,ナースたちにも言い分があります。いちいちまともに取り合っていたら仕事になりませんから。なんといっても女性たちは強い。協力しあって罵倒をものともせず,一気に作業を行なったそうです」

「作業というと・・・」

「きのうは,おむつ交換だったようです」

「シモのほうも,お世話してもらわないといけないなんて,さぞかし惨めで哀しいでしょうね・・・言葉の暴力はいけませんが,そのような気持ちなら分かるような気がします。病気のことは,患った本人しか理解できませんから」

「ぼくも,それが言いたかったんです」

「かわいそうな人なんですね・・・」

「いけない,ずいぶん遅くなりました。つづきは,また明日にしましょう。おやすみなさい」

 

 翌日,帰宅前に浅谷さんの病室へ立ち寄った。

「きのうの麻痺の人なんですが・・・」と,まず浅谷さんに訊ねられる。

「そうでした。つづきをするんでしたね。なんでしょう?」

「じっさい,ナースさんと,どんなことで揉めてしまったのでしょうか?」

「胃瘻からの経管栄養,つまり流動食のことで揉めたんです」

「食事を,とれないのですか!」

「話すことはできるんですが,嚥下障害があって,飲み込みが悪いんですよ。肺炎を繰りかえすので,ことしの夏に胃瘻を造設したそうです。ほかにも膀胱瘻といって,下腹部から膀胱に直接カテーテルが入っています」

「その人も大変なんですね・・・」

「そうなんです。手足は動かせないし,胃腸の神経も侵されているから,便秘になってお腹もよく張ってきます。おとつい彼は,お腹が張っているために,昼の経管栄養の時間を遅らせてほしいと頼んだみたいです」

「それは,遅らせてあげたいですね」

「ナースも彼のために,時間をずらしたんですよ」

「それでは,どうして揉めたのですか?」

「1時間遅れで行なうはずだったんですが,約束の時間になっても調子が悪かったのか,今度はやりたくないと訴えだした。でも,ナースが勝手に中止することはできません。それで本人が嫌がったにもかかわらず,流動食を開始しようとした矢先に・・・あとは,なんとなく想像がつくでしょ」

「抵抗したのですね・・・」

 いっしょにニヤリとして顔を見合わせた。

「彼は大声を出して,すさまじい勢いで騒ぎはじめました。病室には他の患者さんもいるので,とりあえず流動食を止めてから,ぼくのところへ連絡がありました。病室へ行ってみると,たしかに彼はものすごく怒っているんです。顔つきを見て,絶対に説得できないと思ったので経管栄養は中止しました。その代わり,点滴をしましたけどね。たぶん,ぼくらが考える以上に,お腹の張りがひどかったんでしょうね」

「・・・どちらにも言い分がありそうですね」

「そのあとは,きのうも話したとおり,ずっと騒ぎまくってオムツ交換をさせてくれない。放っておくわけにもいかないので,ナース数人が彼のところへ行って,宥めながらも罵声には一切耳を貸さず,すばやくオムツ交換をやり終えた・・・そういうことです」

「やっぱりナースさんは偉いですよね。いろんな患者さんを世話しないといけないですから・・・」

「彼も立派ですよ。その日のことは忘れて,いまはナースたちの言うことをちゃんと聞いていますから」

「ホントですか」

「自らの現実を知っているし,障害者の論理が理解されにくいことも学習しているとおもいます」

「その人のことを,くわしく観察しているんですね」

「どうでしょう? そんなふうに意識したことはありませんが,見ているとなかなか勉強になります。それに,みながいうほど彼がキライではありません。武骨な感じがして,どうみたって素直ではない・・・けれど,そこがいかにも人間的で憎めないとこなんですよ」

「わたしも,先生に見られているんでしょうね」

「ごくフツウに」

「どんなふうに見えているんでしょう?」

「ありのままに・・・」

「先生らしい答えですね」

「ぼくは医者ですが,ガンを患っているわけではありません。いくらガンを患ったつもりで患者さんのことを考えても,どこかしらかならず違ってくるとおもいます。それなら下手に考えないで,浅谷さん自身をあるがままに見て判断したほうがいい・・・頚髄損傷の彼にも同じことです」

「なるほど,そういうことですか」

「口幅ったいことを言うようですが,大病を経験した医者のみが,本物の医師になれるのかもしれません」

 自分のことは棚に上げて偉そうなことを語ってしまった。こんやは,このあたりで止めることにしよう。

 

 

 

( 11 - 8 )

 

 11月13日土曜日,13年ぶりに嵩子と逢う。

 前日の金曜日,準夜勤務の時間帯に入って仕事が一段落したとき,K病院に就職して以来はじめて彼女の携帯電話に接続をこころみた。

 現在のマンションへ引っ越してきたさいのこと。嵩子はレシートを差し出して,わたしのケイタイよ,と微笑んだ。裏には番号が書いてあった。

 それにしても・・・偽れないとはいえ,快く受け取ったにしてはあまりにも薄情すぎる。その後,私から連絡を入れたことは,ただの一度だってなかったのだから・・・流れがあるなら,向こうよりコンタクトがあるだろう,そう安易に考えていた。で,最後に話したのは就職した年の大晦日・・・彼女からの電話だった。

 知らない番号に嵩子が出てくれるかどうか,そもそも相手が嵩子じゃなかったら・・・おそるおそる発信ボタンを押してみた。そんな柄でもないだろ!と気持ちを奮い立たせても,ドクッドクッドクッと脈打つ心ゾウ。

「ハァイ・・・」携帯の主の声を聞いて,一気に不安は消し飛んだ。

「タカコ,おれだよ。わかるか?」

「わかるわよ,あなた・・・やっと,かけてくれたのね」

「あぁ,やっと電話したよ」

「どうしてるかな・・・って,近ごろ思ってたわ」

「おれも,気になることがあって・・・急なハナシでわるいんだけど,あした逢えないかな?」

「あした?」

「そう,おれは,あしたが都合いいんだけど・・・」

「いいわ。どこで待ってればいい?」

「13年前に入った・・・あの駅前のホテルは,どうかな?」

「えぇ,いいわよ。時間は?」

「午後1時ごろ,ロビーで。 よかったら,いっしょにお昼でも食べようか」

「わかったわ」

 

 約束の時刻になる10分ほど前から,喫煙ルームで一服していた。そこへ携帯が鳴った,というかバイブが作動した・・・嵩子からである。

「もう着いてる?」

「あぁ,タバコ吸ってる」

「はやく逢いたくて電話しちゃった。どこにいるの?」

「喫煙ルーム」

「どこにある?」

「トイレの横あたり・・・」

「わかった。すぐに行くわ」

 2本目を吸い終わっても彼女は現れなかった。おそらく場所が分からないのだろう。タバコを消していると,さいど携帯がバイブする。

「どこにいる?・・・わからないわ」

 煙りのたちこめる小部屋を出ると,耳にケイタイをあてて立っている女性が目に入った。

「おれが,そっちへ行くから・・・」

「ありがとう」

 そっと近づきながら「ここだよ」と携帯にささやく。すると,その人があたりを見回した・・・やはり嵩子だ。もういちど繰りかえす。「こ~こ」

 振り向いた女性は,なつかしい笑みを浮かべた。

 

 30階スカイラウンジへ行く。

 午前中に予約を入れたとき,窓ぎわの席は空いていないと断わられたが,御用意できましたのでと丁重に告げられ,海がみえる窓側の左端テーブルへと案内された。

 ランチセットとノンアルコールビールを頼んだあと,嵩子が語りはじめる。

「隣のテーブルだったのよ,13年前・・・あなたは覚えてる?」

「そうだったかな?」

「あなたは考えてばかりだから,下らないことは頭に入らないのね」

「大目にみてくれよ,窓ぎわに座れたのはラッキーなんだから・・・」私の関心は他にあった。「タカコは,まえよりも,いちだんと若くみえるね」

 顔はふっくらして,表情も明るくて,とても48歳には見えない。

「ありがとう。あなたは・・・やっぱり,渋い!」

「ちがうだろ・・・老けてるのさ」

「あら,わたしには,全然そうは見えないわ」

 オードブルが運ばれてきて,ビールがグラスに注がれるのを待つ。ボーイが去ってから,再会を祝して乾杯した。

「元気にしてたか?」

「うん,以前より元気かも。あなたは?」

「年を重ねるって,たいへんだよ。このメガネも遠近両用さ」

「わたしもよ! 最近,老眼が入ってきてる」

「それはうれしいね。すこしでも,おれに近づいてくれ」

「いくら近づいても,年の差は変わらないわよ」

「いつまでたっても6歳ちがいか・・・なんとも悲しいね。タカコは,もう師長クラスだろ?」

「わたしは主任・・・そうね,やりたいわけでもないのに,役職が付いてまわるんだから」

「そういえば,職場は・・・勤務先は,変わってないのか?」

「あの病院のままよ・・・」

 彼女は向きなおり,あらたまった顔でたずねる。「どうして,きのう電話くれたの?」

「どうしてって・・・」

 はたと言葉に詰まってしまう。嘘をつく必要はない。「おまえが,呼んでいるような気がしたんだ」

「・・・むかしは,いつも呼んでいたわよ。だけど,ぜんぜん連絡がなかったから。ケイタイ番号の・・・あのメモだって,どこかに失くしちゃったんだろうとおもって,半分あきらめてたわ」

「ケイタイは好きにはなれないけど,不便さには勝てなくて,ミレニアムの年に買ったんだ。タカコの番号はちゃんと登録しておいたさ」

「電話してくれても,おたがい,どうすることもできなかったけどね・・・」

 因縁には逆らえっこない,とでも言いたげな口調だった。

『わたしの中から,あなたを消して!・・・おねがい』

 ・・・唐突として,追想の中から嵩子の声が目覚めた。あのころの嵩子は生きる意味を私に求めていた。だが,いま目の前にいる嵩子はちがう。私という人間に苦しんだ面影は微塵も感じられない。

『嵩子は変わった』

 もはや,私の知っている嵩子ではないのだ・・・安堵に混じる一抹の淋しさが,過ぎ去りし日の様々なシーンを想い起こさせる。

 料理が運ばれてきた。

「年をとったら,魚料理がいいね・・・」

「あなたは前から海鮮が好きだったわよ」

「そうか・・・じゃ,このごろ,さらに好きになったみたいだ」

「うん,かなり美味しいわ!」

 さりげなく訊いてみる。

「タカコは結婚したのか?」

「ううん,してないわ」

「いまもひとり?」

「まえに話したヒトと,いっしょに住んでる」

「整形外科のドクターと?」

「よく覚えているのね・・・」

「当たり前だよ」

「あなたは?」

半同棲ってとこかな・・・」

「だれと?」

「いまの病院のナースと・・・」

「へー,いくつのひと?」

「41歳かな」

「変わらないわね・・・」

「どういう意味だよ」

「女性にもてるってこと」

 沈黙をはさんで料理を食べ終えた。それから皿が片づけられるのを待って,ふたたび喋りはじめる。

「タカコには,おれは,もう要らないんだろうな」

「なぜ?」

「そう感じるから・・・」

「わたしは,あなたのことを忘れたことはないわ,いつの日も・・・」

「・・・」

「あなたと逢っていなければ,今のわたしはないし,あの約束がなければ死んでいたかもしれない・・・」

「約束?」

「この場所で・・・」

『ここで?』

「わたしが逢いたくなったら,また逢ってくれるって・・・あなたは,答えてくれたわ」

 あのとき,確かに『もちろん』と返事をした。しかし私には,約束という自覚はカケラもなかった。

「あなたの言葉を・・・どんなときも信じていたわ。あなたが約束してくれたから,いざとなれば,かならず逢える・・・そう思えた。だから,逢えなくても耐えられたのよ。あのころ,あなたとの生活に疲れていたし,なによりも報われる生活が欲しかった。それで気がついたら,あの人と生活するようになっていたわ。たぶん,お互いが必要としていたのね」

「どうして結婚しないんだ?」

「あの人は離婚していないから・・・これからも,籍を抜くつもりはないみたい。わたしも結婚にこだわる気は,まったくないしね」

「まわりの人は,同棲してることを知っているのか?」

「うん,知ってる」

「それはいいことだ・・・」

「あなたこそ結婚しないの?」

「おれに,結婚はありえないさ!」

「なんにも変わってないわね」

「タカコは変わったよ」

「そうね,変わらなければ,生きていけないもの・・・」彼女は,ふっと遠くを見つめた。「出逢ったころ,あなたからアドバイスを受けたわ・・・いまでもときどき思いだすの」

「なんて?」

「年齢を・・・横にではなく,縦に比べてみることだって」

「意味不明だな・・・」

「同年齢の他人と比べないで,自分を年ごとに比べて成長しろ,ってことかしら。 記憶にないの?」

「・・・そんなこと,言ったかな?」

「まちがいないわ! はっきり覚えているもの」

 彼女のためだったのか,それとも自らのことであったのか,どちらかだと思うけれど,今だったら言わない文句だろう。

「忘れてしまうなんて,いかんね・・・とにかく,タカコがいい感じに変わってくれて,安心したよ」

 オレが死んでも,嵩子は大丈夫だ。それが変わった意味なんだ,と思った。

「あなたは,分かっていない・・・」

「ん・・・」なにを?

 デザートが運ばれてきて会話は中断した。

 窓の外を見やると,上空に黒ずんだ雲があって,もう先ほどまでの海は見えない。つぶさに見ると・・・遠くのほうは靄ですっぽり覆い隠されていた。

 ・・・靄は内陸に向かって景色を飲み込んでいる。いずれこちらにも迫ってくる勢いだ。ポツリポツリと雨粒が窓をやさしく叩きはじめる。すると,いきなり稲妻が走り雷鳴が轟いた。

 ・・・みるみるうちに景色が霞んでいく。それどころか,つぎの瞬間には県庁舎ビルが消えてなくなった。かろうじて近くのビルが霞みのなかに滲んで見える。そのような変化の中にあっても,ラウンジは驚くほど静かだった。なにが起きているのか,一瞬わからない。

 外は・・・大雨なのだ。

 降らない処から眺めると,雨は・・・霞みに見える。くわえて風は海に向かって吹き,ために窓を打つ雨粒は案外に大したことがなかった。それらが状況を分かりにくくしていたのである。

「急に,降ってきたな」

「すごい雨だわ・・・相変わらず,大雨男ね」

「大雨はないだろ」

「だって,この雨はフツウじゃないわ」

「・・・たしかになぁ。おれは,尋常じゃないのが好きかもしれんな」

「やっとわかったの」

「そうさ。一番大事なことは,最後にならないと分からないんだ」

 人間,生まれ落ちたときから,もっとも大切なことを分かっていれば,人生は違ってくるだろうに・・・。

「・・・ほんとね」

「さっきのハナシだけど,なにを分かっていないって?」

「いいのよ,べつに気にしなくても」

「そう言われると,よけい気になるさ」

「わたしにとって・・・あなたは,まったくの特別なの」

「いまでも特別?」

「・・・もっと特別」

「よくわからないなぁ」

「言わないといけない?」

「教えてほしいんだ。タカコにとって,おれは,どんな存在なんだろう?」

「今のあなたは・・・天皇みたいな存在」

「・・・」

「わたしの,生きている象徴よ」

 

 デザートを食べ,コーヒーをお代わりし,しばし雨脚が衰えるのを待った。その甲斐あって勘定を済ませるころには小降りになっていた。

 かえりのエレベーターに,ピッタリくっつきあい肩をならべて乗りこんだ。目を閉じると,駆けだし時代のふたりにタイムスリップする・・・こっそり若かりし彼女に口づけをした。

『さよなら,嵩子』

 目を開けてビックリ,まるで頭のなかに思い描いた情景がそのまま続いているかのように,彼女の笑顔が真横にあったのだ。

 ここにいる嵩子は,いかにも自ら力強く生きている。しかし,暇乞いしないで別れるつもりだ・・・天皇と聞いたからには,なおさらのこと。

「きょうは,わざわざ逢いにきてくれて,ありがとう」

「わたしこそ,ありがとう。あなたに逢えて,ホントによかった。なんとかして,一度だけでも逢わなくては・・・って思ってたから」

「おれもだよ」

「でも,これで終わりじゃないでしょ?」 感づいているのか?

 ・・・それはないだろうが,肯定すればウソになる。かといって,否定して気づかれたくはない。それに否定してはならない。嵩子が変わったとしても,過去の傷痕は消えることはないのだ。それと・・・彼女のなかのオレも。

「いつか・・・また逢おう」

「いつか,きっとね!」

「ああ,そのうちに・・・」

 ロビーで嵩子を見送った。彼女は金沢駅への連絡通路に向かっている。西口のパーキングに車を止めてあるという。じっと見つめていたら,生き生きとしたうしろ姿にT病院での忘れられないシーンが重なった。

 ・・・デートの約束をして足早に去っていった22歳の嵩子。あれから,四半世紀の歳月が流れたのだ。

 彼女がこちらを向いて手を振った。私も左手を小さく振ると,嵩子はたちまち視界から消えていった。

『すまない・・・タカコ』

 

 もう,逢うまい!

 迷いはなかったけれど,割り切れない情念が,心のいたるところに渦を巻いていた。ナンだろう・・・やけ酒でも食らいたい気分だ。

 ホテルを出て,やみくもに歩いた。だが,どこまで行っても,モヤモヤとした気持ちは収まりそうにない。

 ・・・いつかと同じではないか。ナニカが狂っている。

 それから30分ちかく歩いたであろうか,ココロの隅のほうに小さな綻びを見つけた。そこを丹念に調べると,内側から糸が切れていたのだ。直そうとして手が止まる・・・どう綻びを縫い合わせても,あげくの果てには破れてしまいそうな気がしてならない。

 耳を澄ましてみる。かすかに叫び声が聞こえた。

『タカコを不幸にしたのは,おまえだ!』

 声の出所を探っていくと・・・それはなんと,独りを貫くためにとっくの昔に斬り捨てたはずの,死にぞこないのタマシイであった! 威圧感のある低くて鈍い独特な音声を響かせる。

『彼女は,おまえという存在の犠牲者なのだ!』

 そいつの中に信じられないものを,カイマ見た。いまだ絶え果てぬ,飽くなき生への執着・・・それが糸の切れた原因だったのである。

 もっと生きるべきだ! という生命のうねり。

 私のことを,生きている象徴だと,嵩子は明言した。ならば嵩子は,私が遺棄した魂の象徴ではないか!

 ・・・そうであるからこそ,深淵に封じ込められた共生の魂は,彼女の内面に触れて息を吹き返し,大きく揺さぶられて共鳴した。

『おまえは,未来永劫にわたって,嵩子と共に生きつづけなければならぬ』

 ・・・良心の呵責にも似た心情とひとつになって,孤独の暗闇を照らそうとしている。

「ふう~」と,大息をついた。

 なんてこった・・・立ち止まり,天を仰いだ。空には黒い雲がふたたび広がりつつある。いっそのこと,このまま雨に打たれてしまいたい。

 ・・・さっきみたいに,土砂降りになるがいい。

 そう願ってみた。そしたら,天も捨てたものではない,ぽつりと顔に雨粒が落ちてきたのだ! ホテルの駐車場へ引きかえす。途中で望みどおり大雨になった。

『おまえなんか,ずぶ濡れになってしまえよ!』

 ものすごい雨しぶきのなかを,わざと勢いよく歩いた。気がつけば笑みがこぼれ,ときおり大笑いする自分がいた。

『今しがたの迷いも,なにもかも,洗い流されてしまえばいいんだ!』

 やがて体温が奪われ,昂ぶった神経も鎮まってくる。そのときになって,はじめて気づいた。

 罪は・・・けっして洗い流されない! 生きているかぎり,消え去ることはないのだ,と。

 詰まるところ,完全に無くしてしまうには,オレ自身が消滅してしまう以外に手立てはないということ。

 

 心というものは本人に合うものへと流れていく・・・嵩子と捨てたはずの魂によって内奥を激しく揺すられたが,結局は自らを裁くのがもっとも納得できる道であった。生きて責任を果たすことを拒否しているのではない。己れの命を犠牲にできないことが,なんとしても許せないのだ。

 きょうという日に嵩子と逢って,ことの真相が分かった。彼女がオレを呼んでいたのではない! 逢わなければならぬ理由はオレのほうにあったのだ。それが,なんと結末を見定めることだったとは。

 まさしく浮き彫りになったオノレの・・・罪と罰

 

 午後7時ごろ,裕子が勤務を終えて帰宅した。

 その夜,昼間のできごとの余波を,オレは無言のまま平然と裕子の身体にぶつけた・・・さらなる独善を自覚しながらも,オノが生きんがために!

 

 

 

( 11 - 7 )

 

 10月26日の昼前,浅谷さんは呼吸困難と全身倦怠感を訴えて救急センターを受診した。38.0℃の発熱と血液検査で細菌感染の所見がみとめられ,胸部X線では明らかな肺炎はなかったものの再入院してもらった。

 抗生物質の点滴で症状は改善したけれども,前回の入院に比べると精神的な落ち込みは歴然としていた。その根本的な要因は在宅療養の不安にあると思っていたのだが,どうもそうではないらしい。

 浅谷さんの顔つきは暗くて厳しい・・・ふたたび死の恐怖に怯えているようだった。また疼痛コントロールも十分とはいえず,薬物療法を再検討する必要性に迫られた。

「なんでもいいですから,もうちょっと効く薬をもらえませんか」

 以前から睡眠薬を処方していたが,今回より抗うつ薬を追加し,ほかにオピオイドローテーションを行ない,あとあとのことも考えてオピオイドを貼付剤に変更することにした。

 

 切り替えた日の夜,病棟からケイタイに電話がかかってきた。

「先生,浅谷さんが変なんです。部屋回りをしていたら,床に坐っているところを見つけたので,ベッドへ誘導しようとしているんですが・・・はげしく抵抗して触らせてもくれません。どうしたらいいでしょうか?」

「よく分からんな・・・」

「いくら説明しても,首を振って嫌がるばかりなんです」

「わかった。今そっちへ行くよ」

 車を飛ばし,着替えずに病室へ入った。すると,浅谷さんは床に坐ったまま眠りかけている。むろん酸素のカヌラはつけていない。

「浅谷さん,ベッドへ戻ろう」

 と声をかけ,右腕に手をかけた瞬間,閉じていた目をかっと見開き,私の左手をいきなり振り払った。顔をのぞきこむと・・・眼は虚ろで,焦点が定まっていない。かつて同じ眼を見たことがあった。嵩子の異状発作のときだ。

 押さえ込んで鎮静剤を注射する方法もあったが,何もしないで様子をみることにした。このあと睡眠薬がもうすこし効いてくるはずである。

 しばらくしたら,案の定,浅谷さんは床に倒れこんで眠ってしまった。夜勤のナースと力を合わせて4人がかりで患者をベッドへはこんだ。

 それぞれが各自の持ち場へともどり,私はポツンと病室に残された。連絡をとったので娘さんが来るという。

 いまは安らかに眠っている浅谷さんの顔を見ていた。

 ・・・ついさっき目の前で繰り広げられた異常事態は,薬物の絡んだせん妄状態といえるだろう。根底には不安定な精神状況がありそうだ。

 そのように考えていると,いやでも発作のときの嵩子を思い出した。

『もしや,嵩子が呼んでいるのであろうか?』

 気のせいだと思おうとしても,過ぎし日の苦いできごと・・・包丁を振りまわすやら,呼吸が停止するやらの光景がつぎつぎと浮かんできて,胸が疼いてしょうがなかった。

 夏の旅行のあと,真子には逢わないと心にかたく誓った。それ以来,嵩子にも逢わないでおこうと一様に考えていた。胸の中に生きている彼女たちをそのままにしておきたい・・・しかしながら,嵩子にかんしてはずっと気がかりなことがあった。真子の中ではオレはすでに過去の人間にちがいない。だが,嵩子の中には現在でもオレが・・・生き残っているのではなかろうか? 終局をむかえるまえに,是が非でも締めくくる義務があるのではないだろうか?

『嵩子が呼んでいるなら逢ってみようか』

 と,寝顔と記憶を重ね合わせながら思案しているところへ,娘さんがあたふたと入ってきた。

「大丈夫でしょうか?」

「ちょっと前に眠られたところです」

「電話では,錯乱状態のようなオハナシでしたけど・・・」

「せん妄という意識混濁だとおもいます。末期がんの人ではときどき,とくにオピオイドを使用している人には起こったりします。たぶん,ぐっすり眠ることができれば治るでしょう」

「家では精神的にも参っている感じでした。関係あるのでしょうか?」

「もちろん関係あるとはおもいますが,オピオイド抗うつ薬も影響しているので,明日の病状をみて薬の量を考え直してみます」

 

 翌朝,浅谷さんは通常に戻っていた。

 娘さんは一晩泊まって朝はやく自宅へ帰ったそうだ。背部痛の程度や会話の様子から薬物は減量しないことにした。精神的葛藤があるうえに不眠がつづいていて,それらがせん妄を引き起こした大きな誘因のように思われた。

 午後になって検査前に病室へ出向いた。浅谷さんは待ってましたとばかりに語りだす。

「きのうの夜は,大変ご迷惑をおかけしたようで,本当に申しわけありませんでした。さきほど娘に言われてびっくり,散々注意されてしまいました。ですが,ぜんぜん覚えていなくて・・・」

「わかっています」

「呆れていらっしゃるでしょう?」

「ちっとも。オピオイドを使っていると,フツウのことですから・・・」

「狂ってしまうくらいなら,これからは先生にどんなことでも,つつみ隠さず話しておこうって思いました。そう心に決めると,いままでよりも楽になれたような気がします」

「隠していることなんて,ナンにもないでしょう?」

「かくすといいますか・・・言えなかったのです。今になって,死にたくないって,先生の前では言えませんでした」

「・・・」

「覚悟を決めていても,先生とお喋りしていると,もっと診てもらいたい気持ちが膨らんできて・・・そんなときに,ヒロコさんと会ってしまいました。付きあっていらっしゃる女性をぜひ見てみたい,そう思ってわたしがお願いしたことなのに,会ってみると羨む気持ちばかりが募りました。どうしてこのような巡り合わせなのかと妬ましくおもうだけでなく,看取ってもらえることを悦んでいたくせに,ぎゃくに看取りの形でしか出会えなかった運命を呪わないではいられませんでした」

 そういうことだったのか!

 意図せずとはいえ,私は・・・浅谷さんの苦しみを軽減するどころか,スゲ替えしたうえに倍加させてしまったのだ。のみならず,知らないうちに孤独な生き方を押しつけて,見えざる負担を強いていたのではないか・・・。

『またしても過ってしまった』

 ・・・どうしようもない無力感に襲われる。

「看取ってもらいたいのに,死にたくない気持ちが募ってきて・・・わたしは自分がたまらなくイヤになってきました」

『あれは・・・自己嫌悪の兆候だったのか』

「意志も揺らいで,だんだん辛くなってきて,そうこうするうちに退院の日が決まりました。けれど,したくないとは口が裂けても言えませんでした。調子がわるくなれば再入院すればいい,先生のその一言が,わたしにとっては救いでした」

『?・・・スクイ,でなんかあるもんか』

「でも,こうやって話せてよかったです」

 良かったか・・・たしかに,なるようにしかならないのだから,これで問題はないのかもしれない。

「せんせい! わたしは弱い人間です。やっぱり死にたくありません。死ぬのがこわくてならないのです。いったいぜんたい,このココロをどうすればいいのでしょうか?」

 所詮,うまい生き方などありはしない。

『タウ・タオ・タイ』

 すべて,このままでいいのだ。

 オノレのかぎりを尽くせれば,それでいい。そうすれば,しだいに虚しさも消えていくことだろう。とはいっても,真髄もどきを正面きって説くつもりはない。浅谷さんに必要なものはそんなことではない。

「諦めることですね・・・とことん」

 なにかを求めて,どうこう言うのを・・・止めにしよう。私自身が行なうことである。

「良くしようとしないこと。まして,覚悟しようとしないこと。できないことはあきらめて,弱い自分をうけいれて,ありのまま正直に生きることだとおもいます」

「ありのまま・・・ですか」

「いまの自分を偽らないで生きればいいのです」

「・・・」

『そうだよ』 自らに言い聞かせる・・・己れを偽らずに生きるのみだ,それが自決の道であろうとも。

 

 11月に入った。あれから,浅谷さんは思ったより落ち着いている。週明けの月曜日,夕食後の時間帯に病室へ行った。

「こんばんは」

「こんばんは・・・そろそろ,いらっしゃるような気がして,先生を待っていました」と言って,浅谷さんはテレビを消す。

「そうですか。 もう,ずいぶん寒くなりましたね」

「ホント,冬が心配です。もともと寒がりなのに,病気でよりいっそう応えそうですわ」

「病院にいるかぎり,なんとかなりますよ」

 ベッドテーブルにB5用紙くらいの厚紙が置いてあるのに気づいた。そこに貼ってあるものには見覚えが・・・私が渡した例のメモ用紙であった。

「これは先生にもらったものです。ここに置いておくと,先生を想いだせて,とってもいい感じです」

 こんな使われ方をするとは思わなかった。できれば,もっと中味を分かってほしい気持ちだ。

「テンチとオノ・・・弱いわたしには,無理みたいです」

「そうですかね。人間はひとりで生まれて,ひとりで死んでいく,って言うじゃありませんか」

「わたしには,耐えられそうにありませんわ」

「そう,耐えられないから・・・死というものは孤独に包まれているから,いつのときも天地を友にして,天地と共に耐えていけたらいい・・・そういう思いをこめて言葉を贈ったのですが,あまり意味がなかったようですね」

「いいえ,ひじょうに大きな意味があると気づきました。わたしにとって,天地は・・・センセイということです。センセイのことをおもうと,こころが楽になるのです」

 率直に言い過ぎだろう。「ですから,いまのわたしを救ってくれるのは,先生から頂いたテンチとオノなのです」

 そういうことなら,わかったとしよう。どのような形であろうと,役に立つのなら構わない。

 だれかと一緒に仲よく在りたい・・・そんな思いを胸に人は生きている。

 いってみれば,共に生きることを軸に孤独を回している。その場合,意識されているのは共にあることだ。

 けれども私は,孤独を軸にして共に生きることを回している。つねに意識しているのは孤独のほうだ。

 共に生きていながら孤独であること・・・どちらも,そのことに変わりはない。いかなる人間も自分自身で孤独に対処するしかないのである。